お仕事なんです

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お仕事なんです

 という話が、2週間前。現在俺は仕事に忙殺されて毎日残業している。  俺の仕事は外資の家具メーカーの日本支部の広告を作成することだ。宣伝用の冊子やポスター、メディア広告を作成したりする。  大体は冊子が季節ごと、年末くらい。イベントがあればその為の小冊子。ショップカード。チラシ。そしてウェブのデザインをイベントごとに変えたりしている。  これだけだと手が空くこともあるので、その時には外注をしたりしている。  ただ、今年は日本支部のオフィスが新しくなり、ビルを一つ大きなオフィスとすることになった。1階~3階までは実店舗で、オシャレに家具をディスプテイする。4階は家具の博物館のような感じで、会社の歩みを展示するらしい。そこから上はオフィス。地下はここで買った家具の修理を請け負うらしい。  ここのオープンが半年後なのだが、事前のお披露目会用の冊子を予定よりも2ヶ月前倒しで欲しいと言われてしまったのだ。  納期2ヶ月前倒しって、死ねる。一応コンセプトに沿って配置なんかは考えていたし、それ用の写真などは本社から来ていた。けれど、細かい事はまだなんだ。  ただ写真を載せれば終わりなんて雑な事はしない。大きさとか、明るさとか、何をどこに持って行くとか、そういうのだって印象としては大事なんだ。  更に言えばコマドリだってどんな風に配置するとか、文章の大きさとか、効果とか、フォントとか、そういうものだってある。  ただテンプレ選んで配置して終わりの仕事をしてるわけじゃない。  今日も気づけば10時を過ぎている。そろそろちゃんと寝たいけれど、明日には第一校を本社の担当に投げる約束だ。  凝り固まった体を伸ばして、ぼーっとしてきた頭をどうにか働かせようとする俺の目に、ふと人影が映り込んで思わずビクッと立ち上がった。 「まだやっていたのか、沖野」 「課……長かぁぁ」  電気代削減のためオフィスの電気は落として俺のデスクの電気だけをつけていたから、辺り真っ暗でおばけかと思った。いや、そんな噂は聞かないけれど万が一もあるから。  課長は首を傾げて近づいてきて、俺の側に立つ。そして持っていた缶コーヒーを置いてくれた。 「どこまで進んだ?」 「全体の構成が終わって画像の配置と大見出しは終わりましたが、文章はまだです」 「表紙と裏表紙を含めて12ページ。表紙の裏も裏表紙の裏も作るんだったな」 「はい……」  正直明日送れる気がしない。そもそも2ヶ月繰り上げとか俺を殺す気か。 「表紙と裏表紙は終わってるのか?」 「手つかずです」 「わかった」  そう言うと課長はジャケットを脱いで自分のパソコンを立ち上げた。 「あの……」 「俺が文章を構成して入れていく。お前はその間の表紙と裏表紙を作ってくれ。俺の作業が終わったら確認して、全体のバランスをチェックしよう」 「あの、でもこれって……」  俺の仕事だ。  そう思って課長を見たら、珍しく優しい目をしていた。 「無茶を言ってきたのは本社だ、お前の責任じゃない。時間ないぞ、元データ俺に渡せ」 「……有難うございます!」  俺はデータの場所を課長に伝え、表紙のレイアウトを作り始める。本社とのやりとりでわりとイメージは出来ていたのだ。課長からのコーヒーを片手にとにかくひたすら頑張って両表紙を作り上げていく。  その合間に、チラリと課長を見た。真剣な目で、凄い早さで文章を入れている。この横顔を見ると、厳しいけれど頼もしく思える。この人についていこうと思えるものだ。 「沖野、仕上がってるか?」 「はい!」 「文字入れしたのを上げておいた。チェックしててくれ」 「助かります!」  さっそくチェックを開始するが、チェックいらないくらいだ。本当に完璧で、美しい見た目と読みやすさだ。本部からの文章を分かりやすく直しながら入れている。  特に問題もない。所々バランスを整えてやればそれでいい。俺は手早くそれをしながら細かな事をしていった。  そうしてどうにかデータが仕上がったのは、午前0時の少し前だった。 「うわぁぁ、終わったぁ」  奇跡的な事だった。即刻データをメモリーにも保存する。社外に持ち出さないデータ保存。何があるか分からないから、俺は一応こうした媒体にも残している。 「お疲れ」  ジャケットを着直した課長が、ポンと肩を叩いてくれる。それに俺は本当に力が抜けた。 「助かりました」 「お互い様だ。そもそもお前に丸投げしてしまったのは俺だからな」 「あの時何も予定がなかったの俺だけだし、仕方がないですよ」  俺は全体のサポートとかをする方が好きだから、固定のプロジェクトや顧客をあまり持っていない。だからこういうイベントの単発仕事が入ってくる事が多いのだ。  課長は苦笑して時計を見た。 「遅くなったな。沖野は電車か?」 「まぁ。でも、一駅なので歩けない事もないし、なんなら近くのカプセル行きますよ」  実はもうこんな生活が一週間くらい続いていたりする。だからものすごく体が痛い。  課長は綺麗に眉根を寄せる。そして電源を落とした俺を連れて、地下の駐車場へと引っ張っていった。 「乗れ」 「いや、でも……」  車のドアを開けられて、俺は戸惑った。なんというか、車はものすごくプライベートな空間という感じがするのだ。しかも、助手席。いや、二人でいて後部座席もよそよそしいけれど。 「疲れてるだろ、カプセルはなしだ。送ってく」 「でも、面倒ですよ」 「いいから乗れ。ここでお前を一人で帰すのも後味が悪い」  そうまで言われると乗らないのは悪い気がする。何より俺としては助かるのだ。  助手席に座ると、すっぽりと体が包み込まれる感じがした。内装もけっこういい。多分通常じゃなくて、アップグレードしてある。  エンジンがかかって、滑るように駐車場を出て行く。とても運転しなれている感じがした。心なしか表情も和らいで見える。 「家、どこだ?」 「あっと、単身者用の社宅で……」 「あぁ、分かった」  それだけで伝わったらしく、車は走り出す。さすがにこの時間になると交通量も減っている。 「運転、好きなんですか?」  沈黙というのも気まずいので、俺はそう切り出した。車の中は綺麗にされているが、生活感がある。大事にされているんだと分かる感じた。 「あぁ、好きだ。休日はドライブに行くこともある」 「けっこうアクティブなんですね。俺、課長は休日音楽聴きながら家で難しい本を読んでいるのかと思っていました」  完全にイメージだが。  課長はチラリとだけこちらを見て声を出して笑った。そうすると、表情が崩れて柔らかくなる。 「そんな日が無いとは言わないが、わりと動き回っている方だ。買い物に出たり、散歩をしたり」 「朝、ランニングとか?」 「それほどの余裕はないな。どちらかと言えば寝ていたい」 「それ、意外ですね」  インテリなイメージが薄れて、アクティブなものに切り替わる。見た目からじゃ分からない事が多いんだと思う瞬間だ。 「料理とか、しますか?」 「一人が長いからな」 「うわ、凄い。俺、まったくです」 「一人だろ?」 「コンビニと外食で」 「体に悪いぞ」  窘められるような声だが、身構えるわけじゃない。ははっと笑える感じだ。  なんか、いいなこういうの。課長って、こういう人なんだな。 「沖野は休日、何をしているんだ?」 「俺ですか? そうですね……漫画読んで、テレビ見て、ゲームして」 「忙しそうだな」 「課長、ゲームとかしますか?」 「いや、やったことが無い」 「え? 学生の頃とかもですか?」  聞いてみたら頷かれた。今の時代そんな人もいるのか。もしかして、親が五月蠅かったとか? その可能性はあるな。 「結構、楽しいですよ」 「この年で始める趣味じゃないだろ」 「案外ドはまりしたりして」 「さぁ、どうかな」  そんな話をしていると、いつの間にか見慣れた近所の景色になっていく。そして、すっと単身者用社宅の前についてしまった。  なんだか、このまま降りるのが勿体ない。こうして話しているのは心地よく感じた。ひょんな事から体の関係があってしまって、気まずくなるかと思えばいつも通りで、俺はちょっとしょんぼりしていたから。 「沖野?」 「あ……」  何か、この後が欲しい。そう考えた時、俺の頭にポンと何かが降ってきた。 「食事、行きませんか?」 「え?」 「今度の休みの前日、今日のお礼を兼ねて」  お礼がしたいという気持ちは勿論あったし、今度食事をしようとも前に言っていた。だからこれはいい案だ。休みの前日なら多少飲んでもいいだろうし、終電逃したらまたどこかに泊まればいい。 「あの……いいのか?」 「え? 勿論ですよ! 俺のおごりです」 「いや、そこは俺が……」 「大丈夫ですよ。その代わり、高い店とか勘弁してくださいね。居酒屋でいいですか?」 「あぁ、それは勿論……」 「じゃ、約束しましたからね。詳しくはアプリにメッセージ送ります」  課長は少し焦ったような顔をしたけれど、最後には大人しく頷いてくれた。  少し強引だっただろうか?  そうは思うが今更撤回する気もなくて、俺はどこに課長を連れていこうか、店のリサーチをして結局寝不足のまま出社することになったのだった。
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