はじまりのミッション

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はじまりのミッション

それはまさに、青天の霹靂ーー。 「異動、ですか」  それは地方出張から戻り、自分のデスクで一息ついた時の事だった。夕方に差し掛かり、定時までまもなくということもあって、文芸編集部のあるフロアものんびりとした雰囲気がただよっている。  支給されているノートパソコンを立ち上げ、新幹線の中で仕上げた報告書の見直しでもしようかと思っていたところに、編集長と目が合い手招きされた。小会議室に促され、聞かされたのが部署異動の内示とは。  まだ頭の処理が追いつかない私をよそに、編集長は眼鏡の汚れをクロスで拭きながら続ける。 「そう。急で悪いんだけど来週頭から。雪平さんちょうど担当作家の本が校了したところだったでしょ」 「いや、確かにそうですけど、それにしたって急過ぎませんか!?」  私の働く苑丘出版は大手ではないまでも老舗の出版社だ。文芸や専門書、雑誌に子ども用文学まで幅広く書籍を扱っている。部署間の異動は時折ある話だが、いまは十一月。苑丘出版の異動は大抵四月が通例である。 「これじゃ、お世話になっている先生方への挨拶も行けないじゃないですか!」 「だから急な人事だって言ってるでしょ。文芸編集としてよくやってくれてる君を失うのはこっちも厳しいんだけどね」  眉間に皺を寄せた編集長が、眼鏡の奥の目を伏せる。 「デジタル化の波に押されているとは言え、『JASMiN』は我が社の創業当初から続く息の長い雑誌。大抜擢だと思ってがんばってきてよ」 「そりゃあ、私もうちに入る前からよく買っていた雑誌ではありますけど……」  小会議室の長机の上にポツンと置かれたその雑誌に視線を移す。表紙には人気の女性モデル。主に二十代の女性をターゲットとしたファッション雑誌だ。今回はクリスマス特集のようで、綺麗に化粧の施されたモデルの顔の周りに文字が踊っている。  編集長の言葉通り、暦は長いが時代の波にのまれ発行部数は年々右肩下がり。廃刊も囁かれている。誰が好き好んで異動したいと思うだろう。 「編集長知ってますよね? 私が出版社に入ったのは、文芸本の編集をしたいからなんです! 読者層に当てはまる女性社員は他にもいるじゃないですか」  息巻く私を宥めるように、編集長が微笑む。 「まあまあ、境地を救うヒーローになれれば、自伝のひとつでも出版出来るかもしれないぞ」 「興味ありません! しかも『JASMiN』の編集部って言ったら、あの鬼編集長がいるっていう部署じゃないですか……!」  廃刊が囁かれているとは言え、一時期はうちの看板商品でもあった『JASMiN』にはファンも多い。毎年ファッション誌の編集になりたいと志願してくる新入社員はそれなりにいるが、大体が研修期間のうちに辞めていく。その原因が数年前に抜擢された編集長にあるというのはもっぱらの噂だった。 「ははは、そうだったね。彼は確かに厳しいけど腕は確かだよ。これも武者修行だと思って、ビシバシ鍛えてもらってきなさい」 「そんなぁ……」  所詮は平社員。優しい上司に文句は言えても会社の決定は覆せない。一週間後、私は異動の挨拶もそこそこに『JASMiN』編集部の扉を叩いていた。
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