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拾四話
○空純朦罵
「この街には神様がいるのよねぇ」
「へー。そうなのか」
「その神様は潮風が大の好物でねぇ」
「そうみたいだね。幽衣から聞いたよ」
「でも街の人間がある日ぽっくりとその神様のことを忘れてしまってねぇ」
「突然にか?不思議なこともあるもんだな」
「そんで神様がぶちギレちゃってねぇ。街をめちゃくちゃにしてやろうって意気込んでるわけ。わかった?」
「よくわからん」
「よくわからない」
俺と真無目の即答に、砂は嘆息してからエビピラフを掻き込んで水で流し込んだ。
「ふぅ。やっぱ一から説明するほかないみたいね」
「だから最初からそのつもりだって。全部説明してくれるんだろ?」
「そうなんだけど、やっぱ全部ってなると面倒でさ。
文字通り時系列が複雑だし」
「あぁ。確かこの世界は一度今年の10月まで進んでるって話だったよね」
真無目の口から飛び出す衝撃の事実。俺は思わず悲鳴をあげて真無目に問いただした。
「おい、それほんとなのかよ!」
「あぁ。僕も記憶はないけど、僕らは皆等しく、10月までの時間を一度は体験している」
真無目の説明に下を巻いて、俺は事の異常性を再び実感した。
「確かにそのとーりだけど……あんたなんで知ってるの?」
「幽衣から……真衣の妹から聞いたんだ。10月に神社でとある女の人と出会って、いつの間にか今年の4月まで時間を遡っていたって」
「……そう……そんな……」
水の入ったコップを片手に握りしめ、何やら考え込む砂。
「でも、待てよ。時間が戻ったって言うんならどうして麻目の妹には記憶があるんだ?普通俺たちみたいに忘れてるはずだろ?」
俺はまず第一に浮かび上がった疑問を呈してみる。
「そうなんだ。僕もおかしいと思った。だから、砂なら何か知ってるんじゃないかって……」
俺と真無目は答えを得ようと揃って砂を振り向くと、彼女は顔を真っ青にして右手首を握りしめていた。
「ねぇ。砂は真衣とはどんな関係だったの?結構深い仲だったんだとは思うけど、なんだか……」
真無目が言葉に詰まる。その先を紡ぐのが難しいようだ。
「………本当は幽衣だったの」
砂が掠れた声で言葉を紡ぐ。
「どういうことだ?」
「加護を受けるのは、本来なら幽衣の役目であり、権利だったということよ」
砂は顔を上げて、覚悟を決めたような面持ちで俺たち二人を見据えた。
「加護って、どういうことだ?」
「加護は加護よ。代々受け継がれてきた二種類の力」
「それって……僕と君の……」
「そう。本当は能力じゃなくて加護っていうの。呼び方なんてどうでもいいかもしれないけどね。でも本来この二つの力は、麻目家の人間に引き継がれていくはずだった___」
「それって、本来ならお前ら二人の力は麻目と麻目の妹のものだったってことか?」
「そうだよ。本当ならあの姉妹が父である麻目寿弘から受け継ぐはずだった。でも、真衣はそれを拒んだ」
「力を授かることを拒否したってことか?」
「いや、逆なんじゃないかな……」
砂ではなく真無目が俺の疑問に答える。
「彼女はきっと、力を二つとも授かろうとしたはずだ。幽衣に負担をかけないために」
「……よくわかってるじゃん。そう、真衣は必死に父に懇願して、一人で神社に奉仕する道を選んだ」
「でも、どういう経緯で僕らに力が引き継がれたのか。それは僕には分からない。……教えてくれないかな?」
「……それは私にも分からない。ある程度推察することはできるけど、確証はない。ただ言えるのは、真衣はこの街に殺されたということよ」
真無目の目付きが鋭く変化する。
「……どういうこと?」
「彼女はこの街の守り神に殺されたっていうことよ」
砂が言い終えると同時に真無目は立ち上がって拳を振り下ろしかけたが、事前にそれを察知した俺は慌ててえその手を止めた。
「おい、落ち着けって。砂も……もう少し言い方があるだろ」
「本当のことなんだから仕方ないよ。今さら信じられないと言われても困るし。現に私たちは時間を超越するなんて摩訶不思議なパワーを持ってるじゃない。それの起源がこの街の神様で、その神様が今度はこの街全体に罰を下そうとしてる。それを止めるって話じゃない」
一歩も引き下がらず砂が言う。
「おい……待てよ、じゃあ例の"龍令"とかいう災害も神様の仕業だって言うつもりか!?」
「ええ、そうよ。読んで字のごとく"龍が令する災厄"。この街が信仰心を失ったツケを、龍の姿をした神様が払わせに来るってわけ」
あまりに話が飛躍するので俺は目眩がして、真無目の手を離して椅子に座る。
「ほんと、この街ってなんなんだよ」
「……別に、この街が特殊な訳じゃない。どの地域にもそれぞれ神様みたいな存在はいるし、性格もそれぞれ違う。天罰を下すことだってよくあるよ。ただそれが罰として認識されていないだけ」
「それは、全部真衣から聞いた話か?」
まだ瞳に静かに怒りを湛えている真無目が砂に問う。
「えぇ、そうよ。全部あの子が教えてくれた。といっても、最初は全部作り話だと思ってたけどね。あの子はいろんなことを教えてくれた。偶然あの神社に迷い込んだ私と友達になってくれて……少なくとも、私にとっては唯一無二の親友だった」
砂が右手首を解放して、姿勢を正して真無目と向き合う。
「受け入れられないかもしれないけれど、本当なの。彼女は最後まで巫女としての役割を全うした。だから、私たちにはまだ加護が残っているの」
真無目は視線を落とし、自らの手を見つめた。
「この街の神の……ツジガミ様の怒りを買って、10月のあの日、"龍令"が起こった。彼女は犠牲になってしまったけど、私たちに加護を引き継ぐことには成功したの。だから私は、ここに戻って、試行錯誤を繰り返して、仲間を手にいれた」
砂が真摯に俺たちを見つめる。
この少女は、俺達の何倍も事の重大性を知っているし、俺達より遥かに長い時間苦悩してきたに違いない。そしてその末に、俺たちを頼った。俺と真無目と砂。それぞれに役目があるのだ。
「……作戦を」
真無目がか細い声で呟く。
「作戦を……早く教えてくれ」
しかし決意を固めた声だった。
それを聞いて嬉しく思ってのか、砂は微かに笑って戸棚から写真を一枚取り出した。
「なんだ、それ……」
「前に私が撮った写真。真衣の、神楽の写真だよ」
写真には、巫女服を着て踊っている少女の姿があった。
「これ……麻目か?」
「真衣だね……ほんと……」
隣を見れば、真無目が涙を一筋流していた。恐らく本人も気づいてないくらいの細い軌跡。なんだか、こいつには涙が似合っているなと考えてしまった。実際、麻目がいなくなってこいつは何日も涙を流したのだろう。俺が父がいなくなった日にそうしたように。
だが真無目は、俺とは何かが決定的に違うような気がした。
きっと、乗り越え方が違ったのだろう。
「……全く、惜しい事したよなぁ?」
そう言って俺は真無目の方を叩いた。
真無目はクスッと笑って、
「うん……そうだね」
と写真を握りしめた。
「綺麗でしょ。でも実物はもっと綺麗だったんだから。真衣の踊りは、いつも私の心を揺さぶってくれて、私はいつも彼女の神楽を楽しみにしていた」
「お前、麻目家でもないのに神社のこと知ってたんだよな。どうしてだ?」
「偶々迷い込んだんだよ。いろいろと悩んでいるときに、森の中へ入ってあの神社を見つけて、躍りの練習をしている真衣と出会った。それからよく遊びに行くようになって、真衣のお父さんから許可をもらって神楽の見物もさせてもらった。彼女はいつもひたむきに努力していた。この神楽が街を救うんだって……ほんと、可愛かった。でも結局、彼女は神様に消された」
「そんな話、一度もしてもらったことなかったよ」
「うん。きっと真衣はあんたには話すつもりはなかったと思う。あなたに負担が掛かるだけだから。それに真衣は神社にいるときの自分と、日常生活での自分を完全に切り離していた。学校でも私と真衣はほとんど会話を交わす事はなかったし、神社でも私生活の事は何も話さなかった。きっとそうやって耐えてたんだと思う」
苦々しく言う砂に、俺はこれ以上過去の話をさせたくはなかった。
「なぁ、結局俺達はどうすればいいんだ?その神様とやらの天罰を防ぐって言うけどよ、何をしたらそんな事が可能なんだ?」
「......私達で神楽を行う。それでツジガミを呼ぶ」
「そんな事ができるのか?」
「やり方は分かってる。呼び出すこと自体は私達だけでも可能だよ」
「でも呼び出してどうするんだ?三人で必死にお願いするっていうのか?」
そもそも神様を呼び出す、という時点で理解不能だ。砂のいう龍の姿をした神とやらが出てくるとでもいうのか。
「神様と会話なんてできないよ。ただ、交換するだけ。こちらから何かを差し出して、向こうに"龍令"を止めてもらう。それだけ」
「それで、僕らは何を差し出せばいいんだ?」
真無目が不安な眼差しで砂を見つめる。
「あぁ、ちょっと待って」
そう言って、一旦台所に戻った砂は手のひらサイズの麻袋を持ってきた。
「なんだ、それ?」
「この街の海で取れた塩。これでお願いするの」
俺と真無目はしばらく沈黙した後、二人揃って頭を抱えた。
「いや、そんなんでいいのか!?」
「ええ。これで十分」
「自然災害を起こすほど怒っている神様を鎮めるんだろ?それだけでいいのか?」
「大丈夫、これでいいのよ。大事なのは、私達三人がこれをツジガミ様に渡しに行くこと。今のツジガミ様は、麻目家を除いて街の人間に見向きもされなくなっている。ずっと一つの一族に世話をされ続けて、自分が腫れ物扱いされてると思っているの。でもそんな所に麻目家でもない少年少女が三人。神様の大好物を持って可愛くお願いしに来るの。するとどうなると思う?ツジガミ様は、自分をまだ信仰してくれる子供達に胸を打たれて、再びこの街を護ろうと心を入れ替えてくれる......感動的なエピソードだと思わない?」
俺と真無目は__________呆れてものも言えなかった。
「......じゃ、じゃあ僕の能力はどこで使うの?今まで練習してきたのは......」
「ええ。それもツジガミ様におもねる為の作戦。私達が持ってる二種類の加護はツジガミ様が麻目家に与えた力の一部分なの。本来受け継いだ者は前任者による適切な指導の元、能力の使い方を学ばなければならないんだよ。それを使い方も分からずに無下に扱っていたら、尚更神の怒りを買うだけ。だから自在にコントロールできるように訓練して、授かった力を大切に扱ってますってことをツジガミ様に伝えなきゃいけないってわけ」
そう言って台所で食器の片付けを始めた砂に、俺は何だか置いてけぼりにされた気がした。
「でも......安心したよね」
隣で真無目が顔を綻ばせる。
「まぁ、神様と対峙するって聞いたときはどうなるかと思ったけどな。結局はちょっと不思議な参拝って程度で済みそうだ」
「あぁ。よかったよ。本当に」
「......そうだな」
「ねぇ、誰も手伝ってくれないの?」
台所からの砂の声に、俺と真無目は目を合わせ、笑った。
***
作戦の決行日は明後日の8月14日ということに決まった。本来なら"龍令"は10月に下されるようなのだが、早めに神頼みしても損はないだろう、とのことだ。
その決定事項を砂から伝えられ家へ帰る道中、俺は久々に鉄塔に寄った。
しばらく登ってなかったその針金細工を腹筋と腕力を使ってゆっくりと登って行く。
いつもの定位置について、足を投げ出す。
夜の穏やかな風が吹いて、前髪を揺らした。
相変わらず、この鉄塔は俺の望むものを与えてくれる。
_______望むもの__________。
俺の望むものは退屈の対義語。
そして_________
胸元に収まっていた無線機からお呼びの声がかかる。
応答すると、俺の予想していた人物の声が聞こえた。
声の主は泣いている。気が動転していて、俺に必死に謝ってくる。
だが俺は、相手を一切責めることはなく、感謝すらした。何故なら、俺の望むものを渡してくれるというのだから。
無線を切り終え、空を眺めた。
色が黒に塗りつぶされる夜の世界では、海と空は全く同一のものだ。ただ上にあるか、下にあるかの違い。
黒く蠢く何かが世界を挟もうと街へと接近してくる。
それは雲であり、さざ波だ。
時折雲の隙間から垣間見える月の光が、街を獲物として睨み付ける眼光となり、俺の視界を容赦なく眩ませる。
俺はただ、目を閉じて足をぷらぷらと揺らした。
それに伴って上半身もゆらゆらと揺らして、体が前後に揺れて、なんだか楽しくなって。
「へへっ。.......へへへへへへへへへへ」
あまりの嬉しさに、歓喜が止まらなかった。
深まっていく闇の中で、顎をけたけたと震えさせたながら明後日を夢想した。
一足早い、明後日の日付を夢想した。
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