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弐拾壱話
○白春砂
「......ぶはっ!」
私は水面から顔を突き出すように、思いっきり起き上がった。
「......どうした白春?」
黒板に数式を書いていた教師の浦瀬先生が私を凝視した。
_____授業中だった。
教室中の視線が私に集まり、私は慌てて席に着いた。
「いえ、何でもありません。ごめんなさい」
「そ、そうか......じゃあ授業を続けるぞ」
そう言って浦瀬先生が黒板に向き直る。
まだ奇怪なものを見る視線が私にこびりついているのを感じながらも、私は形だけでも授業に集中した。
ノートには先程まで私が書いていた文字が並んでいる。どれも見覚えのないものばかりで、そもそも今授業でやっている内容は確か9月か10月あたりの範囲だ。そんな時期であれば、私はいつも学校を休んで何かしら"龍令"への対策をとっている時期だ。
つまり今は、9月か10月。"龍令"が訪れる直前なのだ。
と、考えていると、私の前に紙切れが差し出される。
前の席にいる、モーバからだった。彼は何気ない動作でこちらを振り向くこともなく紙を渡してきた。
紙には、"大丈夫か?返事はいらない"と書かれていた。大丈夫ではなかったら泣き叫べとでも言うのだろうか。
だが、モーバの気遣いには心が暖まる心地がした。
ほんの一瞬前まで私は死にかけていた______というか実際に死んだのかもしれないが、それでも彼が目の前にいてくれるだけで、少しだけ安らぎを得ることができた。
私は時計を確認する。
この授業が終わるまであと二十分ほど。
授業が終われば私はどうするべきなのだろうか。
あるいは、今授業を抜け出してまでやらなきゃいけないことがあるのではないだろうか。
何度も時間を遡って、"龍令"を止めるために試行錯誤を繰り返して結局諦めてしまった私だが、何だか久しぶりにまた挑戦してみたくなった。
まず、犠牲者を極力減らすためには、海辺に住んでいる人達を優先的に避難させる必要がある。"龍令"は特に海辺での被害が甚大だからだ。だからその人達を家から力ずくでも追い出す必要がある。幸い"龍令"が発生する時刻に、どの家に人がいるのかは全て把握している。少しは効率的に人を逃がせるはずだ。
そして内陸側の住宅街だが、この辺りは被害が出る場所と出ない場所がある。つまり、被害が出る場所にいる人々を安全圏内に誘導すればいいのだ。私が今のところ最も効率的だと考えている方法が、被害が出る住宅街の空き家を火事で燃やしてしまうという方法だ。火から逃げる住民達をなんとか移動させ、"龍令"の被害を少なくする。
これには私がうっかり人を殺してしまうというリスクもあるため、何度も時間を巻き戻して人の位置と時間の調整が必要だったが、もう今では完璧にタイミングを把握している。間違ってでも人を丸焼きにすることはない。
そして、一番の難関である田園地帯。ここは家が一軒一軒離れたいるため、隣の家に火が移ることもない。その上、一軒ずつ人を避難させるのも時間がかかる。
町内放送を使ってなんとか避難を呼び掛けようともしたが、高齢者の多いこの街では放送を聞き取れず避難をしない者も多い。
結局この田園地帯ではこれと言った最適な方法が見つかっていない。毎回最も犠牲者が出るのはこの地域だし、ここの住民をどうにかして避難させられれば犠牲者は格段に減らせるはずなのだ。
などと思考を張り巡らせていると、教室が何やらざわめき始めた。
「......なんか、揺れてね?」
男子の誰かが呟やく。
______確かに、揺れている。
足の裏に伝わる微かな振動を感じて、私ははっと我に返った。
そして、マナメの言っていた言葉を思い出す。
"明日かもしれないし、十年後かもしれない"。
私の能力は時間を遡れるけども、事象を変えることはできない。
逆に、彼の能力は時間を変えられないけど、事象を変えられる。
彼が"龍令"という事象を変えてしまったのだとしてら______それが発生するタイミングを変えてしまったのだとしたら、それは今起こっても不思議ではない。
そんな私の予想を裏付けるかのように、振動は徐々に大きくなっていき教室中の人間が異常に気づき始めた。
「......地震か!?お前ら、机の下に隠れろ!放送が鳴るのを待て」
浦瀬先生の指示が飛ぶ。
だがそれでは遅い。
何もかもが遅すぎる。今から学校を飛び出して街の人々を避難させても、救える人数は少ない。私はこの時間帯の街の人々の分布を把握していない。
このままでは駄目だ、タイムリープしか打つ手はない。
そう考えた時だった。
「......おい、何時傘、何をしている!」
浦瀬先生が教室の入り口に向かって叫んだ。
私はマナメの名前に反応して入り口を目視する。
マナメが立っていた。その表情は無機質で、何か小さな物体を掲げていた。
それを、ゆっくりと浦瀬先生に向けて______。
弾けた。
浦瀬先生は見えない張り手をくらったように後ろへ吹き飛び、倒れた。
頭部から血液を撒き散らして。
_________。
教室中が唖然としている内に、マナメは近くの生徒にそれを向けた。_________どこで手に入れたのかも分からない、拳銃を。
再び空気が弾ける。
今度は火花らしきものが飛び散るのも見えた。
そして同時に教室中から奇声が上がった。
パニックを起こすものが大勢で、皆逃げ出そうとするが入り口には凶器を手にしたマナメがいる。
皆、本能のままに教室の後ろへ下がって悲鳴を上げた。
その間にも、マナメは一人、また一人と撃ち殺していく。
いや、死んでいるのかは正確には分からない。
私は、そんな事は知らない。今まで拳銃を手にしようと考えたこともないし、そもそも人を傷付ける方法など模索したことがないのだ。
「おい、砂、何ぼーっとしてんだ」
背後から肩を揺すられる。
モーバだった。
「おい、これも神様の思し召しってやつなのか?俺達はどうすればいいんだ?」
「いや......これは......」
モーバの質問に私はどう答えていいのか分からず、その場に座り込んだ。
「おい、何してる! 」
モーバが慌てて私に駆け寄るが、そこに一閃の光が通る。
マナメが私とモーバの間に銃弾を放ったのだ。
マナメは静かにモーバに銃口を向ける。だが決して発砲はしなかった。
モーバは冷静に、両手を上げて後ろに下がった。
そして、教室の後ろに生きた生徒が団塊となって怯えている今、前方には私と、死体が幾つか転がっているだけだった。
マナメは私に銃を向ける。
「......あんた......何がしたいのよ?」
震える声で、私はマナメに訴えかけた。
「そろそろ君は分かっているかもしれないが、僕は別に善意でこれをやっているわけじゃない。僕の、欲にまみれたエゴで、今君と戦っているんだ。言ってること......分かるかい?」
私は不動の意思でマナメを睨んで、敵意を示した。
「君も予想している通り、"龍令"は今日発生する。"理由は分からない"けどね。どうだい?神が下す裁きの日程が僕の能力で変更されるなんて事があるんだろうか。君は今現在、ツジガミ様の存在をどこまで信じている......?」
マナメがしゃがみ込んで私に目線を合わせる。
彼の瞳には、確固たる意思が宿っていた。
「......実は、君はもう"その設定"を捨てているんじゃないかな?もう既に心の中で、当然のようにツジガミ様なんていなかったと自覚しているんだろう。そして、新しい解釈を求めている」
「新しい解釈? 私はただ真衣を救いだして、思いを聞きたいだけだよ」
「真衣を救う?そんな事を考えているのか......」
マナメは呆れたように、救いのないものを見るような目をした。
「えぇ、私は諦めてない。あんたの能力と私の能力があれば、不可能とは断定できない。だから私はあんたに認めさせて、あんたの協力を得る」
「そうかい。でも僕はそんなぐちゃぐちゃな信念に付き合ってられないね」
そう言ってマナメは背後に向かって拳銃を一発放った。
銃弾は一人の男子生徒の足首に直撃し、男子生徒は蹲って悶絶する。
「あんた......狂ってる」
「あぁ。だが僕に言わせてみれば君もだ。君はもう、真衣の死の真相を何度ねじ曲げてきた?その度に君は歪んだ罪の意識を背負って、殻の中に閉じ籠った。そして今度は、その事実すらなかったことにしようとしている」
マナメが再び発砲する。
その音を聞くたびに、私の中で何かが崩れ、心が掻き乱される。
痛みに苦しむ人を見て、傍らに転がる死体を見て、私は頭がおかしくなりそうだった。
「君はまだ、本当に大切な人を失っていない。君はまだ幸せだ。永遠に、明日に希望を持てるんだから。......ずっと、未来を心待ちにしているんだろう?」
______"心待ちにする未来の方が長いんだから"
「あ......」
祖母が私の手を握った。
「......あぁぁぁッ!」
私は狂い、叫んでマナメに飛びかかった。
相手が拳銃を持っていることなど忘れて、ただ頭の中で吹き荒れる過去の数々を見て、目の前の現実が何も見えなくなった。
「私は......私は未来なんか望まないッ!私は......ただ一度だけ真衣に会って、それで......ごめんなさいできればいいなって、思ってるのよッ!!」
マナメに馬乗りになって、何度も顔を殴った。
何度も何度も。
マナメが抵抗しないのをいいことに、ひたすらに狂い続けた。
彼の痩せこけた顔は、殴ると頬骨が拳に当たって、殴っている私が痛かった。
彼の、黒く歪んだ瞳が私を見つめる。深く、闇を湛えたその瞳に、私は自分と彼との違いをはっきりと見せられた気がした。
「なんだよ、一丁前に傷ついてるつもりかァッ!彼女がいなくなって、立派に狂ったフリでもしてるってのかァッ!おい、どうなんだよ!何時傘真無目ェッ!」
やがて辺りに血が飛び散る。
マナメの頬か、私の拳か、どちらのものかは分からない。だが、傍らで転がる生徒や、教室の後ろで痛みに悶える生徒の流す血よりは、有意義な血なのだろう。
私達は、こうでもしないとお互い納得できないのだから。
やがて私は拳が上がらなくなった。
非力な私の拳は、マナメの顔に幾つか痣を作るだけだった。
「......君が、羨ましいよ」
マナメが切れた口を変な風に動かして呟いた。
「君は......真衣のことをよく知っていた......だから逃げ道があった。彼女の責務を理解して、分かった気になれた。でも、僕は違った。......人と関わるのが苦手で、苦手を克服する根性もなくて、ただ腐り続けていた僕だったけど、彼女には惹かれた。それで、自分の思いを伝えてみたら、彼女は僕を肯定してくれた......。僕は幸せだった。彼女といられる事が。でも、僕は彼女の事をよく知る暇もなく、彼女はどこかに消えてしまった......」
肩を上下させて息をする私を、マナメは静かに見据えた。
「僕も、いろいろと悩んだよ。真衣がいなくなったのは僕のせいなのかも知れない。......幽衣にも言われたからね。でも、それを真実とすることは出来なかった。......出来てたら、君みたいにもっと楽だったんだろうけどね。でも僕はどれも真実と決めつけられなかった。......真衣の事が、分からなくなったんだ」
マナメが拳銃から手を放した。
「真衣の事を忘れたくもなった。そして幽衣と出会って、過去を変えようとした。でも無理だった。それどころか、君と出会って、真衣との思い出が愛しくもなった」
悠々と語るマナメの顔が、一閃の蹴りで吹き飛ばされる。
モーバが隙をついてマナメを蹴りあげ、拳銃を奪い取った。
「皆、早く逃げろ!」
モーバが叫ぶと、教室の生徒は全員逃げ出した。足を撃たれた生徒も、なんとか友人の肩を借りて教室から出ていった。
「......おい、砂、誰なんだよこいつは?」
そう言いながら、拳銃をマナメに向けるモーバ。
彼の手が微かに震えていた。
「おい、あんた。何言ってるのか分かんねぇけど、それ以上は警察署で語った方がいいと思うぜ」
「......そうだね......これは、君のような強い意思を持つ人にとっては、下らない話なんだろうね」
マナメが起き上がって、モーバに微笑みかけた。
そして、私に向き直る。
「僕らもそろそろ決める時だ。真衣とどう向き合うのか」
そして、目を閉じた。
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