幻の君

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 高校三年生の春、僕は彼女ーー倉持(くらもち)美冬に恋をした。初めて教室で彼女を目にした瞬間、時が止まったかのように立ち止まり呆けてしまった。早い話が、一目ぼれしたのだ。     最高級の漆器を連想させる長い黒髪は櫛が通っていて、緩やかな曲線を描くように首筋へと流れていた。肌は絹のように白く滑らかで、遠目でも分かるほど瑞々しい張りがあった。長い睫毛に縁どられた瞳は大きくて、幼い頃に飼っていた猫の目にとてもよく似ていた。  美冬と初めて言葉を交わしたのは、文化祭の準備をしていた時だ。今にして思えば、その日まで一度も話さなかったことが少々情けなく感じる。地味で奥手な僕には、クラスで眩い存在感を放つ美冬に近付く勇気すら無かったのだ。  「西野(にしの)君って、何か不思議だよね」  美冬は筆に絵の具をたっぷりと含ませ、白い画用紙の上へ流れるように走らせた。美冬は大人しそうな見た目に反して、明るくはきはきとした性格だった。  「どこが?」  味気ない風景に色が宿っていく様子をぼんやりと見つめながら、僕は気だるげな声で答えた。高校最後の文化祭で、僕たちのクラスは学生美術館という名の展示をやることになっていた。生き生きと手を動かす美冬に対して、僕は今一つ文化祭に乗り気ではなかった。  「ぼーっとしてるように見えるけど、いっつも考え事してて。優しそうに見えて辛辣なとこあるし、かといって近寄りがたい雰囲気も無いし」  「……それ、褒めてるの? それとも馬鹿にしてる?」  「うーん、どっちだろうね?」  美冬は白い歯を覗かせながら笑った。大人びた容姿なのに、幼さを感じさせる笑顔が不思議とよく似合っていた。  文化祭が終わると同時に、美冬と話す機会も失われてしまった。何度か話しかけようとはしたけど、クラスの人気者である美冬の周りにはいつもたくさんの人がいて、臆病な僕は近づくことすら叶わなかった。そのまま卒業を迎え、僕は自分の人嫌いをただただ呪った。  あれから、もう二年経つ。彼女が今回の集まりに来てくれるのが理想ではあるけれど、来ないのならそれでも構わないとは思っていた。  今更彼女と付き合いたいなんて贅沢は言わない。どこかで幸せに暮らしてさえいれば、それ以上は何も望まない。一目会いたいというのは、僕の我儘に過ぎないのだから。  僕は手元のリモコンを操作して照明を消すと、目を閉じて意識を手放した。
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