帰り道1

1/1
226人が本棚に入れています
本棚に追加
/85ページ

帰り道1

表通りを照らすぺかぺかとしたネオンよりも、裏路地の鈍い光の方がよっぽど落ち着く。大股で前を見据えてまっすぐ歩いているつもりが、いつのまにかスニーカーのつま先ばかり目に入っていた。 のろのろとした足取りはやがて、赤い自販機の前から進まなくなる。浅緋はため息をついて、デニムの尻ポケットに手を伸ばした。 煙草のケースからスマートにすっと一本を取り出す、というのは結構難しい。ぎこちない仕草で火をつけ少し吸い込むと、先端が黒混じりの橙に染まる。事務所の人たちの真似をして思いっきりニコチンを肺に吸い込んだら盛大にむせた。げほごほやりながらじわり、目尻に涙が滲む。 やっぱタバコなんてうまくもなんともねー。 「お前はほんと、顔がキレーな割に腕っぷしが多少使えるってだけだな」 「お前、向いてねーよな。そんなヤワな根性でこの先やってけんのか?クソ生意気なくせに意気地がねえとか」 「甘っちょろい正義感なんかいらねーよ。浅緋」 三カ月も経つと、事務所でも心配されるようになった。非情になりきれない浅緋に同情しているのか、もはやバカにしているようにさえ感じられてくる。お前のその顔なら他にも稼げるぞ、などと猫なで声を出す奴までいて、胸の中がぐるぐると気持ち悪い。 「向いてねえとか、そんなこと知らねーよ…こっちが聞きたいくらいだっつの!」 整然と並ぶドリンクのサンプルに向かって乱暴な言葉を投げつける。そんな自分が情けなくなって、もう一度、目をすがめて煙草を咥えなおした。人っ子一人いない夜の裏通りに、線のような紫煙がゆっくりと流れる。浅緋は自販機にだらしなく肩を預け、スマホを取りだした。 さっき届いたもう一つのメッセージを見つめる。 『元気ですか、連絡ください』 母代わりの人からの短い言葉には、気遣いと、多分諦めも含まれている。妙に堅苦しい文面に育ての両親の真面目さが滲み出ていて、それが浅緋を余計にみじめな気分にした。 ✳︎✳︎✳︎ 「おじさんおばさん!見てた?オレ、いちばんだったでしょ? はやかった?」 「ああ、すごかったよ、浅緋。足に羽がついてるのかと思った!がんばったねえ」 小さな頃から走るのが好きだった。風といっしょになれる気がして、故郷の緑のなかをぐんぐん走りまわって遊んだ。どこまでも足は軽く、青空のした、いつかは飛べそうな気分にさえなれた。 小学校から陸上クラブに入った浅緋はすぐに実力を現す。順位も記録もその場で出るのがすっきりとしていい。誰にも負ける気はしなかった。 有望な短距離ランナーに成長した浅緋は、陸上に強い高校から是非にと入学を希望された。長い足と、持ち前の瞬発力でしなやかにトラックを駆ける彼に、監督も仲間も期待と信頼を寄せる。育ての親は、あなたのご両親もきっと喜ぶ、と背中を押し続けてくれた。 入学した秋、終わりは突然にやってきた。
/85ページ

最初のコメントを投稿しよう!