弐話

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弐話

何時傘真無目(いつかさ まなめ) 恋愛における告白というのは二つの願望が糸を紡いで毛玉を吐き出すようなものだと思う。 相手に自分の想いを伝え強制的に自分を意識させたい、そして自分自身が肯定されたい。こうして並べてみると矛盾しているようにも感じるし、うまいこと噛み合っているようにも思える。 実際僕も今から告白する身だが、心は不思議と落ち着いている。胃の中の流動が激しくなり、心臓は血管か何かに縛り付けられたように苦しいが、意識がそれとは綺麗に切り離されている。 とか、そんなことを考えながら教室の前に突っ立っていても仕方ないか。 もう今日の授業はとっくに終わり、生徒は帰ったか部活動に参加している。 僕の目の前の教室には一人しか残っていない。それが、僕の想い人である麻目真衣(あさめ まい)である。 彼女とは、実はそれほど親しい仲ではない。同じクラスで、業務上話したことがある程度で、名前すらしっかりと覚えてもらっているかすら怪しい。 クラス委員長で、生徒会副会長でもある彼女は責任感のあるしっかり者で、今もこうして教室に残って書類整理やらを行っている。 意外にも彼女は猫背で、頬を垂れ落ちる黒の絵の具が静止したかのような髪が彼女の瞳を見え隠れさせていじらしい。 ________僕は、このままではまずいと思い、教室に入った。 まっすぐ、彼女のもとへ向かう。 「あの……麻目さん」 思わず声が上擦り、動揺で唾を大袈裟に飲み込む。 「あれ?何時傘君、どうしたの?」 僕の珍妙な名字を呼ばれ、微かな安堵を覚える。 「いや、その、少し……言いたいことがあってさ」 ぎこちない僕の雰囲気を感じたのか、麻目さんは少し考える仕草を見せてから持っていたペンをおいて席を立つ。 「言いたい事って何?」 間延びしているようなはっきりしているような、ゴムと鉱石の中間のような声質で彼女は僕に微笑みかける。 多少の違和感はありつつも、僕は彼女が好きなのだと改めて実感する。 「ずっと……前から、君の事が好きでした」 ずっと前から、とか言いながら彼女を知ったのは高校に入ってからだし、いつから好きになったのかも覚えていない。 「僕と……付き合って......くれませんか?」 頭を垂れて、少し時代遅れな感じが否めない告白をした。 二つの糸が、やはり胸でぐずぐずと絡まり合っている。 「何時傘君……顔上げて」 麻目さんが僕の肩に触れる。 彼女を見ると、悲しげに、何かを願うように、僕を見ていた。 「何時傘君。私ね、君とは付き合えない。ごめんね」 一切濁す事なく、彼女はそう告げた。 僕は願望が一つしか叶わず、胸のなかでもただ一本の糸がぐるぐると蠢いているだけになった。 「そう……か。分かった。ありがとう、話を聞いてくれて……」 僕のささやかながら本心である感謝をもって、告白は終了した。 僕は___________失恋した。 「___少し、座ったら?」 彼女が僕の手をとり、隣の席に座らせる。 僕は、激しく動悸する胸を押さえた。 告白は終わったはずなのに、不思議と、心臓を縛る糸がきつくなる。いや、それどころじゃない。呼吸も荒くなり、視界が慌ただしく点滅する。 誰かが、背中をさすってくれる。 だがもう僕にはそんなことはどうでもよくて、ただ背中を丸め、呼吸を整えようと必死になった。 僕の願いは__二つ。 あの人に意識してもらうこと、自分を肯定してもらうこと。一つは叶い、もう一つは叶わなかった。 どっちが叶ったんだ? たった今、僕は果敢にもこの少女に想いを告げた。想いは受け止められはしたものの、恋が成就することはなかった。意識はしてもらったが、否定された。 そう。そうだ。 だから僕は麻目真衣とは付き合えない。 椅子から崩れ落ちる。無様に。 少女はこちらに駆け寄り、声をかけてくる。 今しがた僕を否定した少女。 僕は、彼女の顔を見上げた。 「あぁ__おはよう。幽衣(ゆい)」 「先輩!大丈夫ですか?」 __なんだ。可愛い後輩じゃないか。 僕は疲れて、そっと目を閉じた。 今日もまた、失敗だ。 *** 僕の不思議な能力と情けない過去について知っているのは、後輩である麻目幽衣(あさめ ゆい)だけだ。 彼女にはここ最近世話になりっぱなしだし、今日もまた手伝ってもらった。 「はい先輩!コーラでよかったですか?」 幽衣から黒い液体の入ったペットボトルを受けとる。 気分転換ということで校庭のベンチまでやってきたが、人のいる気配は一切なく閑散としている。 もう呼吸も鼓動も平常運転の僕は未だに介抱しようとしてくる幽衣に平気だと伝え、一息着こうとコーラを煽った。 「それにしても、なかなかうまく行きませんね。何か方法が間違ってるんでしょうか?私先輩のその、能力ってやつが未だによく分からないんですけど」 幽衣が首をかしげて缶のタブを開ける。 僕の能力、といってもそこまで大袈裟なものでもなく、分かりやすいものでもない。 「僕も正直よく分かってないよ。"過去を変える力"、なんて言ってもね。実際さっきは変えられなかったし」 そう、過去を変える力。馬鹿げているのは分かっている。僕も、幽衣も、いつもならこんな話は笑い話でしかないだろう。 だがこの力が備わったのは半年前で、その頃の僕らは二人とも、精神的に不安定だった。二人に共通して大切だったものを失ったのだ。そして失ったものに堪えられず、下らない妄言や罵倒が二人の間を飛び交った、という過去がある。お互い幻覚じみたものを見たし、精神の支柱なんてとっくに溶かされていた。 そんなときに、どさくさに紛れて僕にこの力が入り込んできた。 最初に気づいたのは、"彼女"がいなくなってから二週間程経った頃、茫洋としたまま家に帰った僕は鞄を部屋の隅に放りベッドに倒れ込んだ。 そのとき、視界の端に見えた机の上においてあるデジタルの目覚まし時計がぱっと変わった。音もせず、違う形のアナログ時計に変化したのだ。そして僕はその時計に見覚えがあった。昔、雑貨屋で目覚まし時計を買うときにそのアナログ時計と消えたデジタル時計、どちらを買おうか迷っていた。見映えのいいアナログか、実用性のあるデジタルか。僕は後者を選んだ。その結果僕の部屋には鈍色の光を放つデジタル時計が置かれているわけだが、目の前にあるのは見間違えようもなくアナログの、あのとき僕が選ばなかった方の時計だった。 慌てて飛び起き、振り向くと本棚にも異変が起きていた。 自分で選び取り購入したはずの本で埋め尽くされているはずの本棚が、全く知らない背表紙の本に移り変わっていた。時計と同じ現象が起きていると気づいた僕は本棚を観察した。僕の視線など構うことなく、背表紙は壊れたテレビのように移り変わっていく。知らない本ばかりではなく、僕が知ってはいるものの購入を断念した本や、あるいはいつか買おうとしていた本まであった。 本を一冊手に取り、表紙を確認する。 その間にも表紙は信号のように変わり続け、本の新古の差による感触の変化が僕に異常自体を縁取って認識させた。 僕は思わず膝から崩れ落ち嘔吐した。 そして吐瀉物までもが、点滅していた。 僕の昼食がコンビニの菓子パンだったか、学食のラーメンだったか。僕自身すら忘れてしまっている過去が、僕の足元で水溜まりを形成し変化し続けていた。 それを見て僕は、過去を変えるという幻妖か錯覚か、わけのわからない力を手にいれたと知った。 そして翌日、この力の事を幽衣に話した。 幽衣は、僕と動揺この話を笑い話として流せるほどの気力をまだ回復していなかった。 そしてあろうことか、ある提案をしてきた。 「じゃあ.....なかったことにすればいいんじゃないですか?」 憔悴しきった彼女は、やけに珍しく笑みを湛えながら僕に言った。 彼女との交際をなかったことにすればいいと。 何時か、何故かは分からないが、何も残さずに行方をくらましてしまった麻目真衣という少女。僕の交際相手であり、麻目幽衣の姉であった麻目真衣。 僕がこの力をどうにか制御し、僕が真衣と付き合っていたという過去を変えることが出来れば、少なくとも僕は救われるのではないかと、幽衣はそう提案してきたのだ。 「それに先輩、なんか壊れかけですし。お姉ちゃんのことは、もうきっぱり忘れた方がいいんじゃないかなと思いますし」 と、少し心が回復しても幽衣は言うが、僕には罪悪感しかなく、この力をコントロールできる自信もない。 半年経った今でも、僕の部屋の本棚は背表紙の色がパラパラと切り替わり続けている。トレーニングを積んだところで自分の都合よく過去を変えられるようになるのだろうか。 だが幽衣は僕に有無を言わせず、こうして放課後に僕が真衣にした告白をシミュレーションし、真衣と瓜二つの幽衣に失恋し続けることで錯覚を起こせるのではと試みているが、一向に成果は上がらない。 「もしさ……」 「はい?」 「いや、もし僕が真衣のことを綺麗さっぱり忘れたら幽衣のことも忘れるのかな?」 「そりゃ……忘れるでしょ。お姉ちゃんと付き合ってなかったら先輩は私と関わることもないですし」 「まぁ、そうだよね」 「あ、でも私ってお姉ちゃんそっくりだから、先輩が何かを感じて私に言い寄ってくるってこともあるかもです。うわっ、気持ち悪っ」 仮定の話で詰られる。 「いや、例え僕が真衣に振られたとしても幽衣には惹かれないかな」 「おりょ?それまたどうして」 「中身が全く違うからだよ。アップルパイとレモンパイくらいの違いがある」 「ちょっと何言ってるかわかんないですけど……」 「優しさが違うってことだよ。幽衣、この間僕と帰る前に生徒会で会計の須月君に自分の仕事押し付けてただろ?」 「何で知ってるんですか!?」 「生徒会室の前で待ってるときに見えたんだよ。真衣ならそんなことはしない。全部自分で請け負うよ」 「あーもう!私はどうせお姉ちゃんみたいに有能じゃないですし!見た目一緒中身残念なお姉ちゃんのレモン版ですよ!」 と不貞腐れつつも僕の横に座る。 駄目か、と僕は溜め息をつく。 優秀な姉と比較してやる、なんて攻撃は幽衣には通用しないらしい。あわよくば今の僕の発言で僕に敵意を抱くか、あるいは自分のやっていることがいかに歪んでいるのかを自覚してくれればと思ったのだが。 コンプレックスを抱いている姉の真似をさせるなんて、控えめに言って最低だ。 だが僕は遠回しにしか断れない。やはり心の奥底で自分だけでも救われたいと思っているからだろうか。あるいは僕が幽衣の負担になっているから一先ず何がなんでも僕が麻目姉妹と縁を切るのが最善だと自惚れているからだろうか。 幽衣を見やると、数秒前のやり取りはすっかり忘れた様子で、ウーロン茶をぐびぐびと飲んでいた。 そんな幽衣の無邪気な横顔を見て、そういえばお姉ちゃん大好きっ子だったなあとか思いながら、僕は自分の野暮な発言を後悔した。 「でも、だからこそ余計分からなくなるんですよね」 幽衣が頬杖をついて頬を歪める。 「お姉ちゃん、なんで__」 「真衣は……いろいろ思い悩んでたんだろう」 幽衣に先を言わせるようなことはしたくなかった。 それに僕自身も、彼女が真衣が消えたと思っているのか、死んだと思っているのかを知りたくはなかった。 僕も彼女も、真衣が行方不明になってから動転はしたものの、彼女が何故消えたか、どうなったのかを話し合ったことはない。警察に捜索届は出しているものの、この半年で何らかの痕跡が見つかったという知らせは一向に来ない。 彼女と最も親しかったはずの僕でさえ、こんな陳腐な返事しかできない。 「先輩……」 幽衣がそっと僕の肩に手を添える。 「……ん?」 「明日も頑張りましょう」 それはこの過去を変えるという能力を使ったセラピーをしようという提案か、それともただ生きていこうという曖昧な励ましのメッセージか。 いずれにせよ、ごめん被りたかった。 *** 本日も生徒会の仕事があると幽衣が言うので僕は一足先に帰宅することにした。 鞄を取りに教室へと一旦戻る。 自分の席は窓際の一番後ろの席。特等席だという人もいるが、僕にはこんな教室の片隅という位置にはあまり魅力を感じられない。 机のなかに粗雑に押し込んだプリント類を取り出そうと中へ手を突っ込む。 「……ん?」 異変を感じたが、とりあえず手に触れたものをすべて取り出してみる。 綺麗な書類だった。折り目一つない凶器にも使えそうな紙。 自分の持ち物ではなかった。 ______と、ここで僕は能力が作動してしまった事に気づく。 うちのクラスはことなかれ主義ということで席順をくじ引きで決めるのだが、そのときに僕が引いたくじが変わってしまったのだろう。 つまり、ここは僕の席ではない。 こういう面倒なこともあるのか、と嘆息して自分の席を探す。 「……ごめんなさい」 小声で謝罪をし、持っているプリントを持ち主の机へ返す__。 だが、少し引っ掛かった。 人としてどうかと思うが、思わず眼球が滑りプリントの文面を見てしまう。 "第二学年 一学期中間考査" プリントの最上部にはそう書かれていた。 今日の日付は7月15日。一週間後に期末テストを控えているような時期なのに未だ中間テストの問題を持っているのか。 好奇心が調子に乗って、僕は机の横にかかっている体育用シューズの袋を確認する。 この机の持ち主の名前は"空純朦罵"というらしい。 こんな以前のテストを未だ机の中に押し込んでいるとは、きっと僕に負けずとも劣らないくらいの怠慢な性格であるらしい。 ______と、我に返り、ささっとプリントを机に戻した。 今のは見なかったことにしよう。さすがに人のプライバシーを侵害し過ぎた。 過去を変えるとか関係なしで、そう決意して荷物をまとめ教室を出たところで、一人の生徒とぶつかった。 「「あぁ、ごめんなさい」」 二人同時の発言だった。僕と、そしてぶつかった彼女の。彼女の事は少しだけ知っていた。同じクラスの、白春砂(しらはる すな)という人だ。彼女は最近遅刻や欠席が多く、担任が毎朝名前をぼやいていたのでこっちまで覚えたのだろう。 といっても僕は彼女の友人でもなければ学級委員長でもないので、彼女に肩がぶつかった事への謝罪以外にかける言葉もなく、すれ違う。 「ちょっと待って」 手首を捕まれた。ひんやりと冷たくて、細くて柔らかい。指先がぴくっと動いて少しだけ手首に食い込む。 「えっと……なに?」 「あなた、何時傘真無目だよね?」 「そうだけど……」 「麻目真衣……あなたの」 ばん、と教室の戸口を叩き、僕は口元を押さえる。 吐くわけじゃないが、反射的にそうしてしまった。 あまりにも不意打ち過ぎて、僕は白春さんを凝視する。 「あぁ、失礼。まだ傷が癒えたわけではないんだね」 少し驚いたようにこちらを気遣ってくれるが、彼女の数十倍は驚いている自分は何から何まで彼女から引きずり出したかった。 「うん。いい目してる。やっぱりこのタイミングで聞いて正解だったよ」 表情から平穏がボロボロと剥がれ落ちていく僕とは対照的に、彼女は安堵したように口元を綻ばせる。 「今から少し話がしたいんだけど、時間、もらっていいかな。もし私との時間が気にくわなかったら、過去を変えて私を振ってもいいしね」 彼女の笑みは底知れず、明るかった。
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