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八話
○何時傘真無目
「いやー、面白かった!」
という意を込めた文章をさらにくどくどと甘くしたような文章を幽衣がSNSに投稿する。
映画見終わった後にも報告が必要なものなのか。
さて、二時間弱ほど映画館にいたはずなのでもう夕方だ。そろそろ家に帰る時間か。
「じゃあ行こうか」
「はい!」
二人揃ってエスカレーターを降りる。
電磁石であるという噂のあるこの建物も、中はクリーム色を基調とした暖かみのある内装で、下を見れば足がすくむような高さの吹き抜け仕様となっている。
「それにしても先輩。あの映画、本当に見たかったんですか?」
「そうだけど……どうして?」
「いや、なんか先輩が好むような映画でもなかったような気がして……」
府に落ちなさそうな様子の幽衣。
当然だ。僕が見たいと思った映画ではないのだから。
先日、SNSでこの映画についての投稿があった。
"灯影の"鯨。僕が崇拝すらしている作曲者による投稿だった。
要するに、彼がこの映画を見たから、僕も見ようと思った。それだけの事だ。
「まあ、なんか人気の映画みたいだったしさ。ちょっとは流行に乗って見ようかなと思って」
「わぁ!なんか先輩が"社会"を意識してる!すごい!」
嫌みったらしく開いた目が皮肉を謳う。
でも確かに幽衣の言うとおりだ。僕は真衣と出会うまで___いや真衣と出会っても他者を意識することなんてなかった。
誰もが自分の承認欲求を満たすために、相手を貶め、あえて讃えて、不細工に立ち回る滑稽な社会。
「そうだね。僕はこの世の中が嫌いなのかもしれない」
「わーい一匹狼!かっこいい!社会不適合者!飛び降りて死ねぇ!」
と、エールを送ってくるかわいい後輩の頭をなでていると一階に到着した。
さすがにこの時間帯であれば帰る客が多いのか、出入り口付近は少々込み入っている。
「さぁ。帰ろうか」
「振り返ると、幽衣が何か言いたそうにこちらを見つめていた……」
「……何?」
「えーっと。先輩、すこーしだけ寄り道してもいいですか?」
幽衣がそう言ってしっかり媚びる体勢を作る。
「まぁ……いいけど。どこに?」
「それは私が案内しますので。それじゃあ行きましょう」
心なしかいつもより淡々とした口調で幽衣が先を行く。
遊びすぎて疲れただけなのだろうか。
あまり深く考えず、僕は愛しき館内の冷房に別れを告げた。
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