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十月一日。大学の後期が始まった。
佑生が一限目の教室に足を踏み入れたときから、悠真の周りの様子がおかしいと気がついた。
彼の隣に、彩佳がいなかった。
「佑生、こっち」
教卓の前で戸惑っている佑生に、悠真が三列目の机から声をかけてきた。彼の周りに、彩佳以外のお気に入りもいない。
佑生は首を傾げながら、悠真の隣の席に着く。滅多に座れないポジション。
「上原さんは?」
彩佳の所在を尋ねると、悠真が「さあ」ととぼけたように答えた。
「さあって」
「もうすぐ来るんじゃないかな。俺の近くには座らないけどね」
「え?」
言っている意味が分からなかった。
「ところでさ、今日、大学が終わったら佑生の部屋に寄って良い?」
「え、今日? コンビニのバイト入ってるよ」
「何時から?」
「六時からだけど」
「なら一時間だけで良いから」
甘えるような声で頼まれ、佑生はコクリと頷いた。一時間ぐらいなら、と思い直す。部屋でエッチするのだろうと思った。
胸がドキドキしてきた。これから授業が始まるというのに。
一限目のチャイムが鳴ると同時に、室内に駆け込んでくる女性がいた。彩佳だ。
彼女はずらっと並ぶ席を一瞥したあと、一列目の左端の席に座った。佑生たちが座っている席とは反対側だ。
「喧嘩でもした?」
ひそひそ声で隣の男に尋ねると、彼は苦笑しながら言う。
「もう違うから」
――違う?
どういう事か聞き出そうとしたところで、教授が教卓の前に立った。
佑生は質問を諦めて、講義に耳を傾けた。
昼休み。学食へ向かう途中、視界の隅に彩佳の姿が映った。隣を歩く悠真は、声をかけてきた友人と喋っていた。彩佳には気がついていない。
「悠真、俺、ちょっと図書室行ってくる」
先に学食に行ってて、と言い置いて、彼のの返事も聞かずに走り出した。
どうしても彩佳から話を聞きたかった。
彼女は一人だった。購買でパンを買っているところだった。
「上原さん」
後ろから声をかけると、興味のなさそうな顔で佑生を振り返ってくる。
「渡瀬くん」
彩佳とは、講義で近くの席に座っていたが、まともに喋ったことはなかった。いつも二人の間にはワンクッション役の悠真がいたからだ。
彼女が総菜パンを二つ買ったあと、二人は人通りの少ない廊下を選んで立ち話をした。
「悠真と喧嘩でもしたの?」
別れたの? と聞くのは憚られた。それを望んでいるように思われたら困る。
「気を遣わなくても良いよ。悠真のお気に入りから私が外されただけ。一番から一気に圏外。ちょっと焼きもち焼いただけなのに」
「焼きもち?」
「私との約束をドタキャンして、悠真は他の子を選んだの」
――ドタキャン? 夏休み中に?
「それって、いつ?」
嫌な予感なんだか、嬉しい予感なんだか分からない。ただ、鼓動が高鳴った。
「九月五日。映画を見に行く約束だったんだけど、他の子とデートしたいからって断って来た。こんなこと滅多になかったから、順位変わったのって聞いたら、『そうだね』って」
――九月五日って。
佑生と悠真が遊園地でデートした日だ。部屋でセックスしたあと、コスモランドで普通のデートを満喫した。充実した一日だった。
「――短い一番だったな。半年? それぐらい持てば良い方なのかな」
彩佳が自嘲的に笑った。
「これからどうするの」
また一番に返り咲きたいと思っているのだろうか。まだ彼女は未練を残しているように見える。
「んーもういいかなって。けっこうシンドイ立場だったんだよ、一番って」
「そうなの? けっこう楽しそうに見えたけど。花火も一緒に見に行ったんだよね」
遊園地で二人を目撃したとき、彼女が羨ましくて堪らなかった。自分だって彼の一番になれたらどんなに良いかと思った。
「見に行ったけど――いつにも増して上の空だったなあ。楽しいし幸せだったけどね。辛さも倍増だった。一番になってからは」
気持ちを切り替えるように、彩佳が大きく伸びをした。欠伸をしたあと、目を擦った。
「渡瀬くんもそのうち分かるよ」
予言めいた、嫌な科白。
なにより、すべて知り尽くしているような、冷めた双眸が、佑生の胸をひやりとさせた。
「あんまりのめり込まないようにね」
アドバイスめいたことまで言ってくる。これではまるで、知っているみたいだ。
驚いた顔を自分はしていたらしい。
彩佳が呆れたように笑って、佑生の肘を小突いてきた。
「渡瀬くんが悠真のお気に入りになったって、私が知らないと思ってた?」
そんなに鈍くないよ私は、と目くじらを立てて口をすぼませる。美女なだけあって、どんな表情をしても様になっている。
「知ってたし。私が傷つかないとでも思ってた?」
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