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プロローグ
朱い。赤い。あかい。
桐夜の目の前で全てが紅蓮の色に染まる。
炎が恐ろしい速さで屋敷を、彼の愛する二人を呑み込んでゆく。昏く静かだった空には今や何十何百もの火の腕が伸ばされ、狂ったように踊っていた。
「東雲!早く、外へ出てくれ!お前まで死んでしまうっ」
今なら間に合う。鬼と呼ばれる桐夜たちの強靱な身体は多少の炎で傷つくことはない。
だが、桐夜には分かっていた。東雲が戻るつもりはないことを。それでも、大切な幼なじみへ声を振り絞る。
「東雲!たのむ!頼むから!」
ひとりにしないでくれ。
東雲は答えない。その腕にしっかりと最愛の女をかき抱いたまま、仁王立ちで桐夜を睨んでいた。だらりと垂れ下がった女の白い腕、その美しい手が楽しそうに彼らに振られることはもう、ない。
「真雪のいない世界などいらない」
ごうごうと燃える音で、東雲の声はかき消される。聞こえないはずなのに、桐夜の耳にははっきりと響いた。
ー人間など、大嫌いだー
遠くでサイレンが唸り声を上げる。
深夜一時。『cafe &BAR 雪』の店長、桐夜はグラスを拭く手を止めた。だんだんと近づくけたたましいその赤い唸りは、消防と救急の二重奏を盛大に奏でながらどこかの火事を鎮めに向かう。
切羽詰った音が店の外を通り過ぎ、再び静かになってはじめて、彼は知らぬ間に息を潜めていたことに気づいた。
ふ、と形の良い唇から息が漏れる。
「火事は、いつまでたっても慣れないな」
独り呟いて、ふたたびグラスを拭く作業に戻る。その姿を、窓際に身を横たえ、碧い瞳に気遣わしげな色を浮かべた真っ黒なヒョウが静かに見守っていた。
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