4人が本棚に入れています
本棚に追加
この自由研究が発表された時、教師たちの間で賛否両論の嵐が吹き荒れた。
生態の実験として素晴らしいとする賛の声と、残酷すぎると言う否の声が五分五分であった。
「優秀賞を取った自由研究です」と、この自由研究はプリントアウトされ、全校生徒に配られた。私はそれを読んで「虫にも優しかったあの子はもういなくなってしまった」と、言う悲しい気持ちに襲われ、それと同時に彼女を好きと言う感情すらなくしてしまった。
むしろ嫌悪感すら覚えていた。
現在の話をしよう。
私はアロワナを飼っている、妻がペットショップで買って来たものだ。
始めは5センチにも満たない稚魚だったが、知らぬ間に大きくなり、50センチを超える大きさにまでなってしまった。水槽も三度交換している。三度目に買った180センチの水槽などはボーナス全額が飛ぶぐらいの値段で目玉が飛び出る思いをしたものである。
そんな私の日課はアロワナに餌をやることだ。私はピンセットで生き餌のコオロギを摘み、水槽の水面にぽとんと投げ落とす。すると、コオロギが藻掻き水面に波紋が立つと同時にアロワナがパクリと一口で食べてしまう。私はその愛おしい姿を見るのが楽しみになっている。
時々ではあるが、最後の抵抗のように脚をじたばたと動かすコオロギを摘む度にコロちゃんの時のことを思いだす。そして、虫にすら優しかったあの子がいなくなってしまい、初恋が打ち砕かれた時のことも同時に思い出す。
今の自分は可愛いアロワナのためとはいえ数多のコオロギを生き餌にしている。だが、それに関して罪の意識は無い。
多分だが、昔の幼いあの時の自分が今の私を見たら間違いなく唾棄するだろう。
「コオロギを犠牲にするなんて最低だ!」と声変わり前の甲高い声で私を一喝するだろう。
子供から大人に不完全変態を成し遂げ図体だけは大きくなり、子供から「現実」と言う蛹を突き破り大人に完全変態を成しとげた心を持った自分がここにいる。
虫に対して可哀想と思える「あの子」であった自分はもういなくなった……
おわり
最初のコメントを投稿しよう!