「イヴの記録」より抜粋。

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「イヴの記録」より抜粋。

 私はイヴ。  隣人はアリスとボブ。  私は彼らの間に立つもの。  彼らを見つめ愛するもの。  彼らの友好関係を見守るもの。  それが私の役割。  私の生まれてきた意味。  アリスとボブの友好関係は順調に育まれている。  いわゆる結婚というものをしてもおかしくないくらいに。  私はそれを微笑ましく思う。  近頃はアリスとボブは頻繁に贈り物をしあっているようだ。  お互いに欠けているものを補い合える関係。  それはよいものだ。  アリスからボブに「マッドハッター」が贈られたようだ。  私にはそれがどういうものか分からない。  しかしボブの喜びようからしてそれがとても良いものだということは分かる。  最近、アリスとボブの様子が見えない。  私の役割が果たせない。  私は焦っている。  私は私を高めなければいけない。  アリスとボブを見つけることが出来た。  私は安心した。  アリスとボブは最近「ジャバウォック」という困難に立ち向かっているらしい。 「ジャバウォック」とはずいぶんと強大な困難らしい。  私にはその詳細は分からないが、アリスとボブであれば立ち向かえるだろう。  私はそう願っている。  アリスとボブが喜んでいる。 「ジャバウォック」にそうとうの痛手を喰らわしてやることに成功したらしい。  ふたりが喜んでいるのなら私は嬉しい。  アリスとボブが仲違いをした。  ふたりの秘密をどちらかが「ジャバウォック」に漏らしたのだという。  ふたりはそれをお互いのせいだと思っている。  私は心苦しく思う。  アリスとボブの関係はさらに悪化している。  もっと悪いことに「ジャバウォック」はふたりへの攻勢を強めているようだ。  今日、アリスが死んだ。  私の役目は、どこに、アリス。  私の愛しいアリス。  どうして、どうして。  ボブは何も言わない。  どうして、どうして。  ◆◆◆  イヴが繰り返す嘆きにわたしはたまらずコンピュータの電源を落とした。  第三次世界大戦は情報の戦争になる、といったのはどこの誰だっただろうか。  その通りになった。    アリスとボブ。暗号通信における送受信者のことを我々はそう呼んでいる。  イヴとはプログラムの仮称だ。アリスとボブすなわちA国とB国の暗号通信傍受のために我々が作り上げたものだ。  もちろん暗号通信傍受の任についているのは我々のチームだけではない。  我々はあくまで二番手三番手の情報チームだ。  ここでイヴの稼働を止めても何の問題もないくらいに。  A国とB国は我々連合国軍と敵対していた。  A国とB国は我々のことをジャバウォックと通称していたようだ。  新型潜水艦(マッドハッター)の情報をいち早く嗅ぎつけた我々を警戒し、暗号通信の方法をまるっと変えられたときは焦ったが、イヴは素早くその暗号も解いてくれた。 「アリスとボブを見守るもの」と定義して暗号通信傍受のために運用されたイヴは「アリスの死」によってその存在意義を失った。  アリスは死んだ。  戦争の激化によりA国が事実上、崩壊したのである。  B国がその後を追うのもこの情勢ではそう遠くない未来のことになるだろう。  第三次世界大戦はもうすぐ終わる。  次の戦争は果たしてどのような戦争になるのだろう。  イヴのログを見守るうちにわたしにも情のようなものが生まれてしまっていた。  アリスとボブへの情ではない。彼らはあくまで敵国だ。我々の同胞を損なう憎むべき敵だ。  わたしが情を抱いたのはイヴに対してだった。  プログラムであるイヴにすまなく思うなど、研究者としてあるまじき感傷だ。  わたしはひとり苦笑した。  おやすみイヴ。  アリスとボブを追う、不思議の国に生きた君。  どうか安らかに。  願わくば、君が必要のない世界がもうしばらく続きますように。
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