熱いので気をつけてください

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「こんばんは」  今日も彼は来た。  時間はいつも通り八時過ぎ。まずは店内でお菓子を物色して、それからレジに来る。 「アイバの缶コーヒーください」  レジ近くに置いてある缶ジュース専用の保温機、そこに彼の大好きなアイバの缶コーヒーが置いてある。 「どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」  私はビニール袋に缶を入れながらそう言った。  いつものやり取り。今日は何か別のことを言わないと……。  そう考えるけど彼を見ていると何も言えなくなる。 「ありがとうございます」   結局今日も何も言えずに彼は帰ってしまった。  一カ月前から、毎日来るようになった彼。  名前も何もわからない。  ただわかるのは彼がアイバの缶コーヒーが好きなだけ。 「あと十本かあ」  私は保温機にある缶コーヒーを数えて溜息をつく。  自動販売機を設置することを決め、店内でジュースやコーヒーを販売するのをやめた。でも今あるものだけは全部売ってしまおうと、まだ店には置いてある。  でも補充されることのないそれは、どんどん数を減らせていき、残り十本となっていた。  あと十日か。   彼はもう、気付いているかもしれない。  コーヒーが補充されないことを、だって減っていく一方だもん。 「由佳、もうお店締めようか」  奥からお母さんが声をかけ、私は返事をすると店の外に出る。風がびゅうと吹いて私はぶるっと震えた。店の中は暖房が効いていて、外の寒さをうっかり忘れることが多い。私は慌てて店のシャッターを下ろし、窓を閉めた。 「本当、あんたが手伝ってくれて助かるわ」  お母さんは戸締りを終わらせた私に微笑んだ。  お母さんの実家は代々商店を経営している。  でも、お父さんは婿養子になった今でもサラリーマン、お母さんは年を取ったおばあちゃんの代わりにお店を切り盛りしている。  小さい時から手伝って来たお店に自動販売機を入れることは決めたのは最近だ。最後までおばあちゃんが反対していたけど、やっぱりマージンがよくて母が押し切る形で決めてしまった。  今となっては私も反対しておけばと後悔している。    あと十本、売り切れるまでに私はなんとか彼の名前を聞き出したかった。  もっと欲を言えば友達になりたい、私はそう思っていた。 「あれ? お母さん! なんでアイバの缶コーヒーが減ってるのよ!」  大学から戻ると保温機にあったはずの缶コーヒーが残り三本になっていた。 「ええ? そう? ああ、そうだ。暖かいものがないかと聞かれ、勧めたら買っていったんだよ。なんか問題あったの?」 「あ、いや。ないけど」  あの人のためにキープしていたとは言いづらく、私は僅かに残った三本の缶コーヒーを見つめる。  あと三本。  これがなくなるまで、私は彼とちゃんと話ができるだろうか? 「こんばんは? あれ?」  店に入ってきた彼は、今日は珍しくお菓子売り場に行くことなく、まっすぐレジに来た。 「残り三本……なんですね」 「……はい」  残念そうな彼に何か言わないと、急かす気持ちとは裏腹に私は短く答えるだけにとどまる。  緊張しすぎて、彼の顔を見れずに私は俯いてしまった。 「アイバの缶コーヒーおいしいですからね」 「そうですね」  彼の言葉に頑張って相槌を打ってみる。でも彼の優しい瞳とかちあい、私はなんだか恥ずかしくなって顔を背けた。  いや、なんか、まずい。私。ちょっと変な人だ。 「えっと、アイバのコーヒーですよね?」  私は俯きながらそう聞く。  あと三本分しか見られない彼の顔なのに、私は恥ずかしくて顔を上げらない。 「はい。一本ください」  彼はそんな私を訝しがることなく、明るくそう答えた。 「熱いので気をつけてくださいね」  いつものセリフを言いながら私はビニール袋に缶を入れる。 「ありがとうございました」  情けない私は今日も彼に何も聞けず、その背中を見送るしかなかった。 「お名前はなんて言うんですか? あ、えっと社会人ですか?」 「あんた、さっきから何一人でぶつぶつ言ってるの?」  今日彼と会った時のために台詞の練習をしている私に、お母さんが冷たい視線を投げてくる。私はなんだかその様子にイライラして睨みかえしてしまった。  元とは言えば、お母さんが悪い。自動販売機を入れなきゃ、アイバの缶コーヒーはずっと仕入れられたし、昨日誰かに七本も売らなきゃ、まだ私は彼と話す機会はあったのに。 「ほらほら。暇だったら倉庫に行って袋ラーメンを持ってきて。なくなっているでしょ?」 「はいはい」  私はムカムカしながらも、仕方なくそう返事をして倉庫に向かう。  アイバのコーヒー、本当にもうないのかな?  入れるのを忘れている分があるかもしれないと私は倉庫を探し回る。しかし既に何度も確認しているのだから、あるわけもなく、私は袋ラーメンを数個持つと店に戻った。 「いらっしゃいませ」  店に入ってきた彼を見て、思わず先に声をかけてしまう。 「こんばんは」  彼は少し驚きながらも笑顔を浮かべて挨拶を返してくれた。  よっし、出だしは好調。  あと二本しかない缶コーヒー。  何か聞きたい。  名前、そして住んでるところとか。  ……それは無理か。  でも何か、知りたい。 「樹野(きの)さん」  そう呼ばれ、胸がドキッとする。  初めて彼に名字を呼ばれた。 「あの、このラーメン1000円って書いてあるんですけど」 「え?」  カップラーメンを持ちながらそう言われ、私はぎょっとして彼の元に走る。するとやっぱり千円と打たれた値段シールが貼られていた。  うわっつ、私。何やってるんだか。 「すみません。これ百円の間違いです」 「そうですよね。びっくりした。でも面白かったですけど」 「そ、そうですか?」 「はい。なので、これ買って帰ります」 「ありがとうございます」  彼にひょいとラーメンを渡され、私は受け取る。 「今日は楽しく夕飯を食べられそうです」 「え、夕飯なんですか?」 「はい。おかしいですか?」 「いえ、おかしくないです。でもこれで足りますか?」    ラーメン一つじゃ、男の人にしては少ない。 「足りないです。だからお弁当は買ってあるんですよ」  彼は手に持っている近所のお弁当屋の袋を掲げ、そう答えた。 『一人暮らしなんですか?』  そう聞きそうになった私は口を閉じる。  友達でもない、なんでもない人にそんなこと聞かれるのは嫌だろうと思ったからだ。   でもそうなると名前聞かれるのは嫌かもな。あ、でも…… 「あの、なぜ私の苗字が樹野だってわかったんですか?」 「え、あの……お店の名前が樹野商店だから、樹野さんだと思っただけです」 「!」  そうか、そうだよね。普通はそう思うよね。  なんだか間抜けな質問だ。恥ずかしい。 「樹野さんは、今学生さんですか?」  そんな私に彼は普通に話しかけてくる。 「はい。大学生です」  興味を持たれているのが嬉しくて私は答える。  でもやっぱり少し恥ずかしくて顔を上げられない。 「大学? いいなあ。きっと楽しんだろうな」  大学行ったことないんだ。ってことは今、社会人?  私は勇気を持って、顔を上げて彼を見る。彼は相変わらずにこにこしていて、笑顔が眩しかった。 「えっと、あの、」  聞かなきゃ、聞かなきゃ。  ドキドキしながらも私は口を開こうと努力する。 「俺、日河(ひが)隆太(りゅうた)と言います。高校卒業してすぐ就職したから、大学なんて憧れなんですよ。きっと毎日が楽しんだろうなって思います」 「そうですか?」   そう見えるのかな? 「はい」  彼――日河さんは私を見て頷く。彼に見つめられ、心臓の鼓動が早まり、手の平に汗がにじみ出てくる。しかしその緊張はすぐに解ける。  カランと店のドアに付いている鐘がなり、お客さんが入ってきた。すると彼は後ろを振り返り、申し訳なさそうに笑う。 「あ、話しこんじゃいましたね。アイバの缶コーヒーとそのラーメンください」  彼にそう言われ私はラーメンを持ってレジに戻る。 「熱いので気をつけてくださいね」  私は結局お決まりのセリフを言い、彼との時間は終わりを告げた。しかもお客さんが並んでいたので今日はその背中を見送ることもできなかった。 「来ない……」  残り一缶になり、私は最後だと思い、毎日気合をいれて彼を待った。  しかし、数日すぎても彼が来ることはなかった。  この間、話過ぎたのが悪かったのか。  大学生ってとこがよくなかったのかな。  値段貼り間違いとか呆れられたのかな。  そんなことを考え、私は毎日もんもんとして過ごす。 「由佳。今日あんた授業ないんでしょ?だったら昼間当番よろしくね。私今日、銀行にいかないといけないのよ」 「えー?」 「えーじゃないの? どうせ暇でしょ?」  不満たらたらだったが、実際授業がなくてやることはないのは確かだった。友達は今日は講義が入っているし、大学に会いに行くのも面倒。必然的に私は店番をすることになった。 「じゃ、行ってくるわ」  昼過ぎ、母が出かけ私はレジの椅子に腰かける。  もってきた本を読みながら、ちらちらと店内を見る。  鐘が付いているから、勝手にお客さんが入ってくることはない。でもちょっと不安になって見てしまう。 「こんにちは」  元気な声と一緒に鐘がなり、私は顔を上げる。  数人の男性が店に入ってきて、私は緊張して立ち上がった。 「えっとお母様はいらっしゃいますか?」 「あ、母は不在です。失礼ですけど、どなたですか?」 「申し遅れました。私はマル言の藤田と申します。自動販売機の設置に参ったのですが……」 「すみません! ちょっと母に確認します」  お母さん、ちょっと何、忘れてるのよ!  私はパニックになりながら慌てて母に電話する。 「あ、ごめん。忘れてた。打合せはすませてあるから、店の前に置いてもらってちょうだい。三時くらいには戻るから」 「え?」 「よろしくね」  母は一方的にそう言い、電話を切ってしまった。  信じられない。  私は心の中で溜息をついたが大事なメーカーさんだ。母はかなりマージンをくださるいい業者だと言っていた。 「すみません。母が三時くらいに戻るそうなのですが、先に設置を進めていただいてもいいですか?」 「はい。そうしますね」  藤田さんは気を悪くすることもなく、笑顔を見せると男の人を引き連れて出て行った。    確認したほうがいいのかな?  三十分程たって、そんな不安よぎる。きちんとした業者さんなので問題はないと思うけど、やっぱり見ておいたほうがいいだろう。  私はレジに鍵をかけると、店の外に出る。  店の前には二台の販売機が置かれていた。立派なそれを見ると私はなんだか妙に物悲しくなってしまった。  いやいや、まだコーヒーは一本残っている。  きっとまだ会える。  でも、もしかしたら……。  彼は、日河さんはもう売り切れたと思っているかもしれない。 「日河! 遅いぞ」  日河?  藤田さんに怒鳴り声が聞こえ、現れたのはスーツ姿の日河さんだった。彼は私の顔を見ると微笑む。  日河さん?えっと…… 「日河、缶はちゃんと二台分用意してきたか?」 「はい、この通りです」  藤田さんは彼の上司らしい。日河さんはたくさんの箱を載せた台車を押しながら、しゃきっと答える。  えっと、日河さんはマル言の人?  だったらなんでアイバの缶コーヒー飲んでたの?  っていうか、知ってたの?最初から?  私の頭に次から次へと疑問が沸き起こる。 「ああ、藤田さん、日河さん」  お母さんが驚くこともなく、そう言って現れ私の混乱は最高潮に達する。    日河さんって、お母さんは最初から彼と知り合いだったの?   あ、そうか。私、お母さんと日河さんが話しているのを見たことなかったし……。でもどういうこと?  私だけが呆然とする間に、自動販売機の設置作業はちゃくちゃくと進んでいく。気がつくとマル言の人達は帰り支度を始めていた。 「お疲れ様です。ありがとうございました」  母さんがぺコリと頭を下げ、藤田さんと日河さんがそれに呼応し、礼を返す。 「待ってください!」  気が付くと私はそう叫び、車に向かおうとする日河さんのスーツの裾を掴んでいた。 「えっと、藤田先輩。ちょっと待っていただいてもいいですか?」 「ああ」  私の様子に驚きながらも藤田さんは頷き、車の方へ歩いて行く。 「樹野さん、黙っていてごめんなさい。俺はマル言の社員なんです。先輩とこのお店に来てアルバの缶コーヒーを見て、飲みたいと思って仕事終わってから来たら、あなたがいて。なんだかマル言の社員だって言いづらくて……。怒っていますか?」  彼が申し訳なそうな顔をする。  怒っていると言えば、怒っている。  だって、私はずっと知らなかったし。缶が売れる度にどきどきして、彼に在庫がないことを話さなきゃと思いつめたり……。  本当は、本当は彼は最初からアルバの缶コーヒーがなくなることを知っていた。  それなのに、私だけが馬鹿みたい。 「樹野さん、まだコーヒー残っていますか?」  俯いた私に彼がそう問いかける。 「もう残っていません」  私はなんだか自分が馬鹿みたいで、嘘をつく。本当は彼のために残してある。でも彼に騙されていたのが悔しくて嘘をついてしまった。 「そうですか……」  あ、どうしよう。ショックを受けている。  彼の少し悲しげな顔を見て私の心が揺れる。 「嘘です。最後に一本だけ残ってます」  結局私は正直に答えてしまう。すると彼は、ぱあと笑顔になった。 「よかった! ありがとうございます。今日は絶対に寄りますから。キープしておいてください。それじゃあ」  催促のように車から藤田さんが降りてきて、彼が慌てて車に駆け戻る。藤田さんに何度か頭を下げている彼の様子が見え、私は少しだけだが同情してしまった。 「こんばんは~」  茶色のコートの姿の彼がいつもの時間に現れる。  やっぱりドキドキしてしまって、そんな自分に少しだけ腹が立つ。  騙していたのに。 「これが最後の缶ですか?」 「はい」  そう、最後の缶。  この缶がなくなっても、彼はお店に来てくれるだろうか。   ああ、マル言の人だから来るに決まってるか。 「今日は言ってくれないんですか?」  アルバの缶コーヒーの入ったビニール袋を受け取りながら彼はそう問う。 「何をですか?」  なんだか、苛立ちと恥ずかしさが入り混じり私の言葉は冷たい。  それなのに彼はじっと私を見つめたままだ。 「『熱いので気を付けてください』って」  覚えていたんだ。  一カ月前から毎日言い続けていた言葉、同じ台詞しか言えない私。  彼はどう思ったんだろう? 「樹野さん、下の名前を教えてください。俺と付き合ってくれませんか?」 「!」  え……? 「俺の方が年上だし、大学も出たこともない奴だけど。付き合ってみませんか?」  頭の中が一気にパニックになる。  私は自分が金魚のように口をぱくぱくしているのがわかった。 「返事はゆっくりでいいです。明日また来ます。千円のラーメンも美味しかったですよ」  彼はくすっと笑うと私に手を振る。 「熱いので気を付けてください」  私は混乱しながらも必死にいつものセリフを言う。  すると彼は振り向き、また明日と笑った。
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