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家族、そして母
私は、ごく平凡な家庭に生まれました。
父母、母方の祖父母、4人兄弟の三男という、幸せで愛情溢れる家庭の中で育ちました。
父母、祖父母、共に優しく、私はソフトボールをやっていたのですが、毎試合家族みんなで応援に来てくれて、いつも私たち兄弟4人に時間を費やしてくれました。
父は、口数少なく、父の存在を偉大に感じるようになったのは大人になってからだと思います。
母は、何よりも私たちを信じ、優しく、真っ直ぐでした。
口下手なところもたくさんありましたが、私たちを喜ばせるに一生懸命こと、本当に大事にしてもらいました。
ですがその反面、悪いことをするとよく怒られていました。
小学生の頃元気よかった私は、よく先生に叩かれたり、指導を受けていたのですが、先生に、
「こいつが悪いんでもっとやってください!」
と先生に言っていたのをよく覚えています。
その中で、私が小学5年生のころ、家庭の事情(離婚ではありません。)により、父が実家に戻ることになりました。
ですが、私は特に気に留めることはありませんでした。
毎日ではありませんが、父とは会うことが出来たから。
その時は、特に理由も分かりませんでした。
しかし、原因の中に私という存在もあったのだと今考えれば思います。
小学3年生くらいから、よく学校を抜け出したり、授業には出ない、友達に暴力を振るうなどして、母が夜学校に呼ばれることもありました。
担任の先生が毎日のように家に寄り、私の素行を母に相談することが続きました。
その度に母が私に、
「お母さん疲れたよ」
と嘆いていたのを今でも覚えています。
父は、
「自分で考えろ、自分で気付け」
という人でしたので、母は苦労したのだと思
います。
悪いのは私だったのですが。
この頃から、父と母の喧嘩が多くありました。
私自身、今思えば情けなく恥ずかしいことですが、
「強さ」
というものを履き違えていました。
弱くて、臆病者の私。
この本来の自分を隠すために、虚勢を張っていました。
そんな私も中学校に上がり、1度は野球に打ち込み真面目になったのですが、やはり私は弱者でした。
若気の至りで、俗にいう「不良」と呼ばれる人間にどんどん足を踏み入れて行きました。
この頃から母とは毎日のように衝突していました。
時には涙を流させてしまうこともありました。
ですが、私は
「母の言うことを聞くことが恥ずかしいこと」
そう認識していたので、母の気持ちを分かろうとすることはありませんでした。
高校にも行かせてもらえたのですが、何も考えていないこの頃の私には、続けることはできませんでした。
3ヶ月で高校を中退し、仕事を始めたのですが中々続かず、毎日のように夜遊びに明け暮れていました。
そして、この後、大切な人を亡くす最大の問題を起こしてしまうことになりました。
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