拾五話

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拾五話

○何時傘真無目 8月14日。全てはこの日のためにあった。 *** 夏休み真っ只中である僕は、朝の五時に起きろと言われると、朝の五時まで起きていようかな、などと考えてしまう。それだけこの長期休暇は人の生活リズムを狂わせるものなのだと実感した。 だが結局数時間ほどの睡眠をとって、朝の5時に僕は神社まで自転車を走らせた。 二人とも既に到着していた。 砂がビニール袋を地面に並べていて、その横で朦罵が眠そうに目を擦りながら突っ立っている。 「おはよう」 「おー......おはよ......」 朦罵の弱々しい応答に苦笑して、僕は砂の元へ向かう。 「おはよう。何か手伝おうか?」 「おう、おはよう。大丈夫だよ。私一人で準備したほうが早いからさ」 と、ビニール袋から白い装束を取り出した。 「それ、巫女服?」 「そーそ。通販で取り寄せたの。コスプレ用のやつだけど、雰囲気出るかなって」 砂は巫女服を両手で広げて、自分の体に当ててサイズを確認した。 「じゃ、着替えてくる」 そう言って本殿の裏へ向かった。 朦罵はというと、参道に続く階段に座り込んで船を漕いでいた。 起こさずに、隣に座った。 まだ日が出て間もないため、外の気温は比較的涼しかった。首筋を風に撫でられ、僕も朦罵と同じように眠りに落ちそうになる。 着替えを終えた砂がやってくると、僕は朦罵を起こした。 「あー、眠い......こんな朝っぱらからやる必要ないだろ?」 朦罵が目を閉じながら不機嫌そうに愚痴を溢す。 「朝の方が気温が低いから躍りに集中しやすいの」 ぶっきらぼうにそう言って、本殿の方へ歩き始めた。 「それじゃ、始めるから......あんた達二人はそこで並んで立っていて。あとマナメ、あんたはこれ持ってて」 砂が僕に塩の入った袋を押し付ける。 そこそこの重量があった。 「その服......」 「ん、何?」 「いや、似合ってるなって思って」 「そう......ありがとう。でも真衣の方が似合ってた。私の知る真衣はいつもこの巫女服を来ていたから......私にとっては本当に神に仕える妖精のような存在だった。私がこの服を着るなんて、なんか変な感じ.....」 そう言って頭の後ろで結んだ団子を弄る砂。 きっと、緊張しているのだろう。神を呼び出すという行為にではなく、ずっと傍らで見てきた真衣の踊りを自分が披露するという事に。 「あのさ、砂......」 「......何?」 ナイーブな面持ちで砂が顔を上げた。 「真衣みたいに踊ろうって考えてるでしょ。それでもいいよ。砂にしか出来ない舞踏を、なんて事は僕は言わない。......でも、僕は君のどんな踊りも、歌も、君自身のものとしてしか見れないんだよ」 自嘲気味に、僕は自分の右手首を握りしめた。 「僕は、真衣の踊りを見たことがないから......もう見ることはできないから。君の歌舞が僕の最初で最後の神楽になるんだよ」 僕のこの気持ちは、きっと後悔とはまた違ったものなんだろう。砂のように時間を遡る力があったとしても、きっと僕に真衣の踊りを見ることは叶わない気がする。 きっと僕が拝めるのは、やはり液晶画面で光の粒子を操る、あの舞いだけなのだ。神社ではなく、ゲームセンターのリズムゲームで。巫女服ではなく白のブラウスとデニムスカートの彼女の。あの指の動きこそが、僕の過去として存在する唯一の歌舞だ。 「......ふふっ。あんたって本当変な人」 くつくつと笑って、砂が僕の肩を叩いた。 軽く____次第に強く。そして最後の一叩きを終えると、本殿の前へと歩き始めた。 僕は朦罵の隣へと戻り、塩の袋を再び抱えた。 「いよいよ始まるみたいだな」 「あぁ、そうだね」 砂が何らかの作法のような動作を終えると、胸に手を当てて歌を歌い始めた。 きっと神を呼び出すに当たっての前奏のようなものなのだろう。歌詞は古い日本語なので聞き取れないが、僕にもう少し古典の教養があれば聞き取れるくらいの簡単な民謡なのかもしれない。 やがて、舞いが始まった。 手足を軽やかに振り上げ力強く足を踏みしめる砂の踊りは、なんてことはない、いつもの彼女の姿だった。 小刻みに足を動かして、歌を歌いながら時折激しい動きも織り混ぜる。音調は一切乱れることはなく、それどころか変則的なリズムを取り入れて奇抜なステップを挟んだりする。そして終盤では、打って変わって丁寧な足運びをしていた。歌声にも心なしか張りがなくなったきて、何かを名残惜しむように砂は歌い終えた。 歌舞はこれで終わりだろうか、そろそろ塩を持って行った方がいいだろうか、と僕が考えていると隣から肩を叩かれる。 「真無目......ありがとな」 唐突に朦罵から発せられたその言葉の意味を僕が理解する前に、強烈な地響きが起こった。 大地が脈動し、空は瞬く間に暗闇に包まれる。 あまりにも突然な世界の終わりを彷彿とさせる光景に僕は唖然とする。 だが朦罵は、こうなる事を分かっていたかのように、表情を一切変えず走り出した。 舞いを終えた砂の元に。 一筋の雷が落とされる。 それを皮切りに土砂降りの雨が振り出し、一瞬にして視界が悪くなる。 全身に叩きつけられる雨風を顔に手をかざして耐える。朦罵と砂の所へ向かおうと思い、僕も重々しく一歩を踏み出す。 再び雷が落とされた。どこに落ちたのか分からないが、閃光と音のタイミングが一致していた。ここもじきに危ないのかもしれない、とそんな事を考えていると、不意に視界が晴れた。 空を覆っていた雷雲が速やかに消えて行き、雨もピタリと止んだ。 一瞬にして過ぎ去った嵐に動揺しつつも、僕は即座に本殿の前へと駆け寄った。 「砂、大丈夫か!?」 地面に膝をついて俯いている砂の元へ行く。 巫女服が濡れて前髪からも雨水が滴っているが、そんな事はまるで気にせず砂は地面の砂利を指で弄んでいた。 「砂、おい。どうしたんだ。朦罵はどこだ?」 肩を揺さぶっても僕の問い掛けに応えることはない。 「なぁ、成功したのか?ツジガミ様の説得は出来たのか?おい、砂!」 消えた朦罵と、呆然とする砂。僕は胸を掻き毟られるような焦燥を感じて砂に訴えかけた。 「......ん?あぁ、マナメ。終わったよ」 ようやく僕に気づいた砂が、ささやかな笑みを湛えて終了を告げた。 「終わったって......"龍令"は止められたってことか?塩は全然使ってないけど」 「あぁ、それね。全部嘘なの」 砂が立ち上がって服の裾を払う。 「これが......私の"作戦"だよ。騙してごめんね......マナメ」 彼女はいつもの好奇心溢れる無邪気な笑顔ではなく_______ただ諦観しているような乾いた笑い声を上げた。
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