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参話
○空純朦罵
今日の日付は__5月2日か。
毎日代わり映えのない生活を送っていると日付を忘れてしまうことが多々ある。一日一日に名前をつけることができるくらい日々が刺激的だったらなぁ、とか危険な思想を抱いてしまう今日この頃。
因みに今日の日付が分かったのは今日が5月1日の次の日だからだ。俺が学校に忍び込んでテストを盗んでやろうとして失敗し、ついでに友人も裏切って盛大に自己嫌悪を感じた日、の次の日。今朝近葉と会話したが、俺を裏切り者と罵倒するどころか昨日の話すらしなかった。残りの二人にしたって、俺とすれ違っても視線も合わせようとしない。まるで昨日の出来事がなかったことになっているかの様だった。そもそも、昨日の出来事は学校にばれたら普通に停学をくらってもおかしくないほどの大事だ。はっきりと教師に捕まった近葉が堂々と学校に来ていること自体がおかしい。
おかしい繋がりで、俺はもう一つの要因に焦点をあてて考えることにした。
昨日俺が何気なく隠れ場所として選んだ空き教室にいた彼女。終始俺のことを非難するでもなく、嘲笑するでもなく、ただ忠告しようとしていた少女のことが俺はずっと気になり続けていた。
いや、というか……
「なぁ」
「何?」
「やっぱ昨日会ったよな?」
「は?何それ、知らないよ」
昼休み、俺の前の席でパンを齧る少女がいる。
昨日の少女と、少なくとも見た目は同一人物である。
「いやまさか同じクラスで席まで近かったなんてな」
「だから何なのそれ。急に馴れ馴れしく話しかけないでよ」
やっぱ中身も一緒かな。
「昨日は助けてくれてどうもな」
「別に助けてなんかないから」
あ、認めたぞこいつ。
「近葉もなんかお咎め無しっぽいし、俺も無事に平穏な生活が送れるよ。いやいやほんとどうもありがとう」
少し皮肉っぽい言い方になってしまった。
「は?何それ」
おっと、怒らせてしまったらしい。
と、そこで教室から教師の浦瀬が顔を除かせる。
噂ではクォーターらしく、肌が白くて体躯が大きい。
生徒からはシロクマなんて呼ばれているし、本人もそれに肖って冬の雪掻きでは張り切って人一倍仕事をしたりと結構なお調子者ものだ。
だが、今日は少し様子が違う。
眉を潜めて何かを伺っている。
「おい、空純はいるか?」
名前を呼ばれた俺は背筋を舐められたような不快感を感じて思わず立ち上がる。
浦瀬と目があった。
「おう、いたな。ちょっと話があるから進路相談室まで来い」
普段は見せない浦瀬の怒りを潜めた表情にクラス中がざわめく。
だが俺は訳が分からず前の席の少女、白春砂を見つめた。
「だから、私は何もしてないって言ってるでしょ? こっぴどく怒られてきなさい」
つっけんどんに言い返された。
浦瀬は静かに俺を睨んでいるし、よく見れば浦瀬の隣で近葉が賎しい笑みを浮かべてこちらを見ている。
さすがに全てを察した俺は、
「あー、やっべー。退学かなー」
などとぼやきながら件の進路相談室まで向かうのだった。
※※※
進路指導室に入ると、浦瀬がソファに静かに腰を下ろす。
その顔は彼にしては珍しく引き攣っていて、心に怒りを湛えているのが分かった。
当然だろう。夜中の学校に不法侵入する生徒に対する正しい態度だ。
「......ほら、座れ」
浦瀬は自分の正面にあるソファを差した。
俺は大人しく指示に従ってふかふかの感触に尻を埋めた。
「それで......何の用件でしょうか?」
あくまで白を切る。
万が一俺の思っている用件ではないのかもしれないからだ。
「近葉と杉村と金川は一瞬で認めたんだがな。お前はどうなんだ?」
俺と計画に加担した連中の名前を挙げられ、俺は現実はそんなに甘くない事を知る。
というか近葉以外の二人の連中そんな名前だったのか。
そんなことはさておき、俺は今回のテスト盗難未遂事件への関与を認めるべきか、否かだ。
おそらく俺がこうして呼ばれているということは、捕まった近葉達が俺の名前を出したということだろう。昨夜はあの後誰とも遭遇することもなく学校を抜け出せた。
俺が今、関与を否定した場合どうなるだろう。
きっとそう簡単には信じてもらえない筈だ。
それに、今気づいたが、証拠がある。
連絡用に使ったトランシーバーだ。元々あれは俺が複数台所持していたのを二台、三人組に貸し出していたものだ。それらが証拠になるのではないか。
無論、そんなの学校側が家宅捜索なんて始めたらの話だが_________。
なんだか熟考している内に気怠くなってきた。
このまま無実を主張し続けた所で、どうにもならない気がする。
「......はい。俺も加担しました」
「加担......か?あくまで主犯格ではないと言うのか?」
浦瀬がじとりと俺を睨めつける。
「えぇ、俺は別にテストを盗むのが目的ではありませんでしたから。テストを盗みたかったのはあいつらで、職員室の事前調査などをしていたのもあいつらでした。俺はただ、決行日に同行しただけです」
「だったら何故わざわざあいつらと行動を共にした?」
「それは......」
俺は逡巡する。退屈凌ぎでやりました、なんて言った次の瞬間には時代遅れの熱血教師ストレートパンチが飛んで来ること間違いなしだ。
かと言って他にうまい言い訳が思い付かない。
「......まぁいい。理由は深く聞かないことにする。お前の事だしな」
浦瀬が呆れたような眼差しを俺に向ける。
「そうですか。そりゃ助かります」
「あぁ......。それと、どうせお前は喜びもしないだろうから先に行っておくが、退学になることはないそうだ」
「そうなんですか。不法侵入って、下手したら犯罪じゃないんですか?」
「そんなこと知らねぇよ。俺は教師だ。大学を卒業してから一瞬たりとも社会に出ることなく、学校という小さいコミュニティの中で生きている。......学校っていうのはな、ニュースとか見てたら少しは分かるかもしれんが、大人の社会とはまるで違う場所なんだ。子供を社会に出ても生きていけるような立派な大人に育て上げる、なんて謳っておきながら、実際は思春期の生徒達の間で蔓延る歪んだ価値観を矯正も肯定もしてやらず、金だの権威だのに走って自ら汚職を犯す腐った大人の運営する組織だ。全く、嫌になるよな」
俺は唖然として、今の浦瀬の言葉の聞き取れた部分だけを反芻した。
「え、えっと......大丈夫っすか、先生?」
生徒からあだ名までつけられる彼は学校で最も人気のある教師と言っても過言ではなく、いつも明るく生徒と向き合っている______とかそんなイメージを抱いていたのだが、彼の口からは学校という組織への不満が溢れて止まない。
「あぁ、すまん。お前に言うべきことじゃなかったな」
「いや、寧ろ俺でよかったですよ。今すごいキャラ崩壊してましたよ先生」
「まぁな。この歳になると、いろいろと自分でも意識していないような愚痴がぼろぼろと溢れてくるもんだ。本当は酒の席でやるべきなんだがな......。全く歳は取りたくねぇな」
と、貫禄のある口調だが、彼はまだ三十代前半ほどで、容姿はそれよりも若々しく見える。
実際彼のことを恋愛対象として見ている女子生徒がいるという話も何度か聞いたことがある。
「えっと......結局俺は......」
「お前に下される処置はせいぜい数週間の停学といったところだ。テストもなし。つまり、早めにゴールデンウィークを迎えられるって訳だな。......何か趣味でもないと退屈するな。ゲームでもするのか?」
「いえ、うちにはあんまりそういうの無いですね。アウトドアで育ってきたので」
「じゃあ公園でサッカーしたりとか、木登りでもしてたのか?」
「えぇ、よくやってましたね。木登りは今でもよくやりますけど」
鉄の大樹だけど。
「なんだ、そうなのか。じゃあ木に登ってしっかり反省してるんだな、この不良少年」
そう言って浦瀬は俺の頭を軽く小突くと、話は終わりだと言って進路指導室から出ていった。
ドアの向こうで「シロクマ先生!この問題分からないんだけど」「おう、いいぞ!見せてみろ」などというやり取りが聞こえてきた。
今僕が見たのが人間の表と裏ってやつだろうか。
全く、恐ろしいものだ。
などと当たり障りのない教訓を胸に留めて、僕はソファから立ち上がる。
すると、進路指導室の扉が開き、再び浦瀬が顔を出した。
「そういや忘れてた。お前、須月と仲良かっただろ。あいつ最近無断欠席が多いんだが、お前は何か知らないか?」
______突然飛び出してきたその名に、一度心臓を握り潰されるような感覚を覚える。
「......いや、別にあいつとは最近......」
「そうか、分かった。ありがとう」
いや全く困ったな、などとぼやきながら去っていく浦瀬を見送って、俺は再びソファにどっぷりと浸かる。
「......急にびっくりさせんなよクソ野郎」
天井に向かって吐いた言葉は、自分に降り注いだ。
須月______懐かしい名前だった。
俺を"こう"させた本人でもあるそいつに、俺は心の中でありったけの罵倒をぶつけた。
※※※
その日の一通りの授業が終わり、放課後となる。
俺は部活は一応書道部には入っているが月に2、3回ほどしか活動しないし、なんならそれすら結構さぼっている。
今日も家へと帰るか、鉄塔にでも登ろうかと考えながら荷物をまとめていると、前の席の白春がこちらを振り向き、
「ねぇ、今日って暇?」
何気なくそう聞いてきたので質問の意味を飲み込むのに時間がかかった。
「は?……別に暇だけどよ」
「そう。じゃあちょっと二人きりで話がしたいから、そうね……午後十時くらいに会えない?」
「そんな夜にか?」
高校生の男女が待ち合わせる時間とも思えないが……だがこの女は謎があまりにも多すぎる。この時間にもなにかしら意味があるのではと疑ってしまう。
「どうせ不良少年のあなたの事だしご両親には何も言われないでしょう?」
やはり噂って奴は俺みたいなのでも流れているらしい。小川のようにちろちろとしたものだろうが。
「よくご存じで。そんで、集合場所はどこだ?ここら辺に十時までやってる店なんかほとんどないだろ」
なんてったってクソ田舎だからな。
「そうねぇ。じゃあ__」
間を置いて、白春が俺を見つめる。
それは、人が人に意識を向けるときの眼差しではなく、ましてや女が男に向けるものでもない。
盛り狂った猿のように相手に好奇心をぶつける時の目__とでも言おうか。
「_____"あなたのお気に入りの鉄塔"で、っていうのは?」
5月1日と同じ目をして、白春が提案してきた。
***
「いや、本当に猿かよ、お前」
鉄塔の中腹辺りに腰を落ち着かせて、"先客"である白春を窺う。
私服姿。
「なんだかとっても静かな場所ね。風が吹いてないからかな」
「あぁ。風があるときは結構気持ちいいんだけどな」
「それにしても鉄塔に登るだなんて正気の沙汰じゃないって思ってたけど、これ、電気通ってないのね」
白春が鉄塔全体をぐるりと見回す。
「電線は全部取られてる」
「どうして?」
「あれだよ」
俺が海岸沿いに聳え立つ塔を示す。
黒い影が色濃くまとわりつく胡散臭い建築物__とか言うと単なる俺の偏見になってしまうか。
「あー、あれが噂の巨大ショッピングモールね」
「あぁ。あれを建てるのに電線が邪魔ってんで急いで撤去されたんだ」
「たかがショッピングモール一店のために電線をぶった切ったっていうの?」
「らしいな。だが電線は他の鉄塔とうまいこと繋ぎ合わせたみたいだ。元々この鉄塔もそこまで必要でもなかったんだってさ」
「へぇ、かわいそう」
と、感情移入して鉄塔に手を当てる白春。
「ところで白春__」
「砂でいいよ」
「そうか、じゃあ砂。ひとつ聞きたいんだが……」
何も考えず言ったが、これでは聞きたいことが一つだけはっきりと決まってるみたいな言い方だ。
実際は何を聞けばいいいのか皆目検討もつかない。
「聞きたいことなら大体分かる。テストの事とか、鉄塔の事、どうして知ってるか。でしょ?」
「__あぁ。そうだ」
生唾を飲み込んで白春と向き合う。
「うーんと、何から話したらいいのかな___朦罵はさ、将来についてどう思ってる?」
「__将来?」
白春が明後日の方向に話を切り出す。
「なにかやりたいことはある?夢とか、憧れとか」
「いや___ないな」
本心だった。
「私、一時期ちょっとおかしかったんだよね。自棄になってたっていうか、もう何もかもがどうでもいいって思ってた。友達が……いなくなっちゃったからなんだけど」
白春が重苦しげに語る。右手首を握りしめているのは無意識なのだろう、相当他人に話すことに緊張しているらしい。
「そんなときにさ、ちょっと信じられない話かもしれないけどさ___時間を巻き戻せるようになったの」
言い終わると同時に白春が俺の手首を思いっきり掴んできた。
当然だ。俺がぶったまげて鉄塔から落ちそうになっていたのだから。
「なんだよ……それ……」
「ごめん。人に打ち明けるのは始めてだからうまく伝えられないけど、本当なの」
常識が揺らぐ感覚は、思っていたより気分が悪い。飲み込むのに、吐き気が周期的に襲ってくる。
「じゃあ、俺の事を知ってたのも……」
「あなたとは何度か話したことがある。あなたが、どんな人かも知っている。きっと自分で意識してない分あなたよりも。あなたがやりきれない時に鉄塔に登っていることとか、刺激を求めて友達のワルに付きってみるとか、いろいろな事を聞いた。今はもう、その時間軸じゃないけど」
「それじゃあ……、いや待てよ。じゃあお前何なんだよ?」
声が制御出来ず震えて掠れる。
「ごめん。混乱させると思うけど、私の目的だけははっきりしてるの。そのために、あなたに手伝ってほしい。そう言おうと思ってあなたを呼び出したの」
情けない姿を晒す俺を嘲る事もなく、白春は真摯な眼差しで俺に訴え掛ける。
「もうすぐ、この街で災害が起こるの。私はそれを何度も見て、巻き戻ってきた」
「災害って、地震か?津波か?それとも台風とか」
「それは……どれにも当てはまってどれにも当てはまらない、かな。もともと私以外にこの災害を知っていた人たちがいたんだけど、その人たちはこう呼んでた」
彼女は迷いを含んだ瞳で俯く。
「___"龍令"って」
か細く動く口から聞きなれない単語が紡がれる。
「それが、災害ってやつか?」
「そう。東洋の方の龍に、命令の令で、龍令」
「ハハ、そりゃかっこいいな」
少し気分が落ち着き、馬鹿らしいな、と笑う余裕が出てきた。
「それで、そのやばそうな大災害を砂はどうするつもりなんだ?」
「そうね、止めるわ」
さらりと言ってのけた。
「は!?災害を止めるのか?そんなことできるわけないだろ。精々、避難勧告でもだすのが関の山だ」
「いや、止められる。あなたの協力があればね」
揺るぎ無い意思のこもった目で俺を見る白春に、俺はなんだか心が平常運転になるのを感じる。
少し、夜空を仰ぐ。
いつもの雲の群衆が海の向こうから流れてきて、それを見ていつも俺はほくそ笑んだり、恨み言を溢したりしている。
俺が望むものは、自分が輝ける何か。自分を歪める何か。自分に刺激を与える何かだ。
それを思いだし、白春に向き直る。
「俺に出来ることなら、なんでもやらせてほしい」
白春は、当然だとでも言わんばかりににやりと頷いて、
「うん。じゃあ頼んだよ」
俺にとって最も馴染みの深い、好奇心たっぷりの笑顔を浮かべた。
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