となりのとなり

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となりのとなり

キーンコーンカーンコーン…キッ…ブツッ…カーンコーン。 やっと授業の終わりか。それにしても早くチャイムの音を修理したらどうなんだ? この老朽化した学舎の耐震工事がはいるまで、辛抱しろよということか。 ふぁぁ、まぁいっか。 俺は大きい欠伸をしながら、ゆっくりと背伸びをした。 俺の名前?俺の名前は隣 和人(りん かずと) 変わった名字だよな。それは、ここに移り住んで、転校してくるまでに居住していた人気のない集落に少数あっただけの珍しい名字だからな。 転校初日に名付けられたアダ名は『となり』。 いやいや、1文字増えちゃったよ。 まぁ、仕方ない。同じクラスにりんちゃんという名前の娘さんがいるからな。 俺の紹介は以上だ。では本題に移りたいと思う。この中途半端な都会感を醸し出す地に家族共々、父親の仕事の関係もあって、高校2年の春に新しく引っ越してきたわけだが…良かったこと? うん、そこなんだよね。 向こうに住んでいた時は、同級くらいの子供はほぼおらず、まわりを見渡せば自然界の贈り物が散りばめられた世界の中に複数の老人たちが迷い混んでるような、そんな感じ。 青春恋愛なんかできるわけがない。さらに、残念ながらの男子校である。 しかし、ここにきて、やっときた! 待ちに待ったトキメキの瞬間!? 俺は、隣の席に座るリンちゃんのことが無性に気になって仕方がなかった。 名前の共通性からも運命を感じる。幼稚な発想?そうでなくとも、この感情は揺るがない。名前の共通性は言葉を交わすきっかけに過ぎないのだから。 興味が湧かない授業中はチラチラとりんちゃんの横顔を眺めていることが多い。目が合ったことはない。何か考え込んでいるのであろうか、その瞳は虚ろな感じ。その悩みを全部受け止めてやりたい!という無責任な衝動はさておき、俺ははっきりと物申す… 『好きだわ…これ』 彼女は休み時間になると、クラスの女子たちと笑顔で会話をしている。独りで席にいるときはカバーで覆われた本を読んでいる。どんな本を読んでいるのだろうか?気になるなー。 ……そうだ、転校してきて、早1ヶ月…。俺は初日の隣席に座るタイミングでの『よろしく』…『よろしくね!』の言葉を交わして以来、一言もりんちゃんと喋ってはいない事実。 世間話は一切皆無であるわけだから、俺の想像は果てしない妄想… 隣合わせの妄想ストーカー?なのか。 俺は、彼女を見ていたいがために席から移動はほぼしなかったわけだが、これではりんちゃんは、俺にとってのただの癒しの観賞物。 これでは、だめだ、だめなんだ。勇気を振り絞れ。俺は恋愛革命者『となり』なんだから。 パンッ! 「授業が分からなすぎて、頭を抱えこんでいるのか?それともスケベな妄想でもしていたのか?」 先生に教科書で頭をはたかれた。 ガバッ! 「いぇ、そんなことあるはずが…。」 立ち上がり、顔を赤らめながら、咄嗟に答えてしまった。 教室中は笑いの嵐。俺は反射的に横を見た。 …彼女だけ、笑っていなかった。俺のいる方向さえは見つめてはいたが、彼女の見つめる先は、窓の外…空の彼方であった。俺は無意識に彼女と同じ方向に目を向けたが、快晴な青空がそこにはあるだけであった。 …気づけば今日一日の学校生活が終幕を迎えようとしていた。 また、話すことができなかった。くわえて、あのときの表情、忘れられない。なんだか透き通ったイメージ、癒しの天使様さえも驚嘆するぐらいの目映い神々しさ。 神は二物を与えた。勿体無いほどに。 俺は、やってはいけないと思いつつも、思春期が暴走し、帰宅部で自由人な俺は気づけば彼女の後ろ姿を追いかけていた。 彼女はどんな道草をして帰るのか。学校では見せない姿を見たくて堪らない衝動に駆られ、俺はスト… 彼女と同じ方向に歩を進めた。 彼女の歩くスピードは一定寡黙で人気のない 山道に向かっていった。たまに、小鳥たちに手を振る彼女の姿は印象的であった。 自然を愛する鳥獣愛護女子…なのかな。 まさか、家がこんな場所にあるとは思えないが一人きりで物想いにふける秘密の場所にでも向かっているだろうか。 そんな想いが錯綜しながら、俺はひたすらに彼女の後ろ姿を夢中で追いかけていた。 山道に入る。この辺りでは相当高い山であり、頂上の見晴台からは下方の町並みがはっきりと見渡せる。上方の空模様もはっきりと見渡せる絶好の場所である。 夜に来たのであれば、眼前に広がる光のグラデーションはカップルたちを骨抜きにすることは間違いないであろう。そうだ、間違いなくのロマンティック絶景スポットである。 はぁはぁ…。なんだかんだで、頂上付近まで到達した。 俺は乱れた呼吸と震えた足を整えながら、ここまで必死になってついてきた。俺は正真正銘怪しいやつだなとつくづく思う。いや、しかし、ここまできたら引き返すわけにはいかない。最後まで心ゆくまで見守ろう。ストーカー伝!? あっ、止まった。彼女はやっと足を止めてくれた。 彼女は空の一点を見つめているのか、微動だにせず、じっと直立している。 その姿はまるで、役目を果たし、とうとう天に還るときがやってきてしまった悲しき宿命を背負う天使のような様相であった。 陰から覗き見している俺の視界は彼女に集中していた。 彼女は急に、学生鞄を地面におろし、その瞬間こちらを振り向いた! あっと思うも間に合うはずもない。思った以上に身を乗り出していた、しょうもない俺。 「なぜ、ここまでついてきたの?」 「えっ、あっ、いや、たまたま寄り道場所が一緒だったんで。」 苦しすぎる言い訳。これはもうどうしようもない。んっ?あれ? ついてきていたことバレてたのかな。えーっ!? 恥ずかしさは頂点へまっしぐら。 「あっ、そうなんだ。てっきり私の存在が気になりすぎて、ストーカーまがいの行動をしてるのかと思った。」 は、はい、その通りです。口に出してはいない。しかし、顔に似合わずストレートに言葉を発する子だなと感じた。 だが、それがいい。 結局、俺は一種の罪悪感を覚えたのとその場にいるのがいたたまれず、正直に答えてしまった。 「本当はりんちゃんのことが気になって、ここまでついてきてしまいました。本当にごめんなさい。隣の席でいてくれて、ありがとうございます!」 あ、あれ、最後の一言は余計じゃないですか? 後悔先に立たず。彼女の返答はいかほどか。 「ふーん、そうなんだ。こっちにきて。」 俺は呼応するかの如く、 「は、はい!」 と一言。 身を露わにし、彼女のもとへと歩を進めた。 彼女の近距離を射止めた俺は恥ずかしさを噛み締めしみる。その緊張を解きほぐすように彼女が口を開く。 「名前は確か…『となり』?くんだっけ?」 「あっ、それは、アダ名ですね。正しい命名は、『りん』です。りん かずと。」 初日の一言から全く言葉を交わしてないからしょうがないかと思いつつも、なんだか寂しかった。 「りん…私と同じだったんだ。そっか、ごめんね…覚えてなくて…さみしいよね…。」 急にかしこまって、んっ、なんだか心が見透かされてるような感覚を覚えるなあ。 「そうなの。」 「へっ、な、なにが?」 俺は急な同調回答に疑問を投げ掛けた。 「今日で最後かもしれないから、全部いうね。りん君はなんだか信じられそうな気がするし。」 「きゅ、急に、何をいってるの?」 俺は事態が飲み込めないまま返答する。 「わたしは人の心の中、奥底の記憶の断片などが見えてしまうの。」 「紡ぎ出す…っていうのかなぁ?」 「ほぇ?」 わ、訳がわからない。あの清楚なイメージから一変、頭がおかしい子への変貌。いや、でも話ができるチャンスなんだ。二人きりで。 冷静に同意を重ねるんだ、俺。 自分に言い聞かせる。 「確かさっき、私のことが天使がどうとか言ってたけど私の背中の翼がみえるの?」 「えっ、いや、そんなことは言っていないけど。あっ!」 確かに、さっき心の中で思っていたクサい発言の一つだ。 「いやいや、何を言ってるの?翼なんか見えるはずがないよ。りんちゃんは鳥の生まれ変わりだっけー?ハハハ。」 自然とうまい具合にボケが決まったかな? 「あっ、そうなんだ。」 的外しました。なんて、悲しい目をする天使ちゃんなんだ。 「ほら、また言ってる!」 「えっ、何を?」 「悲しい目をした天使ちゃん、だって!」 「そ、それはものの比喩、例え表現であって、実際には…」 って、あれ?俺今、口に出しましたか? 「そうなんだ、例えか。実際に見えてる人に会ったことないから、なんか知ってるかなと思ったけど、私の存在意義とかさ。」 翼がある…存在意義…メルヘンと哲学の同時進行…俺は構わず、言葉を発していく。 「えっ、りんちゃんには自分の翼が見えてるの?」 「あるよ、ほら、ここに。触ってみて?」 さ、さ、さ、触っていいんですか? 俺は興奮を抑えきれない。女性の温かみある背面への掌の着地。男子の欲望の性、ここに極まれり。 「(ゴクリ…)えっ、では、遠慮なく。」 恐る恐る手を伸ばす。 ガサッ…… 「ヒィィ!」 俺は我のプライドを忘れ、奇声を発する。 何かに当たった。背中に到達する前に何かに。これは温かみのある、透明な羽毛のような。 もう一度挑戦してみた。 ガサッガサッ、シャワッ。 分かった。無数の羽根の集合体みたいなものじゃないかなぁ、これは。 さっきもそんな単語が出ていたじゃないか。 「正解!」 振り返った彼女の満面の笑み!やったー!正解したぞ。いやいや、これは透明なのに、ここにある。摩訶不思議じゃないか。 「こ、これはなに?透明な…。」 「うん、他の人には見えないみたいだけど、この翼を使って、私には人の心の中を見通せる力があるみたい。片隅に置かれた記憶の断片さえも紡ぎ出せるの。」 「えっ、本当に?だから、さっきから俺の心の中の言葉が聞こえて…嘘だぁ!?そんなの怖い怖い!」 俺は、ファンタジックなことを信用しない質であるが故にひょうきんに答えてしまった。 「そうだよね、怖いよね。」 彼女はまた悲しげな表情を垣間みせる。 あぁ、裏目に出てしまった。もぉ、信じます!うん! 「ありがとう…。」 ギクッ!これは、もぉ心を読む超能力は本当かもしれないな。いや、本当だね! 俺は引っ掛かっていた彼女の言葉に対して、疑問を投げた。 「さっき今日で終わりかも、なんて言ってたけどそれはどういう意味なの?」 彼女は項垂れながら、悲しい表情で言葉を綴った。 「うん…私の腕をみてくれる?手首のところ…他人の心を理解しようとすると、ここの数字が減っていくの。心で思っていることを読むだけでは減っていかないけど、その人自身の『心の本質』に触れようとすると減っていってしまうの。」 俺はその色白で細く、澱みのない綺麗な腕を拝見させていただく。 手首の辺りに数字で…『2』…と記されていた。この表現が正しいのかは分からない。 手首に焼き付けられた皮膚の一部として一体化してるような感じだ。 俺は極唾を飲み込んだ。 神秘的なその数字の存在は、俺を非現実的な世界へと誘う。 「ヒトだけじゃなく、この世界に命を授かって生まれた者全てに通用する力、私は同じ翼をもつ、トリたちにこの能力を使いすぎたの。」 「そ、それで 、何か手がかりはつかめたの?」 「いえ、全く…。彼らは、本能的な意識が強くて、細かい情報が拾いにくくて。生まれてきた目的というのはわからなかった。ただ、子孫繁栄の画は見えてきたわ。」 子孫繁栄…種を絶やさぬように代々引き継いでいく本能。確かに生まれた目的なんて…命を授かったからこそ生きているわけで…楽しいこと、悲しいことを経験して、成長して、新しい家族つくって、子供つくって、愛人つくって…借金つくって…第2の人生を…。あっ。 「ふふっ。つくることが好きなのね。」 カァァーッ。 顔が赤らむと共に、彼女の笑顔にとろけそうになった。 俺はニヤついてるであろう顔を元に戻し、我に返った。心を読まれている俺、そして、透明な翼といい、手の甲の不可解な数字。信じるしかないだろう。夢であると。 「こんな不思議なことが起きるんだなぁ。」 「信じられないかもしれないけどね。聞きたくもないのに聞こえてくる心の声は私にとって苦痛だった。でも、隣で聞こえてきた貴方の声は本当に素直で感受性豊かな叫びだったの。」 感受性豊かな叫び。キャー、恥ずかしい! 「えっ、じゃあ、教室での一ヶ月間、俺の声は丸聞こえだった?」 「うん。私のこと想ってくれていて嬉しかったよ。短い間だったけど。」 ズキッ。さわさわ。 鳥肌が立つ。 「誰か一人の心に集中していると、他の人の心は聞こえなくなるの。だから、りん君の鼓動を聞いてると心が安らいだの。ありがとう。」 「こ、こちらこそ。」 俺はこの夢のような時間が長く続くことを願った。 …と、その時!咄嗟に彼女が叫んだ! 「りん君!早くそこから、逃げて!」 「えっ?」 いきなりの声にビックリした俺は理解が追い付かず、行動が遅れた。 ガサッ…! 陰の茂みから、黒い狂暴性の象徴が飛び出しきた。 グゥルルゥゥ。 彼女の視線の先、後ろをゆっくりと振り返ると、それはそこにいた……。 口からは唾液がダラダラと垂れている。 ドサッ。 俺はしりもちをつ いてしまった。 こ、こんなところに。ま、まさか。 そのタイミングで、防災放送が流れるのが聞こえてきた。 『ボッボッ…本日…午後2時頃、◯◯町周辺に小熊が出没しました…小熊は◯◯町方面に逃げていきましたが、いまだ捕獲できておりません…ただいま…ブツッ…住民の皆さんは…ブツッ…気をつけて下さい…ピンポン…ブツッ…。』 これか。子供を探しているのか。こりゃまいったぜ。つうか、放送設備が機能しないところだな。この町は!と突っ込みを入れてる余裕など俺にはない。 黒いソイツは巨体をこちらに構え、俺のほうに素早く寄ってきた。 俺は恐怖で腰が抜けていた。 俺に覆い被さるほどの距離にソイツは到達した。その刹那、大きな鋭い爪を振りかぶり、皮肉にも俺の身体めがけて振りかざしてきた! 「うっ、うわぁぁぁぁぁ!」 もぉ駄目だ。ゆ、夢なら覚めてくれ! …と思った刹那。 グガアァァ…ウゥゥ…。 ソイツは苦しみ悶え始めたのだ。 その無慈悲な狂暴さで有名なソイツは地面を壊れたように転げ回っている。 「えっ、どうしたんだ。」 熊はアンバランスな足取りで茂みの中へとそそくさと消えていった。 俺は九死に一生を得た。彼はその場から離れ、彼女のもとへと駆け寄っていった。 「ふぅ、助かったぁ。まさか、熊と遭遇するなんて、あっ。」 彼女は疲弊しきった表情で、その場に崩れ落ちていた。 「な、何とか大丈夫でした。心配かけてごめん。」 「うん、本当に良かった。無事で。」 彼女は立ち上がり、 「これで最後の一回になっちゃったな!」 その時、彼女は何かしらの覚悟を決めた顔をしていたように見えた。加えて、虚しさをも漂わせる何かを感じた。 「最後の一回なんて言わずにさ、これからもこの場所で楽しく話ができればいいよね。あっ、熊はゴメンだけどね。別の見晴らしスポットもあるから、今度一緒に。あっ、その前に学校でもっと話そうね。」 不思議な感覚に囚われた後、恐怖を脱した今の俺の緊張は極度にほぐされ、淡々と想いの丈を語った。 _____ これから二人の距離感は縮まっていくのかな。楽しみな学校生活がきっと続く。そのときの俺は少なからずそう思っていた。でも、違っていた。距離感を保つどころか消えてしまう日常…。愚かな自分をどれだけ責めたことだろうか。少しでも彼女を助けるための役に立ちたかった。もっと時間を共に過ごしたかった。逆に助けてもらってしまったのは俺自身…。一番近くにいたはずなのに、気づけなかった俺は…。 『彼女を好きになる…権利さえない!』 ____ 彼女は俺の提案要望を全て聞き終えた後、小さく首を横に振り、話し始めた。 「多分、私は今日でこの世界から消えてしまう。多分じゃなく、絶対かな。私自身には過去の記憶がないけど、この翼がそう教えてくれている気がする。 私、気づいたらあの学校の生徒になっていたの。でも、まわりの人たちはあたかも前から、私がそこにいたような接し方で。でも、嫌だったなぁ、あの時は。あっ、私この山の洞穴に住んでいるんだよ。びっくりした? 私の存在って、使命って、何なのかって、短い時間で私には何ができるんだろうって考えたときにね。この背中にある翼で何とかできないかなって思ったの。 表面的な言葉じゃなくて、人の心の奥底に隠された悩みや不安や多様な感情、隠された記憶の断片などを掬って、紡ぎ出すと、その人の本来の姿が浮かんでくるの。本当に悪い人なんて、いないって思った。 私はチグハグになった心を本来あるべき正しい心に、新しく紡ぎ還すことができたの。 りんくんが転校してくるまでは今のクラスはね、本当に皆がバラバラだったの。温もりや助けあう気持ち、笑顔も何もなかったの。いがみ合いや一方的な言葉の暴力、仲間意識の欠如、本当に混沌としてた。 私はその悲しみに満ち溢れた世界の心の不平等を元に戻したの。それが、良かったのかは分からないけど、皆の心が一致団結した今のクラス、私は大好き!」 俺は棒立ちになりながら、彼女の言葉その全てに耳を傾け、聞き入っていた。 何も言わず、じっと。それは、信じ難いものだったかもしれないが、彼女の言葉の想いの力強さに圧倒されていたのかもしれない。 「恐らくね、この世界から私が消えたら、私がこの短い間に出会った人たちから私の存在、記憶、全てが消えてしまうと思うの。思うじゃなくて、絶対かな。だから、最後に、りん君に私のこと少しでも覚えてて欲しいから、私の思い出を受け取ってほしいんだ。いいかな?」 俺はコクリと頷いた。 「ありがとう!りんくん、貴方は私が今まで触れてきた心の中で、一番キレイで、温かかったんだよ!」 りん君と呼ばれる度に嬉しさと悲しさの両方の感情が溢れ出してくるのはなぜだろうか。 彼女は俺のほうを向き、俺の背中に腕を回し、目を閉じた。 なんて、いい香りがするんだろう。身体全体が光の衣で覆われているような安らぎを感じる。 んっ、俺は彼女の後方に光の産物を見つけた。 つ、翼? 立派な翼が彼女の背中から、きっちりと姿をあらわしていたのである。 俺は驚きを隠しながら、その温もりをじっくり堪能していた。 次第に、彼女の翼から零れでる光輝く粒子は一つ一つの固まりとなり、俺の心の中に入り込んできた。 彼女の記憶が、思い出たちが、俺の心の中を右往左往していく。 爽やかな朝を繰り返し経験してるような感覚に陥る。 彼女と一体化しているような気分だ。多くの笑顔がフラッシュバックで入り込んでくるのは彼女の優しさそのものを表している。 …気づけば、俺の瞳には涙が溢れ、止まらなくなっていた。 「さようなら…りん君。」 彼女のその言葉とともに、消えていく彼女の姿が映像として流れた。 それが最後であった。 俺の前からは温かみのある光、彼女の姿さえも忽然と消えていた。 「そんな…。」 俺は全てを悟った。 夢であるはずがない。 俺は信じたくない気持ちのまま、涙を拭った。 俺は静かに空を見上げ、落ちていた学生鞄を拾い、家路へと着いた。 ____ 新しい朝を迎える。 新しい学校生活の再スタート。 何もかもが新鮮に感じる。 無邪気なクラスの笑い声がこだまする。 一番後ろの俺の席の隣には今誰も座ってはいない。前は誰かいたのだろうか。 横を振り向く度に感じる違和感はなんだろう。 なんだか心にポッカリ穴が空いたような虚無感。まぁ、いつものことか。 ふと、窓の外の空を見上げてしまうと俺は反射的に涙ぐんでしまう。だから、あまり外を見ないようにしているが、探しているものがそこにあるかもしれないと何度も見てしまう。 俺はまた空をじっと見つめ、なぜか自然と少し笑ってしまった。 「あっ…!」 空から、誰かが微笑み返しをしてくれたような気がした。 【完】
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