3.竜を奉る者

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3.竜を奉る者

 冷たい。    皮膚を裂かれるような感覚に、襲われたヴァイスは急速にその意識を覚醒させた。目線の先に見えるのは酷く無機質な、黒い天井。光沢のあるそれは一切の温かみを感じられない。  ヴァイスにとってそんな事は、考えることすらもない.......はずであった。しかしヴァイスは、その天井が自身でも理解出来ない程に冷たく、自身の不安感を増長させている様だった。  人間の体に不慣れであること、未知の世界への恐怖、今後への不安。それらが混ざりあっているということは紛れもない事実である.......が、それでも彼の心を蝕んでいるのは、自身が竜ではないという事実だった。 「私は.......」  竜神(もとのすがた)である彼ならば、神より授かった権能、未来視を用いて状況の把握や打破に務めていたことだろう。だが、彼は知っている、  いや、知ってしまっている。その力がいかに身体を蝕むか、その体を内から崩壊させるかを。彼は何度か試みている.......しかし、その恐怖。人間程度の体が、そのキャパシティで耐えることが出来ないのでは無いかという不安感。それが、彼の竜神たる力の一端を完全に殺していた。  悪寒、そして体を包む冷たい不快感。自身の意志を通さず、勝手に乱雑に散っていく感情の起伏を、制御する術をヴァイスは知らなかった。振り回されるままただ転がり、吐息を漏らす。これが現実で無ければ等と、まるで神に縋るかのような思考にすら至り、ようやく彼は落ち着きを取り戻す。 「朝、早いんだな」  唐突に聞こえた声に、ヴァイスは現実へと引き戻される。驚いた訳では無いが、大きな欠伸をしてみせるシュラスとは対象的にヴァイスの表情は、冬眠中に無理矢理起こされたが如く酷いものだった。 「また、悪い夢でも見たのか? 」 「いや.......」  何かと言葉を探すも、ヴァイスは言葉に詰まり俯いてしまう。背筋を伝う冷たい寝汗が、一層思考を鈍らせる。そんな様子から感じ取ったのかシュラスは、外を指さしてヴァイスの腕を掴む。 「体を流した方がいい。水を浴びれば少しは頭もスッキリするだろうし、気持ちいいはずだよ」 「そうか、ではお言葉に甘えるとしようか」  シュラスに連れられて、外まで歩く。家の側面には小さな井戸があり、囲むように周囲には、薄い木材の壁が出来ていた。底の水を鶴瓶ですくい上げる。キィキィと音を立てて、滑車が回り水が地上へと届く。 「そこに拭くものと、着るものを置いとくから浴びたらちゃんと拭いて来いよ」  シュラスがそう言い、足音を残して家の方へと戻っていく。  ヴァイスは小さく返事をすると、水を体に浴びる。地下で冷えきった水は表面の体温と共に、嫌なものを全て洗い流す。そしてそれは、水浴びに慣れているヴァイスに不思議な感覚を与える。 「冷たい」  そもそも人の体とは比べ物にならないほどの厚い皮膚、それをも守るかのように堅い鱗が何重にもついていたのだ。ただの水であっても、染みる.......と感じるのは何もおかしいことではないのだろう。  ヴァイスは気持ちいいと感じながらも、皮膚を切り裂かれてしまう様な錯覚に、連続して水を浴びふることが出来なかった。ブルブルと震えるようにして、体についた水滴を払う。そして用意された布で体を包むと、急速に体に熱が戻る感覚にヴァイスは、小さく息を漏らす。  そして壁に掛けられた、紺色のものを手に取る。広げたそれは、明らかにシャツの類では無かった。大きく長く、先程のものと比べれば重く踝まで届く。御丁寧にフードまで備えられたそれは、ローブと呼ばれるものであろう。  だが、賢者やその近縁のものが身につけるような、高貴なものでは無くきっとそれは身を隠すため。そして身を守るもいう目的を、達せられるために作られた分厚い布の塊であった。  当然装飾は一切無く、真夜中で遭遇したものならばきっと視認するのに、苦労を要することになるだろう。ヴァイスは慣れないローブに戸惑いながらも、ゆっくりと室内に戻る。 「少し大きいか? 動きにくそうなところ申し訳ないけど、ヴァイスの体に入る服はそれくらいしかないんだ。悪いけど、我慢してくれ」 「いや、そんなことは無い。感謝しよう」  動きにくくないと言えば嘘になるものの、体を縛られることも無ければ、動きやすいと感じられるソレをヴァイスはあまり嫌がっているわけではなかった。 「よし、行こうか!! 」  ヴァイスが慣れないローブに苦戦している間に、シュラスは準備を整えていたようで、今すぐに行きたいという意思がその表情から滲んでいた。そしてそのままシュラスは、ヴァイスの腕を強引に掴むと、 家を飛び出した。驚きとその力強さに、ヴァイスは何度も体勢を崩しながらも進む。  向かう方向は湖とは真逆で、視界は隅から隅まで家々が広がっていた。平坦な道に建つのはいずれも、鈍い黒色の建材によって造られている家。 「クロズミって言葉、覚えているか? 」  シュラスが唐突に声を出す。呟くような小さなそれは、すぐ真横を歩くヴァイスですらもギリギリ聞き取れる程度の、本当に小さなものだが、人間の感情というものに疎いはずの彼ですらもその哀愁が感じられてしまった。  クロズミ。それはあの下級貴族が口にしていたもの。状況や用途からして、確実に見下す為の言葉である。 「あぁ。覚えているさ」  それでもヴァイスはその言葉の意味を、推察で答えるということには気が引けてしまって、最低限の応答を済ませると閉口した。  シュラスは歩幅を揃えるように、その速度を緩めてゆっくりと歩く。その横顔は酷く悲しそうで、何を考えているのかを聞くことすらも野暮に感じてしまうことだろう。二人は静かな朝の空間を乱すことなく、ただゆっくりと歩いてゆく。 「クロズミって言うのは、鉱山で命を削って働く人間のことを呼ぶらしい。まるで墨にまみれたかの様な姿、最下級の建材によって建てられた真っ黒い家に住んでいるということ。その他にも意味はあるみたいだけど、そんなこと覚える必要なんて一切なかったんだ。ただ、そう呼ぶヤツらが皆俺たちを見下すために考えた言葉だからな。 この街.......いや、この一帯はそんな人間達のための住宅街なんだ」  立ち止まったシュラス、が空を見上げるようにしてそう口に出す。辺り一面に広がる真っ黒な家々。それらから目を背けるように、シュラスはただ歩いて行く。鉱山のすぐ近くにあった黒い家々の街を抜けると、次に緑や青の鉱石によって、造られた家々が現れる。街並みは先ほどに比べて明らかに鮮やかであり、大量の木材が使われていること、そして一つ一つの大きさが黒い家よりも、二回り程大きい。 「俺らの家なんて木材はほとんど使えないって言うのに.......。貴重なんだ、この辺りでは木ってものが」  悔しそうな表情を浮かべるシュラス。だが、その表情は進むにつれてより濃くなることとなる。  金色の家。緑の家々を抜けた先には金色の家々が建ち並んでいた。所々に白の装飾が入っているその家々は、どれも一つの城とでも言うべきな程に大きく、明らかな裕福さを漂わせている。整備された道路は、これまでの道が話にならないと、言うかのように立派で労力をかけてきたことが伺えた。 「富裕層.......か」  ヴァイスがポツリと呟く。少し高度が高くなった家々は、クロズミの街の様な黒い汚れは見当たらず、ひたすらに白に金に飾られている。あまりの差異にヴァイスは、隣の少年に掛けるべき言葉を、見つけることが出来なかった。   「この辺に住んでる奴らは皆、あの鉱山の土地を持っていたりしてるんだ。そして緑の家の奴ら.......金色の家の奴の一部は、首都から越してきた金持ち達さ。つまり俺らクロズミってのは、いくら頑張ったって上にはいけない.......それなのに、職を離してしまえば到底生活なんて不可能ってんだから、本当に理不尽な世の中だよな.......」  十代前半に見える少年の背負うものが、余りにもその年に似合わないとヴァイスは感じていた。それだけに自身が役割を果たしきれていたのかと、自問自答に追われる彼は、解答を探すも今の自身に出来ることなど無いのだと思い知らされてしまう。 「申し訳ない.......」  至った結論。元の彼ならば、選択肢にも上がるはずのない選択であっただろうが、どうしてかそれ以外の考えが浮かばなかったのだ。 「どうしてヴァイスが謝るんだ? いや、誰が悪いなんてことは無いんだ。どうしようない現状に、どうしようもなく足掻こうとした人を見てきたから.......。 いや、こんな話をするために来たんじゃないよな。ゴメンなヴァイス。俺は家もあるし、今は幸せだと思う。上ばっかり見て自分を卑下したって、どこにも成長はないって分かってたつもりだったんだけどなぁ。とにかく、巫女様の所まではもう直ぐだ」  シュラスはそう言うとその足を少し早めた。金色の家は一つ一つが大きいが、その数自体はそこまで多くないようである。だが高低差や、その土地を取り合った結果なのか複雑に入りんだ土地は、道路以外がどこも凸凹としており、タイルの一枚までも争ったことが伺えた。 「愚かすぎる人間の末路か.......私が最も興味がなく、私が最も目を背けてきたモノの終着点という訳だ」 「何か.......言ったか? 」  すぐ横を歩くシュラスすらも聞き取れない。それ程までに小さな声で、ヴァイスは呟いていた。彼はただ首を横に振るだけであり、シュラスは怪訝な目を向けたものの、何事も無かったという表情のヴァイスにまた歩みを加速させた。  家々を抜けた先に見えたのは、かなり大きな平屋だった。ひたすらに横に広がるその建物は、どうやらほとんどを木材により造られているようで、ざっと見てもその大きさは、普通の家五つ分以上には相当するだろう。壁面は木造だとハッキリわかる色、そして大きく存在を示す屋根は、真っ赤な色に染められていた。ただし、それだけ。他の家々の様な装飾は一切見られず、木材を大量に使っているという点以外は、とても質素であるように感じられる。  そしてその周囲を囲むように、幾本もの樹が植えられていた。  まだ早朝だというのに、大量の人々が集まっているようで、ガヤガヤとした喧騒が離れているはずのヴァイス達にも聞こえてしまい、表情を曇らせていた。 「あれが見えるか? 」  シュラスが指をさす。その先にあったのは一本の木。建物の後方にあるその木は、近くにあるように錯覚してしまうほど大きく、まるで天を穿つかの方に高く伸びていた。 「あぁ」 「あれは龍樹や、神木(しんぼく)って呼ばれているものだ。その昔、巫女様の先祖が気まぐれで埋めたってされているらしいが、空から降り注いだ龍の血が染みているらしいんだ。ただの土地伝説かもしれないけど、あれだけ立派な木がこれだけ乾いた大地で生えているんだから、本当だって思ってしまうよな。 今の巫女様は、あの木に引き寄せられるようにして、この街に越してきたとされているが、本当のところがどうかは分からない。兎に角、あの建物の前に花壇があるからそこに座ることにしようか」  シュラスに手を引かれて、ヴァイスは建物の近くまで連れていかれる。二時間ほど歩いたその足は、酷く疲弊していたようで、ヴァイスは腰を下ろすと同時に大きく息を吐き出した。  ヴァイスはふと周囲を見渡すが、どうやらそのに生えている樹木はあの湖畔にあるものとは、質が違うように感じた。言い表すのは難しいだろうが、樹木の一本一本が力強く見えた。 「珍しいか? 首都の方なら幾らでも見れるんじゃないか? 」 「いや、それはそうなんだが.......」  察されてしまったのか、ヴァイスは言葉を濁す。そしてそれを誤魔化すように、言葉を続けた。 「湖に生えていたものとは質が違うように感じた」 「分かるか。さっきも言ったけど、この街は大地が物凄く乾いていて、作物が育ちにくいんだ。ヴァイスはあれだけ湖畔に木が生えているのに、どうして木材が不足すると思う? 」 「不足する.......。その話がここに出てくるという事ならば、あの木は、使い物にならない(・・・・・・・・)ということなのだろう? 」  シュラスは一瞬驚いたように、その表情を固めたが直後に屈託のない笑みを見せた。 「凄いな、ヴァイスは。その通り。やせ細った大地に適応するために、ここら辺の木はあの湖畔に生えている木でさえも、中を空洞にして栄養を全体に行き渡せるようになっているらしいんだ。だからどれも脆すぎて、建材にするには向かないらしい。だけど、ここの木は本物.......本物の木なんだ。よく分かったな」 「そうか。では何故ここの木は全て異質なんだ? 」  シュラスはまた神木を指さす。 「ここに植えられている木は全て、神木から切り取った枝から育ったものらしいんだ。つまりは神木なんだ、全てが。当然だけど、ここの木は建材なんかに使えるわけがないってことさ」 「だからこれほどまでに力強く感じるのか。非常に勉強になる」  ヴァイスが空を見上げる。大きく伸びた木々は、別れた枝が、幾重にも広がっていて生命力の強さを感じさせる。神木.......それが本当であれ嘘であれ.......。 「シュラス様.......でしょうか? 」  女性の声が聞こえた。ヴァイスとシュラスが驚くように、声の主の方へと振り返ると、白い小袖に緋袴を身につけた緑髪の女性が立っていた。 「俺がシュラスだけど、まだ並んでもいないけど.......どうしたんだ? 」 「遅れました、私はエルラと申します。巫女様の使いの者であります。巫女様が、貴方達が来られるでしょうから迎えに行くように、申されておりましたので参りました。さぁ、こちらに」 「私も.......か? 」 「えぇ。巫女様がお呼びなのは貴方達お二人であります」  何が起こっているのか分からず、シュラスとヴァイスが顔を見合わせるものの、エルラに案内されるがままに、建物の中へと入っていく。  内部は外装のイメージの通り、木材で構成されており壁面と天井の間に開けられた隙間からは、日差しが降り注いでいる。木材はいずれも、シュラスの家のものとは質が違うようで、壁や天井の木材からは仄かな温かさを感じるようだ。  そしてその温かさは、建物の中にある蝋燭と松明があり、その光が更に増幅させているようだった。  エルラはそんな玄関を抜け、広間を抜ける。そしてその正面の方へと進むと、小さな橋が架かっていた。木製の橋の下には、緩やかな流れの小川がある。  橋を渡り切ると、そこにはまた広間があった。外観からは分かりにくかったが、かなり奥行もあるようでその先へと続く扉もある。この二つ目の広間には火の付いた松明がいくつもあり、竜の像や何か分からない木製の飾り物がいくつも置いてある。  そしてその場には、今までの緋袴の人間はほとんど見当たらず、紫袴を纏った初老の人間が目立っていた。 「ミルラ様の申し付けにより連れて参りました」 「御意」  エルラが奥に続く、道の前に立つ二人の男に告げると二人は道を開ける。奥に続く道は、赤く塗られた木材が敷いてあり、頑丈そうに見える扉が続く先にいる人物の権威を想像させているようだ。  奥へ進むと、そこにはまた二人の男が立っていたがそれも彼らの姿を見るなり、その場から退けた。次に現れた広間は、先程までより少し狭く全体的に薄暗い。そしてどうらやそこが最後の部屋ようで、部屋の奥から指す光が、奥に建物がないことを表していた。  薄暗いここはものがほとんどないが、広間の中央に佇む小さな人影が二つ。一つは小袖に青い装束を纏った女性。顔は布に覆われていて、その髪色さえも分からない。そしてもう一つは、白の袴をと白の装束を身につけた初老の男性。 「お待ちしておりました」  女性の声。ヴァイスはその異様な光景、そして異様な状況に顔をしかめる。まさか本当に.......と、思ってしまう自身の心を落ち着かせるように、小さく息を吐き出す。  シュラスも、どうしたらいいのか分からないようで、その場に立ったまま辺りを見渡す。 「シュラス様は一旦こちらに」  シュラスが、紫袴の男に連れられて部屋の奥へと消えていく。一人残されたヴァイスが、部屋の奥の男性に手招きされる。そして、シュラスが連れていかれた唯一の扉が重く閉じられた。 「白のお方、十六年の歳月の中貴方をずっと待っておりました。どうぞお座り下さい」  薄暗い中に黒地の布が敷かれているようで、二人がその上に座っている。そして、その正面に置かれた赤い布を女は、手のひらで指し示した。 「ずっと待っていた.......私を.......? 」  ヴァイスは恐る恐るそこに腰を下ろす。そこは既に退路がなく、薄暗い中で何が起こるかすらも想像出来ない。不吉な言葉に、怪訝な目を向けるものの二人は一切表情を変える様子はないようだ。 「私は七代目竜の巫女、グレアレフ・ミルラと申します。そしてこちらは祖父の、グレアレフ・アルフ。私のことはミルラと、呼んでくだされば幸いです。私達は代々竜を祀るものとして、この大地に生きてきました」  ヴァイスの背筋に冷たい汗が伝う。想像したくなかった唯一の未来が、目の前で具現化されているのだから、固まってしまうのも無理はないだろう。 「まずはお詫び申し上げます。白き竜神様、我々の先祖が自身の利益の為に、貴方様の瞳を奪ってしまったこと。誠に申し訳ございません。 白の龍神様はこの地繁栄のために、多大なる支援をしてくれていたお方。 その話は伝承となりて、子孫の我々、そしてこの地に暮らす多くの民にまで伝わっております。 貴方様の瞳を奪った当の本人は、現在この地にはもうおりませんが、私の孫であるミルラの眼には、未来視が宿っております。 もしも、我々の命でそのお怒りを鎮めてくださるのであれば、我々は誠意を持ってこの命捧げさせて頂くつもりです。」  男はそう言って頭を下げる。だが、不思議なことにヴァイスはそれ程、怒りを感じては居なかった。勿論今目の前にいる人間が、彼の目を奪った本人であったなら、ヴァイスは容赦なくその命を奪い、その目を取り戻すために行動をしていたことだろう。  しかし、相手は受け継いでいるとは言え、自身の意思でヴァイスを、脅かした訳では無いのだと思えてしまったのだろう。 「頭を上げよ、竜の眼を継ぎし者よ。つまり、私がここに来ることを視て待っていたということか? 」 「はい。白き竜のお方が来る。私の目にははっきりとそれが映りましたので、使いの者を出させていただきました」 「そうか.......。まさか、人間の目にも宿るとはな.......」 「はい。私の先祖が龍神様の目を食して以降、私達の先祖の長子の目には、未来視が宿るようになったそうです。 龍神様を、我々の先祖が襲って以降、龍神様がこの地に姿を現しては下さらなくなりましたので、私達はこの力を以て、及ばずながらこの地のために尽力して参りました。 しかし、私の代で唐突にその目の力に、変異があったのです。それまでは、近い未来が線のように沢山見えていたのですが、丁度数年前くらいから空から見える景色と、今日のこの貴方様が訪れるまでの未来が見えるようになったのです」 「ほう」 「私は気づきました。これは、龍神様の見ている景色なのだと。そして、ここに龍神様が現れた時この眼を返そうと考えておりました」  ミルラの左目は、右目の黒っぽい色とは違い、碧眼になっていた。そう、それはまるでヴァイスの目のように。 「返す。そう言われても、私は見ての通りただの人間になってしまっているのだ。それに、どうしたら戻すのかも分からない。 仮に私が竜の姿であったなら、食べてしまえばいいだけの話だったのかもしれないがな」 「元の姿……ですか? 私には分からないのですが、龍神様はどうして人間の姿をしているのでしょうか? 」 「あぁ。私.......達は今神と、とあるゲームをしていてな。つい先程まで私は竜の姿をしていたのだが、どうやら遊び好きの我らが神は、竜同士の争いなど見たくないようで、それぞれの大地の竜の四匹を人間に変えた上に、その身で争えと言うのだ。 この大地の竜は、貴様も分かっての通りのこの私の訳だが、今はこの様な情けない姿でな。元々乗り気では無かったのだが、竜の勝者にはこの世界の唯一神が、その知識とその座を与えるとまで言ったのだ。故に私以外の三匹が乗り気になってしまい、断りきれずこのザマである.......。 今の翼も剥ぎ取られ、時間を飛ぶことも出来ないこの私には正直勝てる見込みなど無いのだがな。 ただし、神は竜の力が込められた石を、四つ程それぞれの大地に投げ込んだと言っていた。もし全てを拾い集めれば竜の姿には、戻れるかもしれないが.......」  ただの人間に話すにはあまりにも突拍子も無くあまりに現実離れしているであろう話。それもそれを話している人間は私の力を奪った者の子孫であると言うのに、それでも何故かヴァイスは話さずにはいられなかった。  勝てない.......と分かっている、そんな味わったことの無い不安感がヴァイスの心を乱しているのだろう。いやそうでなければ、ヴァイスは自身の行動の意味も理解出来ずどうしようもないはずなのだから。 「そう……なのですか。龍神様を創造された神様がいらっしゃったのですね.......。でしたら、そのお手伝いをさせては頂けませんか? 争い.......。私にはとても話が大きすぎて、理解が出来ませんが、龍神様が勝てないかもしれないと感じてしまう原因は、私達一族にあります。どれだけ役に立てるかは分かりませんし、私がいた所で龍神様が勝てるようになるとは思いませんがどうか.......。 そして、もし元に戻れましたら私を食べてその目の力取り戻して下さい。そして、またこの地に……」  ミルラは言う。その姿は悲しそうにも安堵したようにも見える。それでも彼女に偽りの色も(よこしま)な雰囲気も一切感じない。本気であるということが、どうしようもなくヴァイスには分かってしまう。しかし、もし仮に竜の姿に戻り彼女を食したところで戻る保証など、どこにもない。そう考えてヴァイスはまた冷静になる。 「あぁ……。貴様一人がいた所で私の何かが変わるとは思わない.......しかし、同行を許可しよう」  だがミルラのその姿に、ヴァイスは戸惑いながらも何故か、許可してしまっていた。 「ありがとうございます.......。ありがとうございます.......。少しでも龍神様のお役に立てるように頑張らせて頂きます.......」  彼女は、何かに救われたかのように喜び、安堵しているようだった。 「あの……龍神様を私はなんとお呼びすれば良いでしょうか? 」 「私の名はヴァイスだ」 「ヴァイス……様ですね。私は今日にでもお力になりたいと考えておりました。 今日これだけの人々がここに集まって下さってるのは、私が当分ここを空けるからということなのです」  それはまさに、ヴァイスのモノだった。ここに今日来るという未来、そしてそれまでの経緯を推察した後の行動まで。未来を全て知れると、そう言えるだけの理由がそこには散りばめられている。 「そうか。しかし、私にはまだ定まった目標がない。 だがミルラであれば、既に私の目的は分かっているのであろう? 」  ヴァイスの未来視は遠いもの、無機質なもの。なんでも見ることが出来るが、人その者の未来を見ることは難しい。通常の定規はミリ以下は測ることが出来ないように、大きな出来事にはいつでも干渉できるものの、人一人の未来となれば、その人物そのものを見なければならないのだ。 「はい。ようやく見ることが出来ました。龍神様としてでは無く、ヴァイス様の未来として。ですがあまりにも分岐が多すぎて、私の未来視では全然追いきれません」 「そうか」  ミルラには龍神としてのヴァイスは見えていても、人間の姿のヴァイスとしては、ほとんど見えてないようだった。 「そうですね。ヴァイス様に対して余りにも恐れ多いのですが、まるで産まれたての赤子を見ているような、短く太い束のような未来しか見ることができませぬ」 「なるほどな。私は人の未来を見たことはないのだが、赤子は皆そうであるのか?」 「はい。歳をとるにつれて、束が解れ見通すことの出来る未来は細く長くなっていきます。」 「そうか。この肉体の年齢に依存しているわけではないということであるか。 見た目であれば、齢二十程とは青のやつが言っていたのだが.......」  そう、ヴァイスの人間の肉体は二十歳ほど。しかし、この目はきっと彼を()()()()()()()()として判定しているのだろう。 「ですが、ヴァイス様恐れ多くも進言させて頂きますが、私でも未来を見ることが出来ますので、その身体でも未来を見ても大丈夫なのではないでしょうか? 見たところではありますが、ヴァイス様の未来に未来視を使ってる様子はありませんので、お試しになられるのも良いのではないかと……」  一度この力の恐ろしさを味わっている故に、相当な抵抗はある。しかし、この先の事を考えるならばいつかは使わなければならない。 「まだたった数日なのだがな。仕方がないというものだろう」  ヴァイスはゆっくりと意識を集中させる。すぅーっと青白い光の線がその頭に浮かぶ。無数の光の先の一つ一つには映像が描写される。見ただけでまるで体験したかのように感じる不思議な感覚。  たった二日程度。  それだけのはずの空白ではあったが、凄まじい感覚のズレを感じていた。ヴァイスはその線の一つへと、無意識に手を伸ばしていた。フッと、耳元を強い風が通ったような音がする。 「ここは…….......。一体どうしたのでしょうか……」  ミルラの声で、体験してる気がしてる訳ではなく、実際に体験してるのだと知る。 「お前にも見えているのか? 」 「え、は、はい」 「お前も触れたのか?あの線に」 「いいえ。私も未来の線を見ていただけのはずなのですが、気づいたらここに居て……どういうことなのでしょうか」  状況に頭が追いついてくれない。  ミルラは線に触れていない。だがしかし、これは確実に時間を飛んでいる。 「同時に未来視をすれば時間を飛べる……ということなのか? 」 「時間を飛ぶ? もしかして、ここは先程見た線の場所に居るということでしょうか? 」  ミルラは驚くように表情を固めると、ゆっくりひたすらにゆっくりと周囲へ目を向ける。 「そういうことだ。元々両目があった時の私は、いつでも出来ていたのだが.......あぁ。久々であるなこの感覚は」  強い風が吹いている。ここは先日ヴァイスが降り立ったサブ湖だろう。嵐の後と聞いていた、前回の時土砂色の水面とは違い、綺麗な青色の水面が風に小さな波を立てていた。 「まるで本当に違う場所に来ているみたいです」 「実際にここに来ているのだ。これは夢でも幻でもなく、そこにある現実だ」  ミルラの、子供のような好奇心に溢れた表情。それには段々と、驚きの色が混ざっていくように見えていた。  ヴァイスには、神の使いとして育ってきた彼女もまだ幼いものなのだと思えると、何故か笑えた。 「ミルラよ、強く現実を意識して目を閉じてみろ」  一瞬キョトンとした後、ミルラは小さく返事をした。そして、そう言ったヴァイスも強く現実を意識して目を閉じた。体に感じていた風の感覚が消えた。  ヴァイスの心に、嬉しいと同時に不安感が生まれる。これが心配するという感情なのだろうか。初めての感情に、ヴァイスは困惑してしまい上手く表現ができないが、初めてたった一人の人間に対して抱いた感情だ。 「ミルラ、天の上の上。あそこに見えるであろう雲の上をイメージすることは出来るか? 」  私はそう言って、約百年前のあの時をイメージする。しかし、待てどもミルラが返事をすることは無く、ヴァイスのイメージの中に見えるものも無い。 「ヴァイス様……申し訳ございません。空の上など考えたことも無いもので.......。上手く思い浮かべることが出来ないからだと思うのですが、何も見えないのです」  小さく息を吐く。怒り等ではないが、冷静にならない.......と思ったためである。 「そうか」  ヴァイスは、少し残念そうに顔を伏せる。彼も生物である。例え状況を打破出来なかったとしても、その時の状況を見てみたいという気持ちは、決して無いわけではなかったのだ。  その後、長い時間をかけていくつかのケースを試したことで、彼女の出生以前と、どちらかが見たことの無い場所に飛ぶことは出来ないという結果が、残ったのだった。
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