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 事後も悠真は優しかった。ベッドから下りたたとたんよろめいた佑生に慌てて駆け寄ってきて、体を支えて浴室まで連れて行ってくれた。シャワーを浴びるのも手伝ってくれて、更には中に残ったローションを、指で掻き出すことまでしてくれた。汚れたベッドのシーツも新しいものに取り換えてくれた。 「じゃあ俺、そろそろ帰るね。何かあったら連絡して」  ベッドの上の佑生に優しいキスを落としてから、悠真は部屋を出て行った。ちゃんと鍵もかけてくれる。今日、佑生が渡したばかりの合鍵を使って。  さっきまで彼を受け入れていた場所を指でなぞる。まだ、襞を捲り上げられた感触が残っている。腸内に入って来たときの、異物感と充足感も生々しい。腹部を摩りながら実感した。本当に悠真としたんだ、と。  なぜこうなったのか。  スマホで時刻を確認する。十八時二分。  三時間前までは、こうなるなんて想像もできなかった。 大学の四限目が休講になって、急に時間を持て余すことになった。たまたまその時、佑生と悠真は一緒にいた。いつも彼の周りにいる取り巻きは一人もいなかったのだ。他の講義を取っていたり、大学を休んでいたりで。  悠真は「帰るにはちょっと早いんだよね」と言って、一番のお気に入りをLINEで呼び出そうと(もしくは、彼女の部屋にあがりこもうと)していたが、予定があるとかで断られた。 「カラオケでも行く? 俺とでよければ」  ダメ元で、佑生は悠真を誘った。どうせ乗ってこないと思った。キャンパス内では、近くの席で講義を受けたり、学食で一緒に食事をしたりと仲が良い方だったが、大学を出たらそう関わり合う事はなかったのだ。この一年。悠真は常に数いるお気に入りの部屋に入り浸っていたし、佑生はコンビニのバイトを入れていて忙しかった。 「カラオケ――あんまり歌うの好きじゃない」  やっぱり悠真は難色を示した。 「へえ、声は良いのにな。なんか勿体ない」  お世辞ではなかった。悠真の声は低くて、でも聞き取りやすくて、たまに語尾が甘く掠れるのだ。油断していると、その声に指先が痺れてしまうことがあった。腰がゾクッとすることも。 「他の子にもよく言われる。声が良いって」 「そうなんだ」 「あの時の声も聞いてて萌えるってさ」  ふーん、と相槌を打っている途中で、あの時がどういうときか想像できてしまって、顔が一気に熱くなった。  察しの良い悠真が、それを見逃すわけがなかった。 「今、なにかエロいこと思い浮かべた?」  少し面白がって、肘を小突いてくる。 「渡瀬って童貞だったりする?」  けっこう失礼な事まで聞いてきた。さすがにムッとする。 「違う」  はっきりと言い返すと、悠真が意外そうに目を見開いた。童貞だと思っていたらしい。そういえば彼は、佑生にコイバナを振って来たことがない。佑生のことを非モテだと勝手に確定していて、気を遣って女の話題を避けてくれていたのかもしれない。 「怒った? ごめん。でも渡瀬って、誰かを好きになってもなかなか告白できないタイプだよね」  彼が知ったような物言いをするので、また佑生はムッとした。さっきから決めつけられてばかりだ。 「まえ付き合ってた子には、俺から告白したし」  これは本当のこと。高校一年のとき、同じクラスだった好きな子に、自分から告白して付き合うようになった。 「じゃあ、その頃は勇気があったんだな」  今は名前負けしてるな、と悠真が口角を上げるだけの笑みを浮かべた。 「漢字、違うし」  くだらない、と佑生は肩を竦めて見せた。 「勇気がないのは本当の事でしょ。好きな人に好きって言えない。ずっと片思いしている。俺に」  最後の一言に度肝を抜かれた。何と言い返せばいいのか分からない。でも、認めたらマズいということだけは辛うじて分かった。 「何だよそれ、言っている意味が」 「分かるよね」  不意打ちで顔を近づけられ、キスしそうになった。胸がバクバクして、また顔が、耳まで熱くなった。 「俺はけっこう気がつく方だから」  彼の顔がすぐ離れていく。ホッとしながらも、残念がっている自分がいた。 「ね、今から渡瀬の部屋に行っていい? ここから近いよな」  断られるなんて微塵も考えていないような、強気な口調だった。彼の視線も、あからさまに誘うようなそれになる。頭の天辺からつま先まで品定めするような目。  もしかしたら、と期待した。  彼を部屋に招いたら、そういう関係になれるかもしれないと。  自分の体はゴツくはない。むしろ男の割に筋肉はないし、痩せている。身長も低い方だ。百六十五センチ。百七十八センチの悠真の腕にすっぽり収まる体型だ。 「行っていい?」  答えなんて分かっているくせに。優しい声でお伺いを立ててくるのだ。 「いいよ」  言い切ったとたん、不安になった。悠真はちょっと佑生をからかっただけなのかもしれないと。 「じゃあ、ローションとゴム、コンビニで買って行こう?」  肩に腕を回され、少しかすれた声で囁かれた。  そのあとはスムーズに事が進んだ。アパートの近くにあるコンビニに、ゴムとローションは置いてあった。それらを買って、部屋に着いたら、すぐにそういう雰囲気になって、シングルベッドに二人で寝っ転がって、裸になった。男としたことはない、と言っていたくせに、前戯は上手だし、指だけで一度、佑生はイかされた。 「忘れた方が良いのかな」  今日あったことはすべて。  明日も大学がある。二人は同じ講義を取っている。  どんな顔をして、会えばいいんだろう、彼と。  恋人面なんてできるわけがない。一回(厳密には二回だが)セックスしただけだ。佑生の方がつい「すき」と言ってしまったが、彼は何も言わなかった。  それに――悠真は常日頃こう宣言していた。特定の彼女は作らない。それでも良いなら付き合うよ。  付き合う=セックスの相手をする、という意味だ。真剣なお付き合いをする、という意味じゃない。それを分かっていて尚、彼のお気に入りになりたい、と言い寄ってくる女が、案外沢山いるのだ。そして、とうとう自分も仲間入りしてしまった。  ――俺は何番目だろう、今。  とりあえず一番目は知っている。彩佳。同じ大学、同じ学部の美人。スレンダーなのに胸と尻はしっかりある。二番目、三番目の顔と名前も、思い浮かべることができた。彼女らは、一番目の彩佳が近くにいないとき、もしくは捕まらないときに、悠真が誘う相手だ。  彼のスマホには、二桁以上の女性のアドレスが登録されているはずだ。いや、三桁いっているかも。  生粋の女ったらし――それが悠真だった。ルックスも頭脳も性格も良い。実家も金持ちで、家は目黒区の一等地にあるという。すべて持っている男。  ――俺なんか相手にされないと思っていたのに。  友達になりたいと思うのもおこがましいと。実際、悠真の男の友人は、彼と同等のステイタス、または少し劣るぐらいのレベルばかりで、そんな彼らと佑生は仲良くなれないでいた。  ――なんで仲良くなったんだっけ。なんで好きになった?  好きになったきっかけは、とくにない。気がついたら好きになっていた。彼の視線の先を、気になって目で追うようになっていた。いつの間にか、彼と同じ空気を吸っているだけで嬉しくなった。声を聴くだけで幸せな気分になる。話ができたら声が上擦りそうになるのだ。いつだって。  でも、悠真の方は違うだろう。自分のことを好きで寝てくれたわけじゃない。たまたま相手がいなかったからだ。 「――いつもと変わらない態度で」  期待しちゃ駄目だ、と自分に強く言い聞かせて、ベッドの上で目を瞑る。  夕飯は食べていなかったが、全然お腹が空いていなかった。彼の充実したものが、まだ内部にいるみたいに、体内を圧迫していた。  翌朝、大学で悠真と会った瞬間、自分の決意が正しかったことを知った。悠真はいつもと変わらない態度で佑生に接してきたからだ。セックスの片鱗なんて少しも感じさせることがなかった。  その日の夕方。講義がすべて終わったとき、彼の隣にいたのは彩佳だった。彼女を伴ってキャンパスから出て行く悠真を、佑生は何も言えずに見送った。
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