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まなざし 4
「こんな馬鹿な真似をして何になる?すべてはお前自身が望んだことだというのに」
「すべてって……どういうこと?」
「街で殺人を繰り返すお前を、駆除せよと押し寄せる市民から隔離するためにこの屋敷はある。薬を飲んで記憶を消し、人格を変えて私との生活を始めたのは間違いだったのか?」
主は優しく諭すように言うと、一方の手をわたしの首にそっとそえた。
「わたしが殺人を……それで外に出るなと言ったのね」
「そうだ。顔も声もなにもかも変えたというのに、それでもお前に気づく者がいたとはね」
わたしは「彼」のまなざしを思い浮かべた。あの、何もかもを見通すような、澄んだ瞳。
「お前は街を捨て、人ごみを避け、この屋敷で私と暮らし始めた。何もかも順調だと思っていたが、街が、人ごみがお前を再び呼びよせた。……あれを見るがいい」
主が目で示した場所には、大きな姿見があった。姿見は一瞬、表面を曇らせたかと思うと次の瞬間、思いもよらぬ風景を映し出していた。それは屋敷の長い廊下と、その両脇に甲冑のようにずらりと並んだ「主」たちの姿だった。
「お前は町の人間たちから自分を守らせる僕として、大量の私をこしらえた。これで誰からも責められずに静かに暮らせる。これ以上、無意味な殺人を繰り返さずに済む。そう言って始めた理想の生活だった。お前が殺めた一体に、たまたま鍵をかけ忘れるというバグさえ発生しなければ…」
わたしが姿見を覗きこんでいると、やがて廊下の奥から人影が現れた。人影は、「わたし」だった。「わたし」はまるでシャンデリアに火を灯すように両側の「主」たちにスイッチを入れていった。次々と目を開く「主」たちを満足そうに見つめながら、「わたし」は廊下の手前、「わたし」のすぐ目の前までやってきた。
「どうやらまた、殺人衝動に目覚めてしまったのね。しょうがない「わたし」だわ」
姿見の向こう側から「わたし」が「わたし」に言った。
「どう?昔の自分に会った気分は。薬で人格を変える前のわたしはこうして「主」を作っては命を授けていたのよ。おぼえてる?」
わたしはかぶりを振った。何も知りたくはない。ただ「彼」にもう一度会いたかった。
「あなたには悪いけど、もう「ひとごろし」には戻らないことにしたの。だから、あなたにはもう一度、生まれ変わってもらうわ。仮死状態のあなたに改めて薬を投与するの」
気が付くと、主の両手がわたしの首を捉えていた。「わたし」を殺すつもりに違いない。
「だって、このままだと街の人たちがこの屋敷に押し寄せて、あなたを殺してしまうもの。……わたしはそんなのいや。ころされるくらいなら、わたし以外のみんなをころしてやる」
自分を監禁するための僕達を背後にずらりと従えた「わたし」は、そう言って微笑んだ。
「ねえ、あなたはどうしてわたしを、あんな目で見たの……」
首を絞める主の力が強まるのを感じながら、わたしは薄れゆく意識の中で「彼」のまなざしをふと、思い浮かべた。
〈THE END〉
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