二口女

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 留美奈(るみな)を埋めてしまおう、と言い出したのは修司(しゅうじ)だった。  留美奈はあたしの娘だ。修司が何度か殴りつけ蹴り飛ばし、動かなくなったのでそのまま放っておいたら、夜には冷たくなっていた。 「どーすんだよ、これ」  修司は面倒臭そうに言った。どうすると言われても、どうしたらいいのかあたしにもわからない。このまま置いておけば、腐ってしまうだろう。役所にでも届けたらいいんだろうか。 「バカか、おまえは。通報されたら、俺ら捕まっちまうだろ」  そうなんだろうか。そうなんだろう。 「じゃ、どうすればいいの」 「埋めちまえばいいだろ。どっか、山ん中にでも埋めて来いよ」  と、修司は車のキーを投げてよこした。あたしにやれということだ。 「道具とか、何もないよ」 「買って来りゃいいだろ」  言い捨てて、修司はさっさと出て行ってしまった。どうせ行き先はパチンコ屋か呑み屋、でなければ風俗だ。あたしは仕方なく、床に落ちたキーを拾い上げた。  ちょっと離れた山まで車を走らせる。途中で二十四時間営業のホームセンターに寄って、シャベルやレジャーシート、大型のゴミ袋やライトなどを買い込んだ。こんな買い物をして怪しまれはしないかと思ったが、眠そうな顔の店員は客が何を買ったのかあまり気にしていないようだった。  登れる所まで車で登り、途中から登山道を離れ奥へと向かう。道なき道を進み、適当な場所を見繕って穴を掘り始めた。  ざく。ざくざくざくざく。あたしはひたすら、穴を掘り進めた。ずいぶん掘ったようにも、それほどでもないようにも思ったけど、何とか留美奈の体が入りそうな大きさの穴にはなった。  留美奈の体は五歳とは思えないほど軽かった。それはそうだろう、ここ最近、ろくに何も食べさせてはいない。あたしはレジャーシートとゴミ袋に包んだ留美奈を穴の中に入れながら、思っていた。  ──結局あたしは、「お母さん」にはなれなかったな。  あたしの母親は、ろくでもない女だった。昼間から男を連れ込んで、その間は炎天下でも雪が降っていても家には入れてもらえなかった。父親は物心ついた時からいなかった。誰が父親かは、母親自身にもわからないらしい。  ふいとしばらくいなくなることもしょっちゅうで、万引きで腹を満たしたこともある。いればいたで、ささいなことに文句をつけてはあたしを殴った。あたしが成長して女らしくなれば「色気づいた」とか何とか言いながら、娘を女として嫉妬している目を向けた。あたしにとって母親とは、そういう存在だった。  よその家のお母さんがそんなのじゃない、ということを知った時は、とても信じられなかった。お話などに出て来る「お母さん」は大体優しくて暖かく、あたしも将来はこんな「お母さん」になりたい、と憧れていた。あの女のようにはなりたくない。  しかし、現実は甘くなかった。  母親から逃げるようにして最初に結婚した男は、留美奈が産まれて一年もしないうちに他の女と逃げた。出産前から二又をかけられていたのは明らかだった。  その後内縁関係になったのが、修司だ。修司は知り合った当初こそ優しかったが、一緒に暮らし始めた途端に暴力的な面を出して来た。  暴力は弱い者へと向かいやすい。あたしは、留美奈を矢面に立たせることで自分を守ることを選んだ。殴られる留美奈の泣き声に耳を塞ぎ、時には自分も留美奈を叩いた。  その結果がこれだ。暴力はエスカレートし、留美奈は死んでしまった。それでもあたしは全く悲しいとか思ってない。  留美奈に土をかけている今ですら、これで自分達のやったことがバレないだろうかとか、修司の暴力が自分に向いたらどうしようとか、そんなことばかり考えている。  やはり、あたしは「お母さん」じゃない。  留美奈がいなくなってから、修司の暴力はやはりあたしに向くようになった。毎日のように殴られ蹴られ、青あざを隠すために化粧や服装に気を遣う日々が続いた。  一度人を痛めつける快楽にハマった者は、なかなか抜けられないという。はけ口になっていたあの子がいなくなったのだから、こうなることは必然だった。  別れることは考えられなかった。長い間に積もり積もった無力感は、すっかりあたしを支配していた。あたしは修司にべったり依存していたし、修司もあたしにべったり依存していた。  そのままずるずると日々は続いた。  ある日、酒に酔った修司は今までにないくらいに荒れた。手当たり次第にそこらへんの物を投げつけて来る修司を、あたしは思わず避けようとした。それがさらに修司の怒りに触れたらしい。 「逃げんなよこらぁ!」  激昂した修司が手にしたのは、留美奈を埋める時に使ったシャベルだった。逃れようとするあたしの後頭部に、めちゃくちゃに振り回されるシャベルがまともにぶち当たった。  どうしてこんなものを取っておいたんだろう。そんなことを思いながら、あたしは意識を失った。  目を開けると、泣きそうな表情の修司がいた。さすがに頭が冷えたんだろう。 「俺、おまえがいないとダメなんだよ」  多分、これは本気だ。少なくとも今のところは。  傷口に手をやると、下手くそに包帯が巻かれていた。結構大きい傷だったが、もう血は止まっているようだった。  明日にでも病院に行って医者に診てもらおうか、と思いかけたがやめた。なんだかんだ訊かれると面倒だし、下手をすると通報されてしまうかも知れない。  少し熱が出ているらしく、体がだるかった。  翌日には熱も痛みも引いていたが、傷口はぱっくりと開いたままだった。髪の毛で隠れる場所で良かった。  そっと触れてみると、傷の内側に硬い感触があった。骨かも知れない。骨が覗くほどの傷なのに、特に痛みなどは感じない。不安がないこともなかったが、それ以上考えないことにした。目先の生活の方が大事だった。  そのまま放っておいたら、傷は徐々に変化して来た。傷の上下の縁の肉は盛り上がり、骨らしき硬い部分は縦に割れて小さな板状の突起になった。その奥には柔らかく厚い肉があった。  ……これは。  これでは、まるで。  ──口だ。 「痛っ……!」  不意の痛みに、あたしは傷から手を離した。指に血がにじんでいる。  噛みつかれた。傷に。   ──オナカスイタ。  どこからか、声が聞こえた。いや、出処は明らかだ。後頭部の傷……じゃない、“口”だ。   ──オナカスイタ。   ──オナカスイタ。   ──オナカスイタ。  声は止まらない。試しにそこにあったビスケットを与えてみる。“口”はボリボリと音を立ててビスケットを食べた。  ビスケットを全部食べ尽くして、やっと声は収まった。  それからも、たびたび“口”からの声は聞こえて来た。声がするのは、大抵あたしが一人でいる時だった。  食べ物を与えると、“口”は黙った。しかし、だんだん声が聞こえる間隔は短くなって行ったし、食べる量も増えて行った。  “口”はあたしが与えるものは何でも食べた。フライドチキンなどは、骨ごとバリバリと食べた。たまたま飛んで来た虫を、パクリとやることもあった。食べさせればどんなゲテモノでも食べるのだろうが、あたしの気分が良くないのでやらなかった。  一度睡眠薬を与えてみたことがあるが、効いた感じはしなかった。むしろあたしの方が眠くなってしまい、二度と薬の類は与えまいと思った。  “口”が食べたものがどこへ行くのか、あたしにはわからない。どんなにたくさんの量の食べ物を与えても──あたしが食べられる以上の量を与えても、“口”はきれいに平らげてしまう。  どれだけ食べても、“口”が満足することはないように思えた。“口”はどこまでも飢えていた。  オナカスイタ。 「なんで何も食いもんがねえんだよ!」  空っぽの冷蔵庫を見て、修司は腹立たしげに怒鳴った。それはそうだろう。食べられるものは全部“口”が食べてしまっていた。 「ごめん、すぐに何か買って来るね」  あたしは財布を手に立ち上がった。とは言え、その中身もそんなにあるわけでもない。食費は確実にかさんでいた。 「俺が食いたい時に食うもんがねえと、どうしようもねえじゃねえかよ!」  修司はあたしの足に蹴りを入れて来た。足払いをかけられたような形になり、あたしは倒れ込んだ。修司の蹴りが、さらに腹に入った。一瞬、息が出来なくなった。  その時。   ──オナカスイタ。  声が、聞こえた。   ──オナカスイタ。   ──おなか、すいたよ。   ──ママ。  ああ……そうだ。  この声が誰のものなのか、最初からあたしにはわかっていたんだ。だからねだられるままに、食べ物を与え続けていた。  食べさせてあげないと。この子に。  あたしは上体を起こした。修司を見上げる。 「な、なんだよ」  修司はたじろいだ。  食べさせるものなら。  ──目の前に、あるじゃないか。  頭の後ろで、“口”ががばりと開いた。  ぐじゅぐじゅと、肉を喰む音がする。がりり、と骨を噛む。 「そんなにあわてなくてもいいのよ」  食べごたえのある食事に、“口”が喜んでいるのがわかる。 「いっぱい食べなさいね──留美奈」  “口”に優しく声をかけながら、あたしはやっと自分が「お母さん」になれた気がしていた。      ◇  その後。  山中から幼子の遺体が発見され、両親と思われる男女の現在の住居に警察が向かった。  そのアパートの一室には大量の血糊のみが残っており、住人の姿はなかった。  部屋の状況から警察は、母親が父親を殺害した上で、遺体を処理して逃げたものと考えたが、父親の遺体はどこをどう探しても見つからなかった。  母親の行方は、杳として知れない。
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