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まなざし 3
そして一月後、主の外出を見計らってわたしはとうとう三度目の禁を犯した。もしかしたら三度目はないかもしれない。そんな不安を抱えながら人ごみの中を彷徨っていたわたしは、ふいに首筋にあの懐かしい「まなざし」を感じたのだった。
今日こそ言うんだ。「彼」に「助けて、わたしを屋敷から連れ出して」と。
わたしは彼の目を見つめ返すと息を吸い、聞こえるように「助けて」と言葉を発した。
周囲の空気が一変したのは、わたしが助けを求めた直後だった。まわりの通行人たちが一斉に足を止め、恐ろしいほどの視線がこちらに向かって矢のように振り注いだのだった。
「……ひとごろし」
わたしは思わず自分の耳を疑った。「彼」がわたしに向けて放った最初の言葉。まさか。
「ひとごろし」
「ひとごろし、そうだ、ひとごろしだ」
彼の発言を皮切りに周りの人たちが口々に罵りはじめ、わたしは感じたことのない恐怖がこみあげるのを意識した。わたしは身体の向きを変えると、行く手を阻む人々を押しのけるようにして走りだした。
気が付くと後ろから無数の足音が追いかけてくるのが聞こえ、わたしは心臓が喉から飛びだすのではないかと思うほど無我夢中で走り続けた。やがて目の前に見覚えのある霧が立ちこめ、わたしは追っ手から逃れるように霧の中へと飛び込んでいった。
「まったく、何て事をしてくれたんだ。これほど愚かな娘とは思わなかった」
館に舞い戻ったわたしを「主」は口をきわめて罵った。
「お前を外に出さなかったのは、お前を外の人間たちから守るためだ。なぜかわかるか」
わたしは俯いたままゆっくりとかぶりを振った。よもや「彼」から、わたしにとって救い主になるはずだった「彼」からあんなことを言われようとは。ショックでわたしの思考は完全に麻痺していた。
「すぐには理解できないだろうが、お前はここでしか生きられないのだ。だから……」
轟音が広間の空気を震わせ、「主」はわたしへの苦言を言い終えないうちに床に崩れた。
「わたしは、外を知ってしまった。「彼」を、人ごみの賑やかさを知ってしまった。もうこのお屋敷では暮らせないわ」
わたしは主の机から秘かに盗みだした拳銃を手に携えたまま、呟いた。床に転がっている主の額には黒い穴が穿たれ、至近距離から撃ったため主の顔はどす黒く煤けていた。
「これで本物の「ひとごろし」ね。でもなぜ、あんなにもたくさんの人が……」
わたしが独りごとを漏らした、その時だった。広間から書斎へと通じるドアがふいに開け放たれ、三つの人影が姿を現した。
「愚かな娘だ」
「愚かな娘だ」
「愚かな娘だ」
突然、現れた三人の「主」は厳しい表情でわたしの前にやって来た。三人のうち二人がわたしの左右に立って両腕の自由を奪い、残った一人がわたしの正面に立った。
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