拾話

1/1
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ

拾話

○麻目幽衣 私の姉である麻目真衣のことを語るに当たって、その前にまずこの町の"護り神"とやらの話をしなければならない。 もっとも、私はその神様の存在をこれっぽっちも信じちゃいないし、よってその説明も曖昧で粗雑なものとなってしまうけどね。 はるか昔から、ツジガミ様と呼ばれる神がこの町では信仰されていたらしい。なんでも作物がよく実ったり、子供が健康に生まれてきたり、病が治ったり、とにかく良いことが起こる度に皆そのツジガミ様に感謝したんだとか。 そして、まあお約束だとは思うんだけど、神様も無償で人間を護ってくれる訳ではないらしく、貢ぎ物が必要だった。それは、食べ物でもお酒でも人間の魂でもなく___"潮風"だった。 この町は海沿いで小さく発展してきた町で、日本海から吹いてくる磯臭い風に誰もが慣れ親しんでいるほど海という存在が身近にある。 神様もまた、その風を好んだのだという。 だがしかし、その神様を奉る神社は海から少し離れた雑木林の中に建てられている。神様を海に近づけるのは危険だという迷信でもあったのか、あるいは潮風で建物が痛むということを当時の人々が知っていたからなのかは分からないが、神社そのものを動かすという案は出なかったらしい。 なので、人々は神社から海の方向へ向かって道を作った。木々を切り倒し、家も建てなかった。 そうすることで、海から吹き付ける風が神社まで十分に届くようにしたという。 神は満足したようで、しばらくの間この街は特別に栄えることもなかったが、皆そこそこの暮らしを手に入れて幸せに暮らしていたそうだ。 だが___ある時を境に、ツジガミ様は信仰されなくなった。というより、誰もがその存在を忘れてしまったのだ。町の人間が一斉にまるで記憶を失ったかのよにツジガミ様の事を口にすることもなくなったし、神社にも誰も来なくなったそうだ。 唯一、ツジガミ様を忘れなかったのは神社の神職であった麻目なんとかっていう人とその家族___つまり、私たち一家全員だ。 なぜ、私たちだけがツジガミ様を忘れなかったのか。そんなメカニズムは知る由もない。 なんだったら、記憶がおかしくなったのは私たち一家の方で、ツジガミ様なんてもとよりそんなものはなっかったんじゃないだろうか。なんて"一族の恥"である私は一時、天の邪鬼にそんなことを妄想してみたりした。 だがツジガミ様が存在しようとしまいと、数百年前から今日までずっと、麻目家は人知れず神社に仕えてきた。私の家とあの神社は切っても切れない縁がある。 ______と、こんな風に語ってみたけれど実際私もよく分かんないことが多いんだよね。正式な跡継ぎはお姉ちゃんってことになってるし、お父さんから教えられたことは数少ない。お姉ちゃんならもっと詳しく知ってたかもね。 そう、お姉ちゃんなら_________って、こんな考え方がいけなかったんだよね。三ヶ月のあの日、私がもう少し自覚的であったなら、お姉ちゃんは無事だったのかもしれない。 *** これらは、私の体感で三ヶ月前の出来事。そして実際には、"三ヶ月後"の出来事だ。 「お姉ちゃん、落ち葉の掃き掃除もう終わったよ!」 十月の半ば、私は姉の真衣と神社の掃除をしていた。 秋の風物詩である紅葉の成れの果てを箒でかき集め、袋に詰める。そんな作業をぼーっとしながら続けていた。 普段は父の教えの元でこの神社で働く姉と、家の事なんて知ったこっちゃないという姿勢を貫く私はあまり一緒にいる時間が少ない。なので、たまにお互いのどちらかがこうやって軽いボランティアや散歩などに誘ったりする。シスコンだとか言われると否定はできないけど、普段の生活でまるっきり関わることがないというのは家族としてちょっと寂しい。 それに真衣は、容姿端麗で成績も優秀、そして人当たりもよいので、一緒にいて楽しいし女性として憧れている。 「ありがとう幽衣。それじゃあ、ちょっと休憩しようか」 神社の敷地で草むしりをしていた真衣が釜とビニール袋を置いて麦茶を手渡してきた。 私達は木陰に座ってお茶を呷った。 真衣が麦わら帽子を脱いで汗ばんだ髪を整える。そういう仕草一つでも、お姉ちゃんは綺麗だと思った。 「それにしても、この神社も寂れてるよねぇ。何も知らない人が来たらきっと心霊スポットか何かと勘違いしちゃうんじゃない?」 「そうねぇ、確かに夜に見ると不気味な感じがするもの。本当に幽霊でも出るのかもしれないわね」 「お姉ちゃん夜もここにいるの?」 「えぇ、たまにね。ちょっと修行で」 「夜中にこんなとこで何の修行すんのよ」 「それは、白衣着て髪を下ろして彷徨く修行よ。たまに若盛りな学生達が立ち寄ってくるんだけど、私を見るなり一目散に逃げ出してしまうの」 「なんだ、もう勘違いされてんじゃん」 真衣の独特の面白くもない冗談に私は適当に返した。 なんだか真面目って性格が一周して最早変人みたいな所がある真衣だが、これでも夜中にまで修行をしていたとは驚いた。さすがに幽霊のコスプレをしている訳ではないだろうが、本当にこの神社で努力を積み重ねているのだろう。 「……それで、お姉ちゃんはもうお父さんのあとを継ぐって決めたわけ?」 「うん。そうしようかと思ってる」 「お姉ちゃんほんとにそれでいいの?ここ誰も知らない神社だよ?お給料ももらえないから別の仕事もやらなきゃいけないし、こんな退屈な町から一生出ていけないし、それに……ほら、いろいろと面倒な仕事もしなきゃいけないでしょ?」 「どんな仕事かもろくに知らないでしょあなたは」 ピコンと額を弾かれる。 「うー。でも本当に……勿体ないよお姉ちゃん。頭もいいし、可愛いのに……なんかここに縛り付けられてるみたいで」 「ふふ。心配してくれてるの?」 「当たり前じゃん。流石に心配するよ、だってお父さんも一緒なんでしょ?」 「お父さんの事は大丈夫よ。私ももう高校生なんだから、自分の意思ははっきり主張するわ。嫌なことはなんだって断るわよ」」 「いっそのこと、この神社ももう閉業したらいいんじゃない?」 「それ、お父さんが聞いたらあなた殺されるわよ?」 「あっはは。確かに」 「でも、私の代で終わらせようかとも思ってる。お父さんには内緒だけど」 「そっか......。そうだね、神様には悪いけどそれが一番だよ」 お茶の最後の一口を飲みきり、私はやけに勢いよく立ち上がった。 「だったらさ、私も巫女になるよ!」 「……どうして?」 「だってもう私達の代で最後なんだよ。確かに、この神社は嫌いだし、お姉ちゃんを縛り続ける神様だとか、伝統だとか、あとお父さんも大嫌いだけど……でも、だからって疎かにしちゃいけない気がする。誰かが後を継ぐならまだしも、私達の世代でこの神社を終わらせるんだったら、私達姉妹でやらなきゃいけないんだと思う」 「幽衣……」 「へへ……なんか、変なこと言ってるよね、私」 「じゃあ、二人で頑張ろ?」 「うん!」 その晩、酷い豪雨に見舞われ、父が仕事から帰ってくるのも遅かった。 「お父さん、私にも修行受けさせて!」 父が茶の間に座るなり、私はそう切り出した。 「何を言っている?」 「私もお姉ちゃんと一緒にあの神社の世話をする。だから私にもいろいろと教えてほしいの」 父はネクタイを緩め、私を見つめた。 予想していたより穏便な雰囲気だった。自分でも無茶なお願いだとは分かっていた。父を激怒させてしまうことになるとも思っていたが、腰を据えて話を聞いてくれた。 「そうか。だが私は別に、お前があの神社と関わりを持つ必要はないと思っているんだが」 何やら奇妙な言い回しに私は胸に引っかかるものがあったが、珍しく人の話を聞こうとする父に向けて説得を続けた。 「私はお姉ちゃんの力になりたいだけなの。最初は覚えることがたくさんで寧ろ足手まといになるかもしれないけれど、雑用でも何でもいいからお姉ちゃんの負担を少しでも減らせるようにしたい。だから、お願い......」 頭を下げて父の顔は見えなかったが、きっと冷静に私を見ていたのだろう。あの日の父は異様に冷静だった。________いや、寧ろあれこそが生来の父の性格なのかもしれない。今になってそう思う。 「分かった。じゃあまずは簡単な仕事からやってもらおう。真衣と一緒に働いてもらうかどうかは、その後で決める」 「......ありがとう、父さん」 「だが、辛い仕事だぞ。覚悟はあるのか?」 「うん。神社の掃除でも座禅でも滝修行でも、なんでもやってみせるよ!」 自分でもちょっと大袈裟かな、と思うほど意気込んで見せたつもりだが、父は首を傾げて怪訝な表情をしていた。 「幽衣……お前も知っていると思うが、あの神社は特殊なんだぞ?」 「うん知ってるよ。昔急に町のみんなが存在を忘れちゃったっていうやつでしょ?だから誰も参拝に来ない」 「いや、そうではなくてだな……。お前、真衣から聞いていないのか?」 「……何を?」 私達の会話に雲がかかってきた時、外では雨がいっそう激しさを増し、雷も落ちてきた。 「お姉ちゃん傘持ってるかな……」 父に向けてではなく独り言として呟いたつもりだったが、父は血相を変えて、 「真衣はまだ帰ってきてないのか!?」 悲鳴のような声をあげて私に確認してきた。 「うん。なんか生徒会の仕事があるからって。多分今度の体育大会に向けてじゃないかな」 私が言い終える前に、父は脱兎のごとく家を飛び出した。 「え!?ちょっとお父さん!」 あまりに唐突な父の奇行に私は動揺し、仕方なく傘を持って後を追った。 家の窓から見ていたよりも外の天気は荒れていて、家を出て数歩で傘の有用性の無さを理解し、全力で父の小さな影を追った。 シャツがぐちょりと濡れて肌にへばりつく。突風が目に刺さるので顔に手をかざしていると、いつの間にか父の姿を見失った。だがその時点で私は父の行き先に見当がついていた。 「どうして……神社なんかに?」 今日の父は総じて様子がおかしい。いつも神社での真衣に対する鬼気も、家で私を叱りつける時の覇気も今は感じられない。 嫌な予感がした。 足元の悪い雑木林をなんとか潜り抜け、なんとか神社までたどり着いた。 父が、参拝道で崩れ落ちていた。 「お父さん!何やってるの?」 慌てて父に駆け寄ったが、その表情を覗き込んで私は衝撃を受けた。 泣いていたのだ。 「お父さん……?」 「真衣……真衣……」 耳を済ませば父が真衣の名を呟いているのが聞こえた。 「お姉ちゃんがどうかしたの?ねぇお父さん!?」 私が父に叫んだ直後、大地を割るような轟音が鳴り響いた。雨の音なんて聞こえなくなるくらい鼓膜が振動して、私はあわてふためいて周囲を見回した。 「あぁ……龍よ……」 父がおもむろに顔を上げた。 何かを見上げていた。私はこんな状況で茫然とし続けている父に呆れて肩を貸そうとしたそのときだった。 私は父が見上げていたものを見た。 それは、父が信仰していた神ではなく、父を体現する鬼でもなく、ただ荒れ狂うだけ____。 「……龍みたい」 口から漏れた言葉に自分でも意味がわからず、そして私は父と同じように茫然としているしかなった。 「それは駄目」 「え?」 突如として背後から声をかけられた私は、その人を見上げた。 どこかで見たことがあるような少女だった。 「立って、さぁ立って!」 私はその人に腕を引っ張られ、無理矢理立たされる。 その人と向き合う形になる。そして彼女もまた、泣いていた。 今度は父とは違って、少し前まで顔をくしゃくしゃにして思いっきり泣いていたのがはっきりと分かるくらい悲惨な顔だった。 「えっと、あなたは……」 「私は……納得しない!」 少女は憎しみを込めた溶岩のような言葉を吐き出した。 「あんなの……絶対に負けない!」 少女が指すのは間近で吹き荒れている"あれ"のことだったのだろうか。今になってそう思うが、その時の私は少女に気圧されて何も考えられなかった。 「ねぇ……あなたは」 誰、と。言えずに私は意識を失った。 目が覚めると、というより覚まされたのだが、いつもの朝に戻っていた。母親に叩き起こされ、居間へ行く。 父が険しい顔をして朝食をとっていた。 昨日のべそかきの事は秘密にしておいた方がいいのだろうか、そもそも誰が私を家まで運んだのだろうか、そして"あれ"は収まったのだろうか。 寝起きにも関わらず私の頭の中では数々の疑問が渦を巻いていた。 「どうしたの幽衣?」 居間で立ち尽くしていた私を母が心配する。 「ううん。なんでもない」 私は父のはす向かいの椅子に座り、テレビのニュースをつけた。 最近のニュースが流れていた。芸能人の結婚とか、政治家の汚職事件とか、パンダの出産とか、この町の近辺の海で船が遭難しているとか、介護に疲れた息子による親子殺人事件とか、芸能人の不倫とか。 世間の流動は相変わらず激しいなぁとか考えながら、私はトーストを齧った。 「そういや、お姉ちゃんは?もう学校行ったの?」 しっかり者の姉が私より寝坊するなんて事はまずあり得ない。今私が真衣の部屋を確認してももぬけの殻だろう。 と___。 父が不恰好にちゃぶ台をひっくり返した。 味噌汁が私のパジャマの腹部を濡らし、私は驚いて父を見つめた。 「一族の恥が……」 しっかり私の目を見て父はそういった。記憶に新しい視点が定まっていない父の茫然とした姿は、この怒気を孕んだ目で塗りつぶされた。 「お前が……お前が巫女になっていれば……あぁいや、信仰心が足りなかった、ツジガミ様の怒りを買ってしまったから、真衣に負担をかけすぎてしまっていたから……」 目と口を、いや、顔全体を震わせて父は唾と共に言葉を吐き散らかした。 「お前が……お前が真衣を支えていれば……えぇ?……麻目の業苦も知らずにのうのうと飯を食って、全く呑気なものだな、おい?……お前のせいで真衣は……ツジガミ様に……神は全力を求めるものだ!例え貧しくとも、才に恵まれなくとも、ひたむきに努力する姿勢にこそ神は慈悲を与えてくださる!……なのにお前は……あぁッ!」 父が叫んで、私に飛びかかった。 何を言っているかはまるで聞き取れなかったが、きっと私への罵詈雑言の玉手箱だったのだろう。そのときの私はショックのあまり触れようともしなかったが。 「あなた、止めて!」 父が私に振れる前に、母が止めに入った。 もがき、暴れる父を押さえながら母は私を見て 「あなたは先に学校に行きなさい!入学式には行ってあげられないけど……大丈夫だから」 そういって、涙を一滴滴らせて母は私にそう言った。 入学式__その言葉の意味を理解できぬまま私は自分の部屋へ向かった。 そして戦慄した。 部屋の物の配置が微妙に異なっていた。捨てたはずの漫画やポスターがあったし、机に並ぶ教科書も新品だった。そしてクローゼットを開けると、皺一つない綺麗な制服がかけられていた。 私はその時、自分が時を遡ったのだとすんなりと受け止めることができた。普段なら馬鹿馬鹿しくて信じられないだろうが、その時だけは違った。 真衣の部屋に行った。本当に、もぬけの殻だった。 それから、記憶が朧気だ。つまり、私はその時くらいからようやく現実を認識し始めたということだろう。真衣が十月ではなく時を遡って四月に失踪したということになり、私の高校一年の半年はなかったことになり ただ事実はおよそ父の言った通りなのかもしれないと、私は今になって思う。 ツジガミ様が真衣を消し去ったという意味ではなく、私の自覚の無さが真衣に負担を与えた、という意味でだ。 私は、神社も父も、ひいては自分の住む町も嫌いだった。だが私には、嫌悪する資格なんてなかった。何も知らず、知ろうともせず、"一族の恥"であることに一種の誇りすら持って、真衣を潰し続けていたのかもしれない。 「だからね、先輩。何もかも私が悪いんですよ」 *** 「……そういや、初対面の時はやけに冷たくされたね」 僕はすっかり疲れきって膝元で寝入ってしまっている幽衣の頭を優しく撫でた。普段ならこんなことをすれば僕も幽衣も何時傘真無目という人間への嫌悪感を増幅させるだろうが、今だけは、こうしていたかった。 幽衣の頬を伝う涙を拭ってやる。 寝顔は安らかで幸せそうなのに、相変わらず涙は彼女の瞼から零れてくる。これは___いつもの幽衣だ、と思った。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!