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オープニング
我々は指示された通りの格好で、すでに初期位置に整列している。
我々はそれぞれスマホに注視している。一人一人チェス盤のマスの中にきれいに収まった我々が、仲間であることが周囲に勘付かれるわけにはいかない。いい大人が路上アートに便乗してインスタ映えを狙っているなどと指をさされ、騒ぎになりかねない。
それでも目立つのではないかと懸念していたが、良くも悪くもうまい具合に人ごみの中に溶け込めている。
確かに、奴の言うとおりだった。
スマホを片手に、もう片方の手でタピオカジュースを握った若者や外国人が、あちらこちらでアート作品と一緒に写真を撮っている。
近郊で夏祭りがあるからか、待ち合わせのために立ち止まっている人も多い。
とにかく蒸し暑い。
チェスの駒と化した我々の前後左右を、雑踏は容赦なく通り過ぎていく。
それでもこの状態のまま時間だけが経つと、左右の端からベレー帽、ハンチング帽、キャップ、中央に中折れ帽とつば広帽といった、偶然にしては奇跡のような並びが人目を引くのは当然である。ツイッターのネタの餌食にされている気配が肌にバシバシ突き刺さる。
『義治先輩』
三年後輩の杉村徹からのグループトークだ。チーム間での会話や駒の移動に関する指示は、すべてこのグループトークで行うようにしている。
こんがりと日焼けした体でサーフィンを担いでいるプロフィール画像は、腹立たしいほどこの状況には不釣り合いである。日頃から俺のことを下の名前で呼ぶチャラついた奴ではあるが、こいつには重要な役割を担ってもらうため、ビショップに割り当てている。
『前を見てください! 奴らも揃ったようです』
スマホの時間を確認して、俺は顔を上げた。
流動する人ごみの隙間で、黒い服の集団が見え隠れしている。
スマホが振動した。奴からのショートメールだ。
『先行後攻を決めよう。クイーンのオブジェの前にいる一般人の中から一人選べ。誰かを探している奴だ。そいつの待ち合わせ相手が男か女かを私が選ぶ。私の予想が当たったら、こちらが先行だ』
なるほど。
クイーンのオブジェとは、チェス盤の真横の道路脇に立っている、ビルの三階まで届く高さの、白と黒のマーブル柄の物体のことである。その周辺には大小様々な他の駒のオブジェもあるが、クイーンが一番大きく、待ち合わせの目印になりやすい。オブジェの大きさは、駒の移動範囲に比例しているのかもしれない。
俺はいかにも待ち合わせ相手を探していそうな、キョロキョロしている紺の浴衣の女性を指定した。
『待ち合わせ相手は女性だ』
答えはすぐに分かった。現れたのは、ボルドーの浴衣姿の女性だった。
後攻か。通常、チェスは白が先行だが、事前に服の色を指定されていたこの状況でそんな意味は成さない。
意味があるとすれば、白は我々警察、黒は奴ら犯罪組織という善悪の明瞭な区別だろう。
俺は自チームのグループトークに、後攻となることを報告した。
『チェスって、先行後攻どっちが有利なんですか?』
杉村が反応してきた。
『先行よ。展開を作れるから』
プロフィール画像未設定の三河翔子が答えた。
生真面目で黒眼鏡。チェスは詳しいらしいからクイーンとしてよく動いてもらい、何か気づいたことがあれば助言してもらおうと思っていたが、余計なことを言いやがって。
『え、やばいじゃないですか!』
黙ってろ。もうすぐ対局がーーまで打ったところで、ショートメールが届いた。
『d4』
敵の前列の一人がこちらに向かって前進してきた。
対局が始まった。
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