これはデートですか?

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これはデートですか?

 約束の金曜日、俺は課長と会社のエントランスで待ち合わせをした。男二人で、明らかに上司と部下な感じが否めなくてちょっと悔しくもあったが。 「課長、今日は車ですか?」 「いや、置いてきた」 「じゃあ、飲めますね」  一応確認をしてみると、どこか解れた表情で課長は返してくる。雰囲気も仕事と違って柔らかい。だからホッとした。  そうして課長を連れていったのは、完全個室の和食居酒屋だ。内装もオシャレだし、個室だから他に気兼ねもない。平均予算はそこらの居酒屋よりも少し上だが、ホテルのレストランとかに比べれば庶民の味方だ。  予約してあったから金曜日でもすんなり入れる。案内された部屋は間接照明が柔らかい明かりを灯す座敷だった。 「俺はとりあえずビールですけど、課長は?」 「日本酒をもらおう。ビールはどうも合わないんだ」 「他、一緒に頼みますか? 俺はだし巻きとかが定番なんですけど」 「そうだな……刺身の盛り合わせと、西京焼き……前菜3種盛りとかどうだ?」 「あぁ、いいっすね」  ドリンクオーダーにきた店員にこれらを注文すると、まずは飲み物とお通しがきた。ほうれん草の白和えだ。 「では、乾杯しますか」 「そうだな」 「課長、この間は手伝ってくれて有難うございました」 「気にするな」  互いに穏やかな様子で乾杯をして、俺はクッとジョッキを傾ける。課長はお猪口の酒を一息に飲み干した。 「大丈夫ですか? この間、酔ってましたけれど」  俺の中では課長=酒が弱いの図式になっている。心配で聞いてみたら、課長は苦笑してお猪口を置いた。 「合わない酒だとすぐ回るんだ。けれど日本酒は平気だ」 「そうなんですか。俺、そういうの考えた事がなかったな。ちなみに、苦手な酒って?」 「ビール、酎ハイかな。焼酎もあまり得意じゃないようだ」 「うわぁ、居酒屋で飲むもの限られますね」  やっぱこの人育ちがいいなと、俺はジョッキの三分の一程飲み干して笑った。  そしてふと、前の飲み会での事を思い出した。 「じゃあ、前は苦手だって分かってるのに飲んだんですか?」  俺の質問に、課長は明らかにぎくりと肩を震わせる。そして下から俺を見た。 「……酔って忘れたい事も、あるだろ?」 「あ……」  俺は触れていなかった話題に抵触したことを知って、視線を逸らす。なんというかこの話題を忘れていた。  料理が並び、それぞれ取り皿に思い思いに料理を乗っける。「これが美味しい」とか「こっちも美味い」と言い合って、わりと打ち解けて食べているうちに酒も進む。課長は宣言通り前のような酔い方はしないまでも、楽しそうに笑う事がいつもより多い気がした。 「沖野はいい奴だな」 「え?」  不意に出た言葉に、俺は目を丸くする。ほんの少し赤くなった目元が、ふわっと優しい笑みを作ってこちらを見ている。その視線に俺はまた、ドキリとさせられるのだ。 「俺みたいなとっつきづらい奴も、こうして食事に誘ってくれるんだから」 「いや、普通だと思いますけど。ってか、食事くらい普通に行きませんか?」  聞いたら途端に寂しい顔をされる。これも地雷だったんだと、俺は口を滑らせてから後悔した。 「実は、交際相手以外だと、こうしてプライベートで誘ってくれたのは沖野は初めてなんだ」 「えぇ!」 「どうにも、誘いにくいみたいなんだ。どこに連れて行けばいいか分からないと言われることもある」 「あぁ……」  分からないではない。沖野もものすごく悩み、リサーチしてここに決めたくらいだ。  けれどこの肯定が更に課長を凹ませた。かくんと肩が落ちてしまった。 「あの! でもそれは、課長がどんな人か皆が誤解しているだけですよ! いい人だってのは、皆分かってると思います。俺だってアレ切っ掛けで話をしてなかったら色々と誤解してただろうし。見た目でなんか……損してる? あれ?」 「沖野」 「うわぁ! 誤解っすよ! 俺は課長の事好きっすよ!」  ひっそりとディスってるっぽくなったことに慌てた俺は訂正を入れた。けれどこの訂正に、課長は僅かに驚いて、前にホテルで見せたような顔をした。手で口元を隠して、目線を逸らして、でも耳まで真っ赤だ。  ドキッとするのは、多分気のせいじゃないと思う。俺はこの人のこの表情に、妙な色気を感じているんだ。 「課長」 「好きとか、簡単に言うな馬鹿者」  課長はそんなことを言って、酒をクッと飲み干す。それでも足りなくて新たに注いで、また飲み込んだ。 「……課長、あんまり飲むとまた酔いますよ」 「大丈夫だ」 「いや、でも……」 「情けない姿は既に見せてしまったんだ、今更だ。それに……とんでもない事もしてしまったしな」  「とんでもない事」というのは、ホテルでの一件だろう。それについても触れずに来たが、こうして二人の席では許してくれるのかもしれない。  俺は思いきって、課長に聞いてみた。 「あの、別れたって聞きました。課長くらいいい男が、なんか酷い理由で」  途端、課長は酷く狼狽えたように震える。そしてしばらく、お猪口だけをじっと見つめていた。 「俺、そんなの気にしなくていいと思います! 課長はいい人だし、そんな理由で別れを切り出すような相手とはきっと、いつか駄目になってたんじゃないかって。何も知らない俺が勝手を言うようで生意気ですけど、俺はもっと課長はいい恋ができるって思ってます。だから!」 「……俺は、ゲイなんだ」  必死に言い募った俺に、課長は小さくそう言った。  しばらく、なんとも言えない沈黙が流れた。課長は酒をクッと煽って、表情が消えてしまった。  そして俺は頭の中が真っ白だった。 「仕方が無いだろ、俺といても相手に未来はない。最近は大分ましになったが、偏見がまったくなくなったわけじゃない。いい年して、それなりにキャリアも積んで……そうしたら、男の恋人なんているだけ邪魔だ」 「そんなこと!」 「無いと言えるか?」  諦めたような、どこか冷めた目をする課長を見ているとどっかが痛い。俺は……何かに傷ついていた。でもそれは課長の性癖のことじゃなくて、もっと違う部分だっていうのは漠然と分かった。 「悪かった、沖野。何も知らずに親切にしてくれたお前の優しさに、つけ込むような事をした。こういうことだから、今後は上司と部下として以上には接しない」  そう言って立ち上がろうとした課長の腕を俺は掴んで引き留めた。驚いてこちらを見た課長の顔は、今にも泣きそうなものだった。  やっぱり違う。俺はゲイではないけれど、課長がこんな顔をする理由だってないはずだ。ただこれだけの事で、この関係は終わっていいのか? 俺は、そうはしたくないんだ。 「つけ込まれたなんて思ってないし、課長がどんなセクシャリティを持っていても俺は、付き合いを切るほどの事じゃないって思ってます」 「沖野……」 「確かに課長の言うことも正しいとは思いますけれど、俺はそれで判断するんじゃなくて、課長といる時間とか、もっと大事なものがあるんじゃないかって思います! 現に今、俺は楽しいと思っていますよ。課長とこうして話すの、なんか落ち着きます。だから課長も後ろ向きな考え方じゃ無くてもっと前を見て次に踏み出せばいいんだって思います!」  酒、飲まなきゃよかった。思った事や感じた事は伝えられても、それをちゃんと言葉として伝える事が上手くできていない。言いたいことは概ね合っているのに、いいこと言えてない気がする。  課長を見たら、顔が真っ赤になっていた。そしてその場にペタンと、座り込んでしまった。 「あの、課長?」 「お前、凄い口説き文句だぞ」 「へ?」 「無自覚。あのな、俺はお前も恋愛対象に入るんだぞ? そんな奴に無防備すぎるだろ。だから前回、俺にいいようにされたんだぞ」 「え?」  何が、無自覚だっただろうか? 考えてもよく分からない。俺は俺の思う事を課長に伝えただけなんだ。  課長はセットが崩れるのも気にせず前髪をクシャリとする。そして横目に俺を見て、溜息と共に笑った。 「まったく、お前は……」 「あの、俺なんか言いました? 思った事を伝えたと思いますが」 「あぁ、そうだな。おかげで俺はお前に惚れるよ」 「……え! 惚れ!」  ふわっと笑った顔に、俺はまたドキドキする。そして冗談みたいな「惚れる」 という言葉にも反応してしまった。顔が熱く火照るのは、酒のせいばかりじゃないはずだ。 「沖野」 「あっ、えっと……」 「……いや、今はいい。何も言わずに、時々また遊んでくれるか?」  弱い表情の課長のこれは、懇願なのだろうか。咄嗟に掴んだ俺の手に手を重ねられて、俺はより一層ドキドキする。そのくらい、この人は色っぽい。 「駄目か?」 「勿論いいですよ! というか、それならこの後一緒に遊びに行きませんか?」 「この後?」  課長は不思議そうに首を傾げる。俺は頷いて、スマホを調べて近くのゲーセンを見つけた。大型で人も多くて店内も明るいはずだ。 「ここ、行きましょう。まだ時間も早いから、デザート食べても終電までは余裕っすよ」 「あぁ、それはいいが……」 「よし、決まり!」  メニューを早速出してデザートを選んで、俺は締めのお茶漬けにした。そして課長はまさかのあんみつらしい。それを、子供みたいな嬉しそうな顔で食べていた。  居酒屋を後にした俺は課長を引っ張るようにしてゲーセンに向かった。クレーンゲームに音ゲー、オンライン対戦のあれこれから、レトロな物まで。  課長は珍しそうに辺りをキョロキョロしている。まるで初めて連れてきた小学生だ。いや、初めてなんだからそうなのか? 「沖野、あの……きたはいいがここで何を?」 「なにって……ゲーセン来たら遊ぶでしょ。ゲームで」  当然のことを聞かれて俺は呆然と答えた。でも、そうか。この年までこういう場所を知らなかった人なら、ここはまさに未知の空間なのかもしれない。 「あの、俺は遊んだことがないから分からないんだが」 「大丈夫、遊べる物はありますよ。ほら!」  俺が指さした先には、レーシングゲームがある。運転席そのままのそれを見て、課長はしばし目をパチパチさせていた。 「これなら遊べるでしょ? 車の運転と同じですよ。まずは俺がやりますから、見ててください」  俺は実際は免許を持っていない。けれどゲームではかなりのレーサーだ。  金を入れて走り慣れた、比較的簡単なコースを選んで走り出す。課長は俺の横で、操作方法を色々見ていた。 「よし、ゴール!」  勿論一着だ。課長は隣で控えめにパチパチしている。 「やりませんか?」 「これなら、多分」 「やりましょうよ。俺、実際は免許持ってませんけどゲームなら余裕っす」 「飲酒運転で切符切られる事もないな」 「あはは、ないない!」  隣に座った課長はいつもの癖かシートベルトを探して、ちょっと恥ずかしそうにした。  けれどその走りはなかなかだ。本当に一発で操作を覚えたらしい。いい角度で入ってくるし、スピードもある。何より物怖じせずに頭を突っ込んでくるからちょっとひるむのだ。  結果、俺は課長に負けてしまった。 「うわぁ、マジか! 初めての人に負けるとか」 「面白かった。普段じゃこんな運転出来ないから」 「才能あるっすよ」 「だといいな」  本当に楽しそうな顔で笑った課長を、俺は更に誘った。興味を示す物は何でもやったけれど……ガンシューティングは駄目っぽい。主にゾンビがいるからと怖がって、角を曲がれない人だった。  そんなこんなで気づけば二時間も遊んでいて、そろそろ終電を考えなければならなかった。  帰りがけ、ふと目にとまったクレーンゲーム。俺の手には300円ほどが握られている。俺はそれを、目の前にあるふわふわの可愛いウサギのぬいぐるみの入っている機械に入れた。 「沖野?」  側に来た課長が、俺の操るクレーンの行く末を見て居る。最初で、いい感じに位置を調整した。200円目で、更に寄せた。そして300円で見事、俺はリーマンが抱えて帰るにはハードルの高い、大型のうさぎのぬいぐるみをゲットした。 「あ……これ持って電車か」  ちょっとハードル高いな。思って、何を思ったのか俺はそれを課長に抱かせた。これがまた、なんかちょっと可愛く見えた。 「え?」 「今日の思い出に、持って帰ってくださいよ」 「だが、これで電車!」 「似合ってますよ」  言ったら、課長は顔を赤くした。けれど抱き心地を確かめて、もふっと顔を埋めると、ちょっと幸せそうな顔をする。その顔がまた、無防備でドキリとした。 「気持ちいいな」 「良かった」  リーマン二人でゲーセンを後にして、駅に。その間、少し無言だった。けれど、駅の入口で課長はちょっと立ち止まって、俺に向き直った。 「今日は楽しかった。それで……よければ次の土曜日、俺に付き合わないか?」 「え?」 「ドライブに行こうと思ってるんだ。嫌じゃ、なければ」 「どうして嫌だなんて思うんですか?」  俺がそう返すと、課長は心底驚いて、次にとても弱い顔で笑った。その顔は、多分反則だ。 「次の土曜っすね。楽しみにしてます」 「あぁ」  約束をして、互いのホームに別れて。俺はほろ酔いで楽しい気分のまま家路についた。
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