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拾九話
○何時傘真無名
既に僕が神社から駄菓子屋に行くまでにかかった時間はとっくに過ぎている。なのに未だ僕は住宅街を抜けられていなかった。行きより帰りのほうが手こずるなんて思っていなかった。
はっきりと覚えてはいないが、なんとなくY字型の道路が多かった気がする。そのせいで行きに対して帰りがこんなに面倒なのだろう。
僕は猛暑の中、必死に走り続けた。
早く神社に辿り着きたいのではなく、早く幽衣と話し合いたいのではなく、早く僕が何をすべきなのかを見つけ出さなくてはならないと思ったからだ。
僕は______朦罵を生き返らせる。というより彼が犠牲になった過去をなかったことにする。あるいはねじ曲げる場合を検討する。
それができるかどうかはさておき、仮にできたとして、その場合はどうなるだろうか。
朦罵が生きている場合神楽によって別の誰かが犠牲になるか、あるいは神楽は執り行われず街に甚大な被害が出る。その人達の生死を決める権利は僕にはない。
ならば、このまま何もせずに日々を過ごす場合はどうだろう。砂とは僕から歩み寄って行けば、また前みたいに友達でいられるだろうか。そして幽衣とも、今まで通り放課後に一緒に帰ったり、休日にはたまに出掛けたりして_________幽衣に恋人が出来たらどうなるかは分からないが、きっと悪くない日常が続くだろう。
朦罵のことも。いつしか忘れるのかもしれない。
砂が言うには、彼は自ら死を望んでいたようだ。ほんの数週間の付き合いでしかない彼の心境は僕は想像すら出来ないが、彼は神楽で犠牲になることを了承していたらしい。
そんな______ふざけた欲求を通されては、僕には何も残らないじゃないか。
罪悪感も無力感も喪失感も。
朦罵______君がそう望んだなら、僕は何も言えない。
僕は一旦立ち止まって、額を伝う汗を拭って青空を見上げる。
雲一つない晴天で、太陽が無遠慮に大地を熱する。
ふいに、あの神楽の日の事を思い出す。
あの時も空は晴れ渡っていたのに、突如雲に覆われて豪雨が降り注いだ。その中で、朦罵はこの世から消え去った。真衣の時もそうだったらしい。
______彼らは、他の道を考えられなかったのだろうか。
平穏な空を見上げて僕は考える。
彼らはただ、切羽詰まって焦り過ぎていただけなんじゃないだろうか。あの鳴り止まない雷雨が彼らを死の道へと至らしめたんじゃないだろうかと、僕は半ば夢想のような想像をする。
彼らは、この青空の下でも死に逝く事を選択出来たのだろうか。
「......まぁ、君達の意思は固かったんだろうけどさ」
天候なんて関係なく彼らには覚悟があったのかもしれない。
自分の意地を貫き通す覚悟が。
そして、彼らが逝ってしまう度、僕は何もできなかった。
真衣がいなくなった時は反社会的人間が聖女に救われた、みたいな面をして。
朦罵がいなくなった時は心の拠り所を失った可哀想な狂人の面をして。
一度真衣に置いてかれた事に苦悩して、答えを見つけられなくて、幽衣とじゃれ合って傷を舐め合って過ごしている内に何がなんだか分からなくなって。
真衣が最も信頼していた砂と出会って、彼女から真衣の使命の事を聞いて、僕はただ過去を振り返っただけだった。
自分の過去の幸福を振り返っただけで、未来を見据えなかった。
その結果、朦罵が嵐の中で消えてしまって_________。
あぁそうだ。僕はまた置いてかれたんだ。
心に迫り来る波を避けたり耐えたりして、日々を過ごしていた。自分で自ら行動する事なんてなかった。
僕が最後に、自ら進んでやった行動は______やはりあの時だ。
今から一年程前。放課後に僕は教室に残って生徒会の仕事をしている彼女に、想いを告げた。
僕、自らの意思で。
あの時、僕を突き動かしたものはなんだっただろうか。
僕は彼女に、自分を見て欲しかったし、肯定して欲しかった。
______何と醜い欲求だろうか。
だがそれが、僕の最後の意思だった。
後の僕は、ただ幸せを貪って転落していっただけ。
あの時のように、醜い欲求を振りかざしている時こそが本当の僕だ。
______だからこそ僕は、気持ち悪いんだ。
だったら、すべき事は決まった。
僕は再び、神社に向かうべく走り出す。
最早方角すら分からないから、ただ過去に通った道を思い出して走り続ける。
※※※
泥寧の思考をかき混ぜながら疾走を続けること三十分。
僕は神社に到着した。
境内の階段を最後の余力を振り絞って掛け上がる。
最後の一段を踏み越えて、ようやく本殿が見えた。
いつもの木陰に行くと、一人の少女がいた。
「遅いですよ、せんぱーい!」
「......砂」
白春砂の声だった。
久しぶりの、白春砂だった。
「......あぁ、ごめん。ふざけるべきじゃなかったね。でもあんた本当に遅いから、あの子帰っちゃったよ」
砂が立ち上がって、スカートの土埃を払った。
「そっか。間に合わなかったな」
僕の努力も虚しく、幽衣とは会えなかった。
次に会えるのは明日の始業式になるか。
「あの子、真衣の妹、思っていたよりずっといい子だった。未だに真衣が死んだのは自分のせいだって思ってる」
「みたいだね。僕も何を言ってあげればいいのか分からなかったよ。根拠の無い慰めは要らないだろうし。......でも彼女は自分の過去を罪だと言って背負っていくみたいだね」
過去は変幻自在だ。
何とでも解釈できるから、自分を慰めるのにも咎めるのにも使える。
幽衣は、誰が何と言おうと、過去を十字架の形にして背負っていくと決めたのだ。
「......あんたらしい言い回しね」
「まぁね。文字通り過去をすり替えようとしているわけだから」
僕の言い方を怪訝に感じたのか、砂は眉を顰める。
「過去をすり替えるって、どういう意味?」
「......砂、君の設定には"粗"が出来たよ」
僕はそう言って、僕は目を閉じる。
一瞬の過去を頭に過らせ、指で滑らせる。
かつて彼女がルシエスのゲームセンターのリズムゲームでやっていたように。
電子音と液晶画面と、それに呑まれそうな彼女を思い浮かべて、"過去"を取り扱う。
思い出せ。彼女の指先を。
思い出せ。画面に照らされる彼女の横顔を。
そして"過去"の輪郭は曖昧になって、ぼやけて、消えていく______。
「......え?」
彼女の声が耳に届いた。
僕も目を開けると、そこには_________空純朦罵が立っていた。
「モーバ......?どうして......」
参道の上で、あの日と同じように突っ立っている朦罵は無表情で僕ら二人を見つめた。
「ねぇ、マナメ。どういうこと?」
砂が今にも泣きそうな目で僕に訴えてくる。
なんだか砂の表情を見て、僕は昔の自分を思い浮かべた。
そして砂には応えず、朦罵の方を向く。
「......久しぶり、朦罵。あの世はどうだった?」
僕が聞くと、朦罵は一瞬辺りを見回して、それから僕をじっと見つめた。
そして笑った。きっと僕の意図を理解してくれたはずだ。
「あの世か?最高に退屈だったぜ」
正解だ。僕は目配せで朦罵に感謝を伝えた。
「砂、僕の目をよく見て聞いてくれ」
僕は戸惑う砂の両肩をがっちりと掴んで、乱暴に僕と目線を合わせた。
「僕は朦罵を助けた。神楽で神に命を差し出した朦罵を、だ」
お互いの息が顔にかかるほどの至近距離で僕は彼女に言い放つ。
「君はこう考えるだろう。"大変だ。生け贄となった人を救い出してしまえば神の怒りを買って龍令が起きて多くの人々の命が奪われてしまう"って。でもね、それはまだ分からないよ」
「......どういうこと?」
「......神なんていないからだよ」
僕は悩みに悩んだ挙げ句選んだその言葉を、砂に向けて吐き出した。
「神様なんていない。君が見てきた不幸は、悲劇は、死は、全部神様の仕業じゃない。......分かるかい?」
一瞬何を言われているか分かってないような砂だったが、次第に言葉の意味が浸透していったらしく、ゆっくりと首を降り始めた。
「違う.....違う!」
「違わない。いいかい、君が時間を遡って何度も見てきた、その"龍令"ってやつはいつの日か起きるかもしれない。明日起きるかもしれないし、十年後に起きるかもしれない。......でも、これだけは賭けてもいい。君がそれを何度も見たっていう10月には、もうそれは起こらない。君が見たっていうその時間には、もう"龍令"は発生しないんだ」
子供のように泣きじゃくる砂に、僕は何度も、ねちっこく、しつこく説明してやる。
「何故なら、僕が過去を歪めて、時間を歪めたからだ。僕はついさっき、過去を変えた。朦罵の事だけじゃなく、いろんな事を変えたんだ。......君の言う通りだったよ。君の能力には出来なくて、僕の能力には出来る事があった。君は、決まって事象が決まった時間に発生する......謂わば、止まった時間の中にいたんだ。君は自分で時間を遡って、四苦八苦して事象を変えようとしたのかもしれないけど、それ無理な話なんだ」
「あんたに決めつけられたくないッ!」
砂が思いっきり僕の頬を張った。
だが僕は動じることなく、"説明"を止めなかった。
「僕は違う。過去を変えることで、そこから続く未来の方向を転換させることができた。君が変えようとした事象も、簡単に変えることができたよ」
顔を泣き腫らした砂と、顔を赤く腫らした僕。しばらく見つめ合って、僕は最後の仕上げに取りかかる。
_________砂を、壊すために。
「ねぇ、砂。君が何周目辺りから"ツジガミ様"なんて設定に頼るようになったのかは僕は知らない。あるいは、例えその"ツジガミ様"っていうのが本当にいたとして、そいつが真衣を殺したんだとしても別にいい。ただ......僕は君にそんな事を考える資格はないと思う」
言葉を不器用に選んで、紡いでいく。
「僕らに必要なのは真実じゃない。解釈でもない。自覚なんだ。僕らは互いに大事な人を失って、それを受け入れるしかなかった。その過程で不思議な能力を手に入れて、それの使い道に苦労して、失敗もした。でも、君と僕は決定的に違っていた」
想定しろ、結末を。僕は彼女に何を言いたいのかを。
「君は無限に等しい時間を孤独に闘った。時間を巻き戻せる事を利用して無茶な情報収集をして、真衣の家に伝わる話を聞いた。そして、救いの道を見つけたんだ。だが僕はいくら過去を変幻自在に出来るといっても、彼女の死から目を背けることは出来なかった。だから次第に僕は......壊れていった。君と違ってね」
「......また、壊れたふりしてる」
砂が赤く腫らした眼で僕を睨み付ける。
「いや、君が壊れていないふりをしているだけだ。例えば......君はどう考える?そこにいる朦罵は何故ここにいるんだと思う?僕が過去を変えて彼が神楽で犠牲になる未来を変えたらからかい?でもそれだと矛盾が生じるよね。僕達の能力では神に直接殺された人間は生き返らせることができないんだから。......だとすれば、元々神なんていなくて、あの日朦罵は嵐の間にこっそりと逃げ出して、今日偶々神社に立ち寄ってみると僕らがこうして話し合っていたから見に来た......かな?でもこれもなんだか無理矢理な感じがするなぁ。砂はどうだと思う?」
「私は......」
「あぁ、因みに僕なら理由なんて考えない。もうとうの昔に考えまくって疲れちゃったからね」
僕は笑顔で言う。
「......私は......私はそれでも真実を追及するよ」
砂は涙を拭いて......笑った。
口を歪めて、好奇心を余すことなく顔一面に映し出して、笑った。
僕が彼女と初めて出会った時の笑顔であり、彼女の本質そのものだった。
______これだ。
彼女の"核"を引きずり出した。
僕は静かに目を閉じる。
頭の中で電子音を掻き鳴らして、能力を使った。
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