勝負のビショップ

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勝負のビショップ

 d5。 『c4』  c6。  メッセージをやり取りするのとは別のスマートフォンで、チェス盤を上から映したライブ映像を確認していた。隣のビルの屋上に配置した捜査員が撮影しているものである。  いくらチェスの心得はあると言っても、棋譜だけですべての駒の位置を把握できるはずはない。流石にこれは不正には当たらないだろう。 『Nf3』  Nf6。 『Nc3』  このオープニングはセミ・スラヴという名の定跡(じょうせき)だ。  奴ーー榎本(えのもと)はチェスの名プレイヤーであり、先行を取った場合、初手でクイーンの前のポーンを2マス進める可能性が一番高いという情報は仕入れていた。  定跡の形をとっている間は淡々と打っていればいい。しかし駒の足取りは慎重で、スマホに入力する指は震えて仕方ない。命がかかっている勝負のせいだろう。  それでも人ごみは、何も知らずにチェス盤の上を横切っていく。  六手目後攻、dxc4。d列にいたポーンがc4にいた相手の駒を取った際の表記である。我々が先に、相手のポーンを取った。 『Bxc4』  ビショップの強面の男がこれ見よがしに、先ほど相手の駒を弾いたポーンをマスから追い出す。  味方の駒が一つ減った。取られた仲間が、向こう側のチェス盤の外にいる屈強な男二人に両脇を固められる。しかし、捨て駒なしに対局は進まない。  そう、勝たなければならないのだ。  しかし相手はチェスの名プレイヤー。比較的不利な後攻で勝つには、勝負に出なければならない。  杉村。斜め右前方に二マスだ。 『了解っす!』  九手目後攻、Bd6。ビショップの杉村が動く。 『e4』 『木戸(きど)さんの強気の一手に、相手も対応してきましたね』  三河からのメッセージ。その通りだ。この敵のポーンに対して何もしないと、せっかく勝負に出した杉村が次の次で取られてしまう。  Nxe4。杉村を狙うポーンをナイトで取る。 『義治先輩! 俺の横に敵のつば広帽が!』  十三手目先行、『Qxc6』。敵のクイーンがこちら側に食い込んできた。  黒いつば広帽で顔は隠れているが、帽子の奥から俺を睨んでほくそ笑んでいるような、異様な雰囲気を感じる。榎本に近しい人物だろうか。  杉村が危ない。しかし、h1から一度も動かしていないルークも狙われている。ルークはビショップよりも戦力が高いことを考えると、ここで失うのは痛い。だが、どちらか一方しか守れない。  Ne4。ナイトを配置したことで、杉村を守った。次の相手の一手で、ルークは取られた。
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