ドライブ

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ドライブ

 一週間、ほぼ何も起こらなかった。入稿したデータは無事に通ったらしく、機械的に『お疲れ様です』というやり取りがあるばかりだ。  何にしてもこれでしばらく急ぎの仕事はない。その分、他の担当持ちのヘルプとかをしていたけれど。  そうして約束の土曜日、近所のコンビニで待っていると、スッと見覚えのある車が入ってきた。 「すまない、待たせたか?」 「いえ、待ってませんよ」  車から降りてきた課長は……想像通りかっこよかった。スッキリとしたジーンズに、清潔感のある白いVネックのシャツ、それに柔らかいベージュの上着を着ている。大人な感じで凄く似合っている。  俺は思わず自分の格好を見直した。同じくジーンズに、ボーダーのTシャツに、カーキの半袖の上着。うん、おかしくはないはずだ。 「飲み物と、ちょっとつまむ物を買っていこう」 「そうですね」  なるほど、だからコンビニか。確かに旅行にお供は大事だし、暑くなり始めているから水分補給は大事だ。  俺はコーラとじゃ○○こをお供に。課長は缶コーヒーをいくつかと麦茶、それに携帯用の小さなチョコレート菓子を買って乗り込んだ。  今回で二回目の課長の車はやっぱり乗り心地がいい。尻がすっぽり包み込まれるようで最高だ。 「どこか行きたい場所はあるか?」 「いえ、考えてませんでした。課長はどこに行くつもりでしたか?」 「海に行こうかと思っていたんだ」 「あぁ、いいですね」  海か……高校生の時以来かな?  思えば俺はあまり外に出るタイプではないから、年末も社宅のこたつにこもってぼんやり正月番組見たり、オンラインゲームしたり、新作ゲームしたりが定番だ。  こんな風に休みの日に、爽やかに海とか一人じゃ考えられないな。  車は滑るように走り出す。コーラを飲む俺の横で缶コーヒーを傾ける横顔はリラックスしているのか穏やかで、鋭さがない分すこし若く見える。 「課長」 「沖野、休日なんだから『課長』というのは止めないか?」  不意の提案だったが、思えばそれもそうだ。俺も休日まで役職名で呼ばれたくない。  そうなると……。しばし考えて、俺は恐る恐る名を呼んだ。 「西尾、さん?」 「あぁ、それで頼む」  ニコッと笑った横顔が本当に嬉しそうに見えて、俺はまたドキドキが再燃した。本当にこの不意打ちのドキドキはどうにかならないのか。第一、俺は男で課長……じゃなくて、西尾さんも男なんだぞ。 ――俺は、ゲイなんだ。  不意に戻ってきた西尾さんの告白が、耳の奥で木霊する。  そうだ、この人は俺も恋愛対象に入る。でも俺は違うはずだ。そりゃ、酔った勢いでやってしまったし、西尾さんのことはかっこいいとか、綺麗とか、ちょっと可愛いとか思う事はあるけれど、恋愛感情じゃないはずだ。 ……違う、はずだ。 「沖野?」 「へぁ!」  突然名前を呼ばれて、俺は変な声で返事をした。西尾さんは驚いた変な顔をしている。 「どうした? 眠いなら寝ていていいぞ」 「いや、運転任せきりにして隣で寝るとかイラッとするでしょ」  そう、大学時代の友人は言っていた。  けれど課長は軽く笑って「いつも一人だから変わらない」と言ってくれた。 「あの、どうしました?」 「あぁ。昼食をどうしようかと思って。時間を見てどこか適当に寄るか? サービスエリアとか」 「あっ、いいっすね。俺車運転しないんで、サービスエリアなんて無縁ですし」  最近凄いらしいじゃん、そういうのが大型化して名物とか。あれ、ちょっと気になってた。 「じゃあ、そうしよう」  丁度高速に乗る所だ。俺は加速していく車窓を見て、妙な建物を見つけては西尾さんに話しかける。西尾さんは今まで気づいていなかったのか「本当か?」とか言っている。  楽しそうだ。とても柔らかく笑っている。本当に会話とか今を楽しんでいるんだって分かる表情に、俺もリラックスできている。  久々に来た海は、思っていた以上に爽やかで人がいなかった。  今日は幸い晴れているけれど、潮風がけっこうまとわりつく。それでも外に出て、なんとなく西尾さんについて浜辺を歩いていた。 「人いないっすね」 「海開き前だからな」  まぁ、確かに。  でも、波音だけで周りに人がいないというのはちょっと爽快だ。普段人だらけだからか。  西尾さんは少し先を歩いて、体を伸ばしている。運転って疲れるらしいから、こっていたりするんだろうか。 「肩、揉みますか?」 「ん?」  思わず口に出したら、西尾さんは驚いて振り向いて、次に思い切り笑った。 「変な気を遣わなくていい。今日は短いほうだ」 「そうなんすか? 普段はどこまで?」 「温泉で一泊とか」 「一人で!」  西尾さんはちょっと恥ずかしそうに頷いた。  あ、でももしかして…… 「もしかして、前の恋人とですか?」  聞いたら、今度は沈んだ複雑な顔をする。そして砂浜に腰を下ろしてしまった。 「あの……」 「あいつは俺を旅行になんて連れていかないよ。3年つきあって一度も……ただ抱ければよかったんだろうな」  少し辛そうだ。俺は自然と隣に腰を落ち着けた。 「その相手って、本当に付き合ってたんですか?」 「……どうだろうな」 「どうだろうって」 「今にして思えば、分からなくなる。始まりだって酷かったんだ」 「それなら……」 「それでも初めて、肌を合わせた相手だったんだ」  そう呟いた西尾さんは、とても遠くを見ている。悲しそうな視線で。 「中学で、なんとなく自分が周囲と違う感覚を持っている事には気づいていたんだ。女子に告白されても興味はなくて、逆に年上の先輩や先生には縋りたいような、そんな甘えた気分になる。家庭環境のせいだと、ごまかしてきた。それも、高校が限界だったけれど」  苦笑いをした西尾さんを、俺は今とても慰めたい。同情とかじゃなくて、悲しそうな顔をしないで欲しい。そう、とても自然に思っている自分に驚いた。 「恋愛対象が男なんだと理解したら、男女どちらにも距離を持つようになった。悟られて関係がギクシャクするのは嫌だったから。それは大学でも続いて、サークルでもなんでも上手く乗り越えてきた。感情をコントロール出来ているんだと、思い込んでいた」 「……その恋人は、どこで?」 「会社の新歓コンパだ。気をつけていたんだが予想外に飲まされて……一つ上の先輩に性癖がバレた」  なんだか、嫌な予感がする。俺は先を聞きたいような、聞けば後悔するような、そんな予感に落ち着かなくなっていた。 「その人は女性も男性もいける人で、俺は見た目が良くて成績が優秀だからと言われて、半分脅すように関係を持ったんだ」  やっぱりか! 「じゃあそんな相手、気にする必要ないじゃないですか! むしろ切れて良かったんじゃ」 「体からだったけれど、時々は優しかった。悩めば聞いてくれたし、庇ってもくれた。仕事も教えてもらって……都合のいい相手だと分かっていても、俺はそんな気まぐれな優しさに縋ったんだ」  「弱いだろ?」と、西尾さんは悲しそうな顔で呟いた。俺は……なんだか悔しい思いでいっぱいだった。だってこの人は、不器用で寂しがり屋で、なんだか守ってあげたいような気持ちになる人だ。仕事でも何でも俺はそんな大口たたけないけれど、それでもちょっとは思うんだ。  なのに、酷い方法で縛り付けて。 「その人の事、好きだったんですか?」  俺は、聞いてみた。答えは、予測できていた。 「……好き、だったんだろうな。別れを切り出された時、この後をどう生きていこうか、見えなくなったくらいには」  予測できていた。だってそうじゃなければバーで泣きながら飲んだり、自棄を起こしたりしないだろう。その事実が、俺は悔しくてたまらない。 「……西尾さんなら、もっといい相手いますよ」  呟いた俺の隣で、西尾さんは無言のまま小さくなった。俺よりも長身なのに、背中を丸くして。 「正直、怖い」 「大丈夫ですって。西尾さん、イケメンですよ。それに、そういう人が集まる場所ってあるでしょ?」 「知らない相手は緊張するんだ」 「……もしかして、最初もの凄く愛想がなくてとっつきづらかったのって」 「……緊張していた。今も仕事の話は出来ても、こんな風にプライベートな話ができる相手は沖野だけだ」  マジかよ。ってか、うちの会社きて1年たってるのにまだ緊張してるのかよ。  でも、なんだか西尾さんっぽいなと、俺は思えてしまう。不器用な人だなって、思ってたから。 「……悩むと、ここにきていたんだ」 「え?」  ふと呟かれた言葉。西尾さんは海を見て、ぼんやりとしている。 「どこか遠く、俺の事を知らない場所に逃げたくなると、車を走らせた。海に来ることが多かったな」 「そう、なんですか? 山とか」 「山は駄目だ、そのまま姿を消したくなる」 「うわ、それやばいっすよ!」  それって、衝動的に危険なんじゃないか?  焦る俺を、西尾さんは弱く笑う。そして、「今は大丈夫だ」と言ってくれた。 「あの、今日海に来たのは何か、悩み事ですか?」 「いや。ただ、今の気分でここにきたら、何か違うものを感じられるんじゃないかと思ったんだ」 「今の、気分?」  首を傾げる俺に、西尾さんははぐらかすように「言わない」と言う。けれどその表情は明るいから、心配ないんだと思えた。 「じゃあ、今はここにきてどんな気分ですか?」 「悪くない、かな。初めて楽しむ余裕がある。次に進めそうだ」  よかった。  俺は本当に純粋に、そう思えた。  そこからもう少し足を伸ばして花の綺麗な公園まで行って、昼はそこで食べた。サービスエリアは夕飯に取っておくことにしたのだ。  わりと楽しんで、西尾さんも楽しそうに笑って、さっきの海での話なんて半分忘れていた。  サービスエリアで酒のつまみを買い込んで、夕飯に地魚を食べて、帰り着いたのはけっこう暗くなった頃。  俺は、いつのまにか寝ていたらしい。  不意に、柔らかいものが唇に触れた。寝ぼけていて、最初それが何か分からなかった。けれど徐々に覚醒が進むと、それが西尾さんの唇だと分かってしまった。  ドキドキと心臓が鳴り止まない。いっそ壊れてしまったみたいで苦しくなる。別に舌を入れられた訳でもなんでもないのに、俺は思いきり意識している。  多分時間にしたらそんなに長くなかった。けれど俺にはもの凄く長く感じた時間。俺は寝たふりのまま目を開ける事ができなかった。そして、拒む気持ちはなかった。 「……沖野、ついたぞ」  声をかけられて、軽く肩を揺すられるのを合図に俺は目を開けて、眠そうな顔をしてみる。暗いからきっと、下手くそな俺の演技でも気づかないと思った。 「すいません、俺寝ちゃって」 「構わない。遅くまで付き合わせて、悪かったな」 「いえ、楽しかったです」  今日のお礼を改めて言って、車を降りる。けれど俺はふと止まって、助手席側の窓を叩いた。  ウインドウが降りて、西尾さんは首を傾げている。その顔を見たら、俺は自然と笑っていた。 「次、予定が空いていればまた出かけませんか? 今度は、カラオケとか」 「え?」 「いえ、駄目ならいいです」  なんとなく、今のうちに次の約束をしておかなければ。そう思ってしまったんだ。  西尾さんはとても驚いて……次には、笑って頷いてくれた。 「……有難う、沖野」  別れ際、窓が閉まるか閉まらないかの時に聞こえた気がする言葉を、俺は飲み込んだ。その有難うの意味は、今の俺には重すぎる気がした。
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