「呪道考察」

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「呪道考察」

 これらは全て、拝み屋である三神三歳氏と、彼の愛弟子である三神幻子との対話で学んだ、「呪い」についての考察記録である。  初めて彼と呪いというものについて話をした時、三神さんが提言したのはいわゆる「呪」という言葉から連想される一般常識との齟齬であった。まずはお互いが「呪」に対して抱く理解や、すでに得ている知識を擦り合わせていこう、というのがその意図である。  端的に、三神さんの言う(あるいは扱う)『呪い』とは何かを問うた時、返って来た言葉は次のようなものだ。 『効果と、機能』  ぽかんとする僕に、先ほど述べた提言がなされた。  三神さんは言う。 「SF映画や昨今流行りの超能力アニメやなんかに皆、惑わされとるのだよ。例えば今ここにワシ一人が座っておるとして、自宅に戻った新開のを念仏一つで殺せるかと言えば、殺せまい。だが仮にそれが可能だとしても、しかしてワシはそれを呪いとは言わん」  あるいは三神幻子のような、人の世の理を無視出来る力を発揮する存在ならば、念力で人を遠隔的に抹殺する事は可能かもしれない。ただ、それを呪いとは言わない、とういうのが三神さんの持つ理念である。この場合、三神さんの言に従って先のような力を『遠隔殺人』と名付けた場合、それと比較して『呪い』とはどのような違いがあるのかを聞いてみた。   「呪いを用いて、先ほどワシの言った『遠隔殺人』をそのまま再現する事が出来る。例えば新開くんでも第三者でもいい。今から自宅の部屋に戻ったお前さんを、ワシはここから一歩も動かずに呪い殺してみせよう、と宣言する。そして実際お前さんが死んだ場合、その時は第三者相手ということになるが、『呪殺は成った』と断言する事ができる。そして第三者もまた、『確かに呪いはあった』と信じるだろう。たとえ、ワシがどのようにお前さんを殺したとしても、だ」  つまりは、こういうことである。  衆人環視のもと自分で決めた位置に座したまま、遠く離れた場所にいる僕を殺すと宣言することが「効果」。そして何らかの方法を用いて、確実にその効果を導きだすのが「機能」。  この二つを合わせて事を成す行為を、「呪い」と呼ぶのだそうだ。  それはつまり、三神さんの扱う「まじない」のことだ。  では一体、その「機能」に隠された何らかの方法とは何を意味するのか。 「それは、なんでも良い。その場で第三者に向けて条件を付けた場合、その効果を確実に実現できるならなんでも良いのだ。ただし、それを第三者に知られてはいけない。例えば、あらかじめお前さんの部屋に人を侵入させ、飲みかけのジュースが入ったコップに毒を垂らしてもいい。問題はワシが一歩も動かず、お前さんが死ぬこと。この事象の間にある見えない機能を、他人は決して理解出来ないのだよ」  尚も三神さんは言う。 「ただ相手が本当に死ぬとしても、当然、それが病死や寿命であってはいけない。死という『結果』ではなく、能動的な作用による『効果』を発揮して初めて意味がある。そもそも呪いの起源からして、そうなのだ。今でもアフリカの奥地や日本の山奥の村には、強い呪術を使役するシャーマンが存在している。それらはワシと同じ拝み屋であり、医者でもあり、調停者でもある。そこに住まう人々の安寧と公平性を保持するために、呪いは今でも高い効果を発揮している。この場合に言う効果とはもちろん、現実社会において『効く』か『効かないか』だ」  呪いは、本当に存在するものだと? 「あるし、効く。そうでなくて、何故ワシが拝み屋を名乗ろうか?」  片や、三神さんの愛弟子である幻子は、彼女の打ち出す死生観からして師匠とは食い違う部分も多いと聞く。そんな彼女にとって呪いとはなんなのだろうか、尋ねてみた。 「…強制?」  なぜ疑問形なのかは別として、興味深い返答が得られた。  それは対象者にこちらの意図する思惑を押し付ける、という意味で使われるのだろうか。 「んー…例えばここに、三十センチくらいの大きさのお饅頭があるとするじゃないですか。ないですけど」  どっちだ? 「ね? このお饅頭をですね、新開さんが食べたんだと。私が言い張るとします。だけど食べてないし見てもいない新開さんは否定します。だけど、私はしつこくあなたが食べたと言い続けます。やがてあなたが疲れてきた頃合いを見計らって、ズドンとあなたのお腹の中にナニカをぶち込みます。ね、新開さんが驚愕した所へ、私は微笑んでこう言います。ねえ、あなたの膨らんだお腹にあるのは、私が持ってたお饅頭じゃないかなぁ?」  …なんの話だ? 一体なにを言ってるんだ、この子は? 「理屈は、分からなくていいんです。分からせない技術もまた、必要な場合だってありますから。だけど私が宣言した、お饅頭を食べたのはあなた、という言葉を強制実行する行為を呪いだと私は思っていて、実際、少しでも新開さんが『食べたのかも』って思ってしまえば、呪いの成就です。届いたことになります」  一ミリも思わない場合は、どうするのだろう。 「呪いを扱う者の腕、でしょうかね。こちらの強制が通じないのであれば、それはこちらの打った呪いが弱く、跳ね返ってくるという事でしょうから。この世には実際、届かずに跳ね返る呪いだってたくさんあります」  映画や小説などで見かける、『呪殺』については、どう考えているのだろうか? 「それらを見たことがないのでよく分かりませんけど、呪いを用いて人を殺すことが出来るかという質問でしたら、可能ですよ。…え、自殺願望?」  どういうシステムで、可能にするのか…? 「私が呪いを打って見せたあとに、死を強制すればいいんですよ。簡単じゃないですか」  思わず背筋が凍りついた。  前もって断りを入れておくが、彼女は快楽殺人者でも異常者でもない。  卒業間近の女子高生である。  最後にもうひとつだけ質問をぶつけてみた。  以前、僕たちが出会った最初の事件で、東京中の道祖神に呪いをかけて回ったと聞いた。  あの時は実際に、何をどのように行ったのだろうか? 「あー、懐かしいですねえ。んー、あれはぁ、企業秘密かなあ。どうやってやったか、という点に関してはお答えできません。だけど何をしたのか、という質問に関してはひとつだけお教え出来ますよ。そもそも道祖神というものは性質上、人々の往来を結ぶために、道を守る神様として立っています。人々が安全に街を行き来するのを見守り、同時に人々が連れ込もうとする魔を退けてくれているのです。私はあの時、彼らの持つ機能が発動しないような細工を、施したわけです」  な、なにをしたんだ? 「だから、言えませんってば」  ちゃんと元踊りに治したのか? 「ちゃんと治し…あっ」  …三神三歳と幻子との対話によって得られた「呪い」についての理解で、一番重要だと感じたのは『効果』という部分である。効くか効かないかで言えば、効く。そして効果が発揮されるということは、三神さんの言う「正しい手順と方法」を知らない人間から見れば、それはまさしく呪いであると信じざるを得ないだろう。  そういう意味では、「強制」という表現も的を射ていたのかもしれない。  幻子の教えてくれた例え話は相変わらず理解が追い付かない部分も多くあったが、実際に彼女が不可能としか思えない事象をその手で実現した現場に、僕は何度も立ち会っている。  幻子があると言えばあるし、ないと言えばない。それだけの能力を有する彼女がひとたび物事を強制した場合、成就せぬ呪いなどこの世に存在しないだろう。  だがこう書きながらも、僕は理解しているつもりである。  こういった考察の果てに得られた理解の仕方こそが、幻子、そして三神さんが二人がかりで僕に施した、「呪い」なのだということを。
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