拾六話

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拾六話

○何時傘真無目 8月31日。 夏休みの最終日だ。 僕は今日も、神社に来ていた。 正面の階段に座って、あの日朦罵が座っていた場所に腰を下ろす。 この神社は今や僕の中で真衣と朦罵の墓所という立ち位置になりつつある。きっとここにいることで、僕は少しでも彼らとの繋がりを絶たれずにいられるのだろう。 「なーんつってね。過去なんて過去でしかないのに」 死人は死人でしかないのに。 「先輩!何かぶつぶつ言ってますけど、ちょっとこっち来て手伝ってくれませんかー!?」 階段の下で幽衣がバケツを両手にぶら下げていた。 打ち水用の水を運んできたのだろう。僕は即座に階段を下りてバケツを一つ受け取った。 「ありがとうございます。あ、あとアイス買ってきたんで、水撒き終わったら一緒に食べましょう」 幽衣がバケツに隠れたビニール袋を見せてくる。 それから、幽衣と一緒に神社の手入れをしてから、木陰に腰を下ろして休憩した。 「あー、暑い。先輩よくこんな所毎日来れますよね」 「幽衣も毎日来てるじゃないか」 「私はちゃんと麻目家としての責任がありますから」 自慢げにアイスの袋を開封する幽衣。 先日この神社で幽衣から真衣の失踪の話を聞いてから、幽衣とはしばらく会ってなかった。連絡は取り合ってたものの、お互い会おうとは言い出さなかった。 幽衣はあれから毎日、この神社に来て何かしらやっているらしい。草むしりとか水撒きとか、あるいは何もせずただ木陰に座ってぼーっと1日を過ごすこともあるようだ。そういえばあの日砂が待ち合わせを早朝にしたのも、幽衣と遭遇する事を危惧したからなのかもしれない。 「......あ、当たりだ」 僕が食べていたアイスの棒に"アタリ"の文字が刻まれていた。 「あー、ずるい!私のなのに!」 幽衣が隣で悲鳴を上げた。 と、同時に怪訝な表情を浮かべる。 「......あれ?私......」 僕は驚いて、恐る恐る当たり棒を幽衣に差し出す。 「そんなに欲しかったんならあげようか?元々幽衣が買ってきたものだし」 「あ、いえいえ!違うんです、今のは何か......思わず言葉が出ちゃったみたいな......」 「へぇ......大丈夫?」 「いやいや!今のはほんと、私がおかしかっただけですので、気になさらず。先輩はもう一本アイスもらって来て下さい、ほら、ほら!」 と、半ば強制的に駄菓子屋まで向かわされた。 「全く、どうしたって言うんだ?」 と呟きながら街まで降りてきた。 先程幽衣が持っていたビニール袋のロゴを思い出して、あのアイスはこの辺の駄菓子屋のアイスだったと考えた。 見慣れない住宅街をなんとか通り抜け、田園が拡がる場所へ出る。 「確かこの辺だったんだけどなぁ」 なんとか道を行ったり来たりしながら、三十分ほどかかって駄菓子屋を見つけた。 「あのー、すみません」 ガラス戸を開けて中に入る。 中には懐かしい駄菓子の数々が陳列されていて、店員らしき人は誰もいなかった。 「あのー!」 「今は少し出掛けてるみたいよ」 聞き覚えのある声に振り向く。 入り口のすぐ隣で、一人の少女が腰かけていた。 「......幽衣」 それは、麻目幽衣に違いなかったが、髪を下ろして服装も落ち着いた清楚なものに変わっていて_________麻目真衣を模していた。 「幽衣。実は、もう僕には過去を変える能力なんかないんだ」 僕が言っても、幽衣は口に手をあてて笑った。 「何言ってるの真無目。私と幽衣を間違えるなんて......失礼しちゃうわね」 僕は思わず耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。 口調さえ変われば、声がそのまま真衣のものと同一なのだ。目の前の少女が幽衣だと分かっていても、顔も髪も服も声も全てが真衣を彷彿とさせる。 「なぁ......頼むから」 「あぁ、真無目も当たったのね。あーでも、店員さんいないから受け取れないのね」 そう言って真衣は、幽衣はアイスボックスからアイスを一本取り出して、レジにお金を置いた。 「はい、これ」 真衣が手渡すアイスを受け取る。 「......ごめん」 「ありがとうでしょ?ほら、ここ座って」 真衣の隣に僕は座った。 冷房も効いてない薄暗い駄菓子屋で、僕らはアイスを食べた。 「最近、どう?」 真衣が僕に尋ねてくる。 「まぁ......最悪って言いたいところだけど......実のところそうでもない。感情が良い方向にも悪い方向にも動かないし、ただなんとなく時間だけが過ぎてる感じ」 「......そう。何か楽しいことなかったの? 友達と海とか祭りに遊びに行ったりして」 「それなら君と遊びに行った方が楽しいよ。君と一緒にいるだけで......」 「またそんな事言って。そんなんじゃ楽しくないよ?」 「そうなのかな。......実は少し前まではいたんだ。友達が」 「へぇ、仲良かったの?」 「うん。最初は、なんだか変なきっかけで集まったけど、でも次第に彼らといるのが心地よくなった。......祭りにも行ったし、あの日の事がなければきっと海にも行ったんだと思う」 「ふーん。でも、喧嘩しちゃった?」 「そうだね。ちょっとしたすれ違いってやつかな」 「そう。......でも仲直りするんでしょ?」 「さぁ、どうだろうね。でもきっとどちらかが謝ったって解決する問題じゃないと思う」 「そっか。......でも別に謝らなきゃ仲直りできないって事もないでしょ? お互い膝を突き合わせて、自分の気持ちに素直になればいいんだと思う」 真衣が僕の手を優しく握った。 「私達だって、そうでしょ?」 彼女の瞳に、僕は心の糸が解かれていくのを感じた。 「うん......そうだね。まぁなんとかやってみるよ」 「それがいいよ」 そう言って真衣は上半身を僕に預けて、僕の胸に耳を押し当てた。 「......えっと......どうしたの?」 「ん?別に......なんだか久しぶりにこうしたくなって......」 「......そう。なんだか恥ずかしいんだけど」 「もう、これくらいいいでしょ。私、これでもあなたの彼女なんだからね?」 「......」 そっと彼女の背中に手を置いた。 暖かくて、生命の脈動を感じさせる背中だった。 ずっとこうしていたいと思った。 幸せの意味が、生まれて初めて僕の中に浸透していく。 _______しばらく経った後、真衣が起き上がって僕の頬に顔を近づけた。 僕は何も感じず、静かに目を閉じた。 「ごめんなさい、先輩。こうでもしないと渡せないんです」 頬に何かが触れ、僕の視界が弾けとんだ。 アイスの棒を床に落として、僕は震える頭を抱えた。 痛みを一切感じることはなく、ただ脳の中でからからと音が鳴っているだけ。 どうしようもなく不快だった。 「......幽衣?」 顔を上げると、真衣の姿はなかった。 ______いや、今の幽衣だった。 未だにこうやって真衣と混同してしまう辺り、僕は何も変わっていないのかもしれない。 それにしても、今の幽衣の行為の意味はなんだったのだろう。僕が加護をツジガミ様に返却したことを幽衣は知らないが、今のやりとりで僕に過去を変えさせようとしていたとは思えない。 「......なんだったんだ、一体......」 僕は先程落としたアイス棒を拾い上げる。 "ハズレ" "アタリ" "ハズレ" "アタリ" _________変わっていた。 僕が引き当てたアイスが、現在進行形で変化していた。 この現象は、見間違えるはずもない。"過去を変える"加護だ。 神に返したはずの力だった。 思い当たるきっかけは一つしかない。 今しがた、幽衣が僕に触れた時にこの加護を僕に授けたのだ。 だが何故幽衣がこの加護を持っていたのか。理由はさっぱり分からない。 ______なら、聞きに行くしかないだろう。 きっと彼女は、まだ神社で待っているはずだから。 先程までここにいたのは、あくまで麻目真衣ということになっている。 僕の可愛い後輩である麻目幽衣は、今日も神社で水を撒いているはずなのだから。
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