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 熊本に滞在して何日目かに、彼は阿蘇山に連れて行ってくれた。  言うまでもなく、ふもとの辺りには沢山の温泉がある。 「近くに俺のお勧めの温泉があるんだけど、行ってみる?」  彼がそう言ってくれたから。戸惑いながらもうなずいたのを覚えている。  1人で温泉に入るのなんて、初めての経験だった。  というか、未だにあれっきり経験していない。  温泉は気持ちいいけれど、一人で入るには勇気がいるから。  誰も私のことなんて気にしちゃいないのに、それは分かっているのに……。多分人前で鏡を見られないのと同じ理由で、二の足を踏んでしまうのだ。  大学生の頃も、私は今と同じようにスッピンで生活していた。  時折口紅を塗ってみたりはしたけれど、それ以上のことは出来なかった。  理由はやっぱり同じ。  誰かに怒られるような気がしたから。  でも、彼と居る間だけは……口紅だけは無意識の内に塗るようになっていた。  せめて彼にだけは少しでも綺麗だと思って欲しかったから。  温泉から上がると、待ち合わせのロビーに彼はまだ来ていなかった。  しばらく待っても現れない彼に、段々手持ち無沙汰(ぶさた)になってくる。  広いロビー。  周りは私とは違って、熊本弁を話す異国の人ばかり。  何だかその状況に落ち着かなくなって、私はいそいそとお手洗いに向かった。  狭い空間に入ると、少しホッとできた。
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