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拾壱話
○何時傘真無目
_______二学期期末テストを終えて三週間ほど経過した頃、僕は砂と町外れにある廃工場にいた。
「じゃあ復習だよマナメ。まず対象物を視界に捉える。そして出来るだけ、それを意識しない。あなたの能力は意識と無意識が鍵なの」
腕を組んでアドバイスをくれる砂だが、僕には何がなんだかさっぱりだ。
「もう少し分かりやすく説明してくれないかな」
「ひとまずその無惨な点数を見つめろってこと」
砂はぶっきらぼうに僕の足元に置かれている数枚の紙切れを顎で示した。これは先日の期末テストの答案用紙__僕の勉強不足の結果が遠慮なく数字に表されている。
「うん……見つめたよ」
「あなたがその点数についてどう思ったかなんて事は重要じゃない。ただ、そんなことがあったなぁって感じで頭に過らせるだけでいい」
なるほど、と僕はテストの答案と向き合う。
別に元からテストの点数にはあまり頓着してない。真衣がいなくなってからは勉強なんてとてもじゃないが手がつかなくなり、そのまま授業にはついていけなくなって今では赤点のデッドラインから必死に逃げ延びるまでになっている。
そんな僕には、このテストは予定調和の産物であり、事実以上の何かに増幅することもない。
「いい目ね。そして、思考をテストから切り離すの。やってみて」
言われて僕は目を閉じてテストのことを考えるのを止める。何か別のものを脳内のスクリーンに写そうとして、"灯影の鯨"さんの新曲のサムネイルでも思い描いてみることにした。あれはかなりの傑作だった。
とか考えて、目を開ける。
テストの点数を見て結果を確認するが、どれも点数は変わっていなかった。
「また失敗ね」
落胆を隠そうともしない砂。
僕も嘆息して頭を掻いた。
「私の場合は結構すんなりといけたんだけど」
「過去に巻き戻るっていう君の能力かい?」
よくよく考えてみれば、砂の能力はタイムリープ系の話の主人公が持つ、言わば王道の能力だ。それが実在するという事実に改めて感嘆してしまう。
「なんだか……君と僕の能力の違いってなんなんだろうね」
「そんなもの決まってるよ。学習習慣の差だよ」
「いやテストの話じゃなくて、この……時間操作の能力のこと」
「あぁ、そっちの話ね。ごめん分からなかった」
「いや分かってただろ確実に……。でも落ち込むわけじゃないけどさ、僕の能力って君の完全な劣化版だよね。僕が能力を扱えるようになる必要ってないんじゃないのかな」
「いや、私と真無目の能力は全然別物だよ。私にできなくて、真無目にできることもある。とりあえずマナメは少しでも能力を自分の意思で使えるようになって。あなたの能力は"作戦"に不可欠なの」
「そうか。じゃあもう少し頑張ろっかな」
「かな、じゃなくて頑張って」
「はいはい」
「あ、あと気抜いてたり変なこと考えてたら分かるんだからね」
と、厳しい表情で砂が僕を指差した。
「ねぇ、なんかコツはないかい?」
「コツ……そんなこと言われても、私はその能力は持ったことないからよく分かんないけど……要は対象物との離れ方じゃないかな」
「……というと?」
「だからテストを思い浮かべて、それを今度は意識しないようにするでしょ?そのときに無理に別のことを考えようとするんじゃなくて、もっとゆっくり、ふんわりとそれを扱ってやるの」
「ゆっくりと、ふんわりと。か……」
砂の言葉を反芻して僕は目を閉じる。
やわらかく思考を流動させて、意識を宙で弄ぶ。
事実、過去という不変であるはずのブラックボックスをくるくると回して、つついて、浮かして、ぱくっ、ぺっ、また回して、こついて、撫でて、ふうってして、浮かして、吹きかけて、つついて、叩いて、なでて、浮かして、回して、浮かして、回して、撫でて、叩いて、叩いて、撫でて、舐めて、浮かして、ぷかってして、ぺってして、撫でて、回して、舞わして、廻して、叩いて、ぶっ叩いて、噛みついて、踏み潰して、潰せなくて、壊して、壊せなくて、撫でて、舐めて、頬擦りして、話し合って、語り合って、隙をついて壊して、壊せなくて、浮かして、ぷかぷか、そして壊して、変わってほしくて、変わらなくて、壊せ、壊せない、撫でて、つついて、頭を撫でて、頭なんてなくて、壊せ、変わってほしくて、壊せ、壊せ、変われ、変われ、変われ、変われ、変われ______多分、変わらないんだろうなと絶望して。
頬が弾けとんだ。
時間差でやって来るヒリヒリとした痛みで、僕は砂を向いた。
「やる気……あんの?」
声を聞くと怒っているようで、顔を見るとあまり怒ってないように見える。だが実は滅茶苦茶怒っている。今の砂は怒っているし、僕を頭の中で何回か殺しているに違いない。出会って数週間の仲だが、彼女の癖のある性格は何となく分かってきた。
「ごめん。集中を欠いた。やっぱり、うまくいかないね」
砂は暫く僕を睨み付けた後、ふうっと息を吐いて落ち着いた表情をした。
「えぇ、そうね。でも私も悪いのかも」
片腕を擦って俯く砂に、僕は驚いた。
「いや、別に砂は……」
「私、あなたに偉そうな口をきいておきながら、これだけ時間が経ってもあなたに能力のことを教えてあげられない。教えるの下手だから……。おまけに、あなたに八つ当たりして、私……ごめん、私、偉そうにあなたに協力を頼める資格なんてなかったよね。勝手にあなたを巻き込んじゃって、本当に自己中で……」
だんだんと声が小さくなっていき、何を言っているのか聞き取れなくなった。
いつも強気で怒りっぽくて、それでいて時々人をからかうような態度をとる彼女が、こんなにうちひしがれているのは初めて見た。
僕はどうしていいのか分からず、どう声をかければいいのかも分からなかった。
再び、頬への衝撃_____だが今度は弾かれるのではなく、両側の頬をぎゅっと、押さえ込まれた。
「真衣は……こんな感じだった?」
すっかり冴え渡った砂の瞳を見て、僕は演技だったのだと気づく。
「ねぇ、真衣は……こんなこと言ってた?」
「……いや……」
お互いの前髪が触れあうほど近づく。砂の吐息が僕の睫毛を揺らす。
「彼女のことをよく思い出してあげて……」
砂の唇から紡がれる言葉が、一字一句漏れず僕の鼓膜を揺らす。
僕は、呼吸すらできなくて、ただ虚空を飲み込むことしかできなかった。
「そして……一丁前に狂った振りなんかしないで……」
ぱっと彼女は僕を解放し、ぽんと肩を叩いた。
「ま、あたしの指導が悪いってんなら能力で何度も巻き戻してレッスンメニューを改善するまでだしね」
得意気な顔で、砂はいつもの調子で笑って見せた。
その笑顔に僕はきっと、悪い意味で救われているのだろう。
「……ありがとう。砂」
「……えぇと……うん、どういたしまして……なんか変な感じ。気味悪いっていうか……」
「気持ち悪い?」
「うん、そんな感じ」
「そりゃどうも」
君で二人目だ、とは言わずに僕は肩をすくめた。
それにしても、本当に自分は本質的に気持ち悪いのかもしれない。見る人の何かを害するような、そんな成分でもあるのだろうか。なにぶん初めて出来た恋人があまりにも可憐で清楚な方だったもんで、自分の本質を長らく忘れていたのだろう。
僕は気持ち悪い。今一度心のなかで繰り返した。
「それじゃ、今日の練習は終わりにしようか。あそうだ!マナメ、今日晩御飯食べてかない?モーバも来るんだけど」
「あぁ、いいね。それじゃお邪魔しようかな」
そういって僕は、いつの間にか僕や砂の足で揉みくちゃにされていたテストを拾う。が、紙がコンクリートの床と密着していてうまく拾えない。
紙の端を爪で剥がそうとしても昨日切ったばかりだった。能力で爪を切らなかったことにできればいいなぁと思いつつ、指の腹で紙を拾おうとする。
______あ。
「……砂、もう少し練習してもいいかな」
砂の返事を待たずに、再び僕はテストと向き合う。
馬鹿馬鹿しい話だが、そもそも過去を変える能力というものが馬鹿馬鹿しいものなのでご了承いただきたい。要するに、イメージの問題なのだ。
「……って、言ってる意味わかる、砂?」
「いや、全く。急にどうしたの?」
「まぁ、見てて」
僕はテストに一瞬、意識を向ける。これはさっきまでと変わらない。重要なのはここからだ。
思い浮かべるのは____機械の音、人の足音、ファンの回る音、メダルが積もる音、複数の筐体が奏でる電子音、透き通った髪、白い頬、しっとりとした瞳、薄い唇、細くて切ない腕、液晶画面を撫でる指___。
そう、麻目真衣だ。美しくて、正義の芯がしっかり通っていて、僕が初めて好きになった人。彼女に突き動かされた汚い僕は、彼女に想いの丈を伝えた。そして、僕でさえも肯定してくれた。
彼女が電子の世界で音を奏でる様は妖艶で、純潔で、心臓が握りつぶされるようだった。彼女の清楚を、機械のリズムが、電子の音が、甘ったるい色をしたあの世界が食い潰すのではないかと。
だがそれでも僕は目が離せなかった。彼女の指先から。
あれは、寄り添うでも、突き放すでもない__彼女にしかできない舞踏だった。
あの指を今、思い浮かべる。
名詞も、オノマトペも必要ない。
ただ彼女が___真衣がいれば。
ブラックボックスに、触れる。彼女が僕の手に自分の手を重ねた。
____僕は幸せだった_____。
肩を揺さぶられて目を開けると、砂が何やらはしゃいで喜んでいた。
僕もしゃがんでテストを確認すると、点数が二倍になっているものや、半分(つまり赤点)になっているものなどがたくさんあり____つまり、成功していた。
初めて自分の意思で、過去を変えられた。
その事実に改めて自分が現実とは分離した境地に置かれているのだと実感する。
「マナメ、お疲れ様。これで、一歩前進したよ」
安堵の表情を浮かべる砂。だが僕はなんだか心が落ち着かなくて、目の前の成功に素直に喜ぶことが出来なかった。
数分前の自分と、今の自分が全く別の存在になっているような_____。
結局、僕の中には何もかもが侵入してしまったわけだ。過去を変える力も、時を渡るこの少女も、真衣を失った事実も____僕の薄氷でできた防衛線を容易く撃破してしまった。
いやほんと、気持ち悪い。
「マナメ、大丈夫」
疑問ではなく、僕を安心させるために砂は僕に語りかける。
「真衣はきっと、ずっとあなたの側にいたかったと思う」
「___そうか」
それならいい。幸せだったとか、僕のことが本当に好きだったとか、そんなことを言われたら腹が立つけど。いくら僕が彼女を好きで、本当に幸せだったとしても、そんな言葉で飾られるのは反吐が出る。
真衣との関係にはあまり名前をつけたくなかったし、彼女との思い出こそ確固たる事実として保存しておきたい。脚色も編集も必要ないし、ずっと箱のままであって欲しい。
その方が管理はしやすいし____捨てやすい。
ならば、怯える必要もない。
彼女との思い出は不変で、それを使って僕は過去を変えられるようになって、それで僕は____やっぱり気持ち悪い。
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