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まなざし 1
「人ごみなんかに出て行くなと、何度言ったらわかるんだ!」
どうしてわかったんだろう、わたしは「主」の血走った目を見ながら思った。
「ごめんなさい、息苦しくてどうしてもにぎやかな場所に行ってみたかったんです」
わたしは表向きの理由を口にした。あながち嘘というわけでもない。
「私が愛情を込めて守ってやっているというのに、か。おまえには外の暮らしは無理だ」
主はひとしきりわたしをなじるとがらりと口調を変え、脅しめいた言葉を口にした。
「今度よからぬことを企てたら、今までとは比べ物にならぬ仕置きが待っていると思え」
広間中に響き渡る声で言うと、主は書斎に引き返していった。
「主」がわたしを屋敷に閉じ込めて、どのくらい経つだろう。わたしの保護者から身柄を委ねられたという話だが、わたしの記憶はなぜか霞がかかったように曖昧で、何も思いだすことができない。もしかしたら力で強引に拉致され、連れてこられたのかもしれない。
屋敷はヨーロッパの貴族が住むような大きな建物で、主は外に出ずに書斎で仕事をしていた。
主が私に禁じたのは外に出て人と接触すること、テレビや電話で不要な情報を得ること、だった。それで私は日がな書庫にこもり、大量の蔵書を読み耽ることが日課となった。
それでも広い屋敷の中を歩きまわることは自由で、地下室に閉じ込められて鎖に繋がれるよりははるかにましと言えた。
わたしが囚われているお屋敷を抜けだして、街へ――人ごみの中へ飛びだしたのは、お昼頃のことだった。脱走はこれで二度目、ばれたのも二度目だ。
なぜわたしが屋敷を出られたかというと、主が鍵をかけずに外出してくれたからだ。
厳しい主が二度も鍵をかけ忘れた理由はわからない。もしかしたら、屋敷を出たところで私の足では遠くまで行けないと思っていたのかもしれない。
屋敷はうっそうとした森の中にあり、周囲にはなぜかいつも濃い霧が立ち込めていた。
わたしは主が外出したのを見届けると、森の中の径を街目指して一心不乱に駆けた。
走っているうちにわたしの意識は霞がかかったようになり、それでも気が付くとわたしは街の中に――めまいがするほどたくさんの人が行きかう雑踏の中にいた。
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