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翌日は、予てから約束していた遊園地デートを決行した。観覧車乗り場の前で、佑生は悠真を待っていた。観覧車はもちろん、周りのアトラクションの派手な電飾のお陰で、夜でも視界は明るい。
心の中にモヤモヤは残っていたものの、やはり悠真のことは好きなままだったし、彼以外に好きになれる相手もいないと思った。
――恋って本当に恐ろしい。
傍から見たらバカだと思うだろう。まともに愛されてもいないのに、一方的にメロメロになってなんでも許して。
――俺って好きになったら一途なんだよなあ。
高校のときに付き合った彼女のことも一途に想い続けていた。別れたあとも一年は。
もともと嫌いになって別れたわけじゃない。彼女が父親の転勤で引っ越してしまったのだ。行先はアメリカだった。
遠距離になっても良いから続けていきたい、手紙だってメールだって電話だってするから、と言い募ったが、彼女の返事はノーだった。
彼女は中学の時にも、親の転勤で海外に転居したらしい。そのとき付き合っていた彼氏に同じことを言われたそうだ。でも、結果的に続かなかったと。半年でメールの返事が来なくなったそうだ。
――どんなに好きでも、会えなくなったら難しいんだよ。好きって気持ちも、会いたいって衝動も薄れていっちゃう。
涙ぐみながらも、彼女はしっかり割り切っていた。
今彼(厳密には違うけど)とのデートの待ち合わせ中に、元カノのことを思い出すとか。自分もけっこう軽薄なのか。
「そんなことない」
ムキになって独り言ちる。元カノと再会しても、心が揺れる可能性はゼロだ。これだけは断言できる。
「なに独り言いってるの」
可笑しそうに笑いながら、悠真が佑生の頬を指で弾いた。
「汗かいてるね。ちゃんとイオン水飲んで」
心配顔になって、ペットボトルを渡してくる。
「ありがと」
待ち合わせの時間は夜の七時だったし、そんなに暑くないだろうと油断していた。今年の八月は夜でも舐めてはいけない暑さだ。
ごくんと一口イオン水を飲むと、体が生き返ったみたいにしゃんとした。悠真がホッとしたように笑う。
「今日は観覧車だけで良いの?」
「うん。これに乗れればいいよ」
今日は、みなとみらいにある臨海パークの海上で花火が打ち上げられるのだ。時間を合わせれば、観覧車の中から花火を観ることができる。
――去年は一人で、バイトをしながら見上げてたんだ。
今思い出しても切なくなった。あの時の寂しさも蘇ってくる。
でも今日は、悠真と一緒だ。嬉しい。
「さ、並ぼう」
軽く悠真の腕に手を添えて、佑生は列の最後尾まで歩いた。
今日こそは言わなくては、と決意する。実家の経済状況が悪くなったから、自力で学費を捻出しなくてはならないこと、バイトを頑張りたいから、プライベートな時間が減って、悠真ともなかなか会えなくなるかもしれない、ということも。
三十分ほどで列の先頭になった。ちょうどいいタイミングだ。花火もそろそろ打ち上げられる。
悠真がさきに箱の中に入って、奥に座った。
「隣に座りなよ」
そういわれたが、佑生は向かい側の席に座った。
「真面目な話をしたいから」
前置きをすると、悠真が神妙な面持ちになった。
佑生が話し終えると、悠真が不満そうに眉を寄せた。
「そんな――会えなくなるなんて困る。嫌だよ」
意外にも、悠真は子供のようにごねてきた。表向きには、理解を示してくれると思っていたのだが。
「困るって言われると、こっちも困る。バイトして金貯めるしかないんだから」
「じゃあ、俺もバイトするよ。それを全部佑生に渡すから。そうすれば二馬力になって、佑生のバイトの時間は今と同じで済むでしょ? 今より会える時間が減るなんて絶対いやだ」
予想外の申し出をされ、佑生の目は点になった。そんな提案、飲めるわけがないのに。
「本気? 今言ったこと」
「本気だよ。佑生と会えないのは辛い」
すらすらと言ってのける彼に、急に怒りが込み上げてきた。
――一週間会えないぐらいで他の女に行く軽さだもんな。
ここに来て、佑生は自分の意志が固いことに気がついた。悠真と会う時間を削ってでもバイトをして、学費を自力で貯める。これは絶対やり遂げたいことなのだと。
悠真に対し決意表明をしたかっただけで、彼に打開策を提示してほしいわけではない。
「悠真がバイトした金を俺が受け取るわけないだろ」
受け取るような人間だと思われていたのだろうか。だったら腹が立つ。
こちらの怒りを察知したのだろうか。悠真が慌てたように言い募ってくる。
「一週間会えないだけで辛かったから。だから他に良い方法がないか考えようよ」
「他に方法なんてない」
もちろん、奨学金制度を利用しようかとも考えた。だけど言葉の響きはマイルドだが、しょせん借金であることに変わりはない。利子だってつく。頑張るのを先送りにするようで嫌だった。給料の良い職に就けるかも分からないのだ。
「ゆうき」
機嫌を取るような猫なで声に、更に苛立ちが募った。
こっちは帰省中に父親の病気を知らされたり、金銭的問題で悩んでいたのに。悠真はその間、何をしていた?
「俺と会う回数が減って嫌なら――また新しい一番を見つければ良いじゃん」
思ってもいないことが、口から滑らかに流れ出た。
「――なに言ってるの」
悠真の顔が強張った。怒りのためか、それ以外の感情によるものなのかは分からない。彼はこんな表情、佑生に見せたことがない。
「すでに見つけてる? 俺がいない間、女の子と会ってたんだろ」
こんな話、観覧車でするべきじゃなかった。悠真と二人きりでいるのが嫌なのに、下りられない。ちょうど今、自分たちが載っている箱が天辺の位置にある。
ふいにドン! と空で大きい音が鳴った。その刹那、真っ暗な空に赤、青、白の大きな円が描かれた。
眩い光が放たれ、きれいだなと思った。でもこんな心境のときに見たくはなかった。
この観覧車で、悠真と二人きりで花火を見ている。夢が叶ったのに、全然嬉しいとは思えない。
「――俺のスマホ、見たんだ」
悠真が静かに呟いた。そのあとため息を吐く。
「勝手に見たのは悪かった。でも、あんなトーク見たら、疑って当然だろ」
「彼女とは最後までしてない」
「何だよその言い訳。信じられるわけがない」
責めるつもりなんかなかったのに。本音が吹き出して止まらない。
――そうだよ俺は、本当は嫌で嫌でたまらない。
悠真が自分以外の人とセックスするのも、優しく笑いかけるのも、お気に入りを増やされるのも。
でも、それを許容しないと、悠真と一緒にいられない。それも辛かったから、耐えようと思った。だけどもう、限界だった。
「一番になんかならなきゃよかった」
口から勝手に本音が漏れた。
――渡瀬くんもそのうち分かるよ。
彩佳に言われた言葉が耳に蘇る。
そうだな、と思う。一番になって分かった。この立場の怖さ、辛さが。
トップに立ったら、あとはライバルに引きずり降ろされるのを待つだけだ。もう上には行けない。
「佑生、落ち着いて。観覧車から下りたら静かな場所でちゃんと話そう」
悠真が上半身を屈めて、佑生の顔を覗き込んでくる。
佑生はその好みの顔を見ないようにして、静かに言った。
「俺は落ち着いてる。むしろ今が一番冷静なんだと思う」
悠真と体の関係を持ってから、ずっと浮ついていた。冷静な判断ができていなかった。
「俺はもう、悠真のお気に入りでいたくない。一番も欲しくないよ」
なんでこうなったんだろう。友達の関係のまま片思いをしている方がずっと楽だった。苦しまずにすんだ。
「佑生、佑生」
困ったような、焦ったような悠真の声。
本当に少しは困ればいいんだ。
「もう俺の部屋には来ないで。大学でも話しかけないで。俺も話しかけないから」
きっぱりと決別の言葉を口にした。
顔を上げると、青ざめた悠真の顔が視界に入る。胸をぐっと締め付けられたように、苦しくなった。
佑生は彼から目を逸らし、観覧車の外を眺めた。まだ花火は続いている。柳の木のような繊細な線の集合体が、真っ黒な空に映し出される。でも、どうもクリアじゃない。雨でも降っているのだろうか。
でも、観覧車の窓に雨の粒は付いていないのだ。首を傾げた瞬間、頬に濡れた感触がした。それで初めて気がついた。
自分が泣いていることに。
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