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4.竜神の記憶
ヴァイスはいくつもの実験を重ねた。
どうしようもない絶望に、打ちひしがれていた彼は、ここでようやく希望の芽を見つけた。それなくして、攻略することが不可能であると思えるほどの力。二度と宿ることがないと思っていたその力が、たった一人の人間によって.......。
ヴァイスにとって、何者にも変え難いと思える初めての存在であった。
「ヴァイス様は、私のことを恨んではいないのですか? 」
予想外の反応を見たせいだろうか、ミルラは不思議そうな目で、ヴァイスを見つめていた。
「あぁ」
素っ気なく返事をするが、ヴァイスにとっては最早そんなこと、どうでもよかったのだ。
「疲れてしまっただろう? 」
その反動がどれだけ恐ろしいか、どれだけ重いものであるかを理解していたはず。そのはずであるヴァイスも、今回ばかりは少し無茶をしてしまったようで、身体が泥の中に埋まっているという錯覚を覚えるほど重く疲れてしまっていた。無論それは自身だけではない.......とヴァイスは知っていた。
「休んだ方が良い」
ヴァイスが座らない限り、ミルラは腰を下ろそうとはしない。ヴァイスは呆れるように腰を下ろし、その隣にミルラを無理やり座らせた。
「巻き込んでおいて申し訳がないが、この力は龍神であった私の為のもの。人間の容量では疲労だけでは済まないのかもしれない。そしてそれは飛ぶことのみではなく、その力の過使用は命にすら影響を及ぼすだろう。覚えておくがよい」
「はい.......分かりました」
相当疲弊しているのだろうか、ミルラはそのまま横に倒れ込んだ。
「私がこの瞳を奪われた時、私はこの力の過使用により深い眠りについてしまっていたのだ。約百年という長い間.......龍であってもそれだけの時間を要する、本当に恐ろしい力。
だが、ミルラ。貴様が私の力になりたいということは、それだけの危険を犯す覚悟が無ければ成り立たないのだ。それでも貴様は私のために働けるのか? 」
どこまでも甘い、ヴァイスらしい問い。ヴァイスは、その答えが例え否であっても良いと考えていた。しかし、ミルラは倒れたままの状態でくすりと笑った。
「ヴァイス様、私は元より命を捧げる覚悟で貴方を待っていたのです。もしヴァイス様の役に立って死ねるというならば、それはもう私にとっての一つの幸せの形なんですよ」
にっこりと笑みを浮かべるミルラ。ヴァイスはそんな姿に、罪悪感というかつて味わったことの無い感情を覚える。自身が悪いわけではないと、分かりきっているはずなのに、どうしようもなく感じてしまう。
甘かった。それはヴァイスの考えではなく、ミルラの覚悟に対しての考えが.......であった。
「そうか。ありがとう.......」
知性も力も、全てを持っていたはずの神。しかしそんな彼が唯一口に出せたのはそんな在り来りな感謝の言葉だけであった。
「少し休もう.......」
遠目でこちらを見守るアルフにも聞かせるように、暗い天井を見上げて告げるヴァイス。しかし、そんな声の直後に慌ただしく床を蹴る音が響く。それは段々と近づいてくるようで、遂にそれは広間の前にある堅牢な扉の直ぐ真裏まで迫っていた。
「巫女様.......巫女様! 巫女様がこの地を離れるということに激昂した民が、境内で暴れております」
ゼーゼーと荒い息を漏らす男の声。
「な、何人程いるでしょう? 」
ミルラは重そうに、体を無理やり起こして声を出すが、それも立ち上がるのがやっとのようでフラフラの体は、動くことを拒否しているように見えた。
「少なく見積っても百.......いえ、それ以上いるかと知れません。ただ、実際に動いているのは五十人程度だと思われます」
「.......ならば、私が行くとしよう.......」
ヴァイスがよろよろと、重い体を起こす。自分が行ったところで、きっと暴徒を鎮圧する力は無く単純に突っ込めば一人すらも止めることは出来ないだろう。それはヴァイス自身も、理解していた.......しかし、今なら見れる。少しでも、状況を好転できるという可能性が彼には見えていた。
「ヴァイス様.......そのような疲弊した体では無茶です.......。貴方はこの大地を、統治すべきお方.......ですお逃げください」
ミルラが、息も絶え絶えの状態でヴァイスを止めようとするも、一度立ち上がったヴァイスは振り向きもせずに、よろよろと歩き始める。ミルラに無理をさせまいとするその姿には、ヴァイス地震ですらも疑問を覚えている。
「無理をなさっているのではありませんか?
やはり、巫女様と一緒に逃げた方が良いのではないかと.......」
ヴァイスを止めようと、袴の男が口を挟む。
「逃げたところで、この状態の二人が逃げ切れるとでも.......? ここにいる人間達で抑えきれぬならば、援軍する他手段は無いだろう? 」
ヴァイスは袴の男の肩に掴まり、無理矢理に案内させる。橋を抜け、また橋を抜け広場を抜けた先でヴァイスの目の前に広がったのは、袴と小袖を身につけた人々が転がった光景。
鈍く響く重低音が、何度も耳に入る。時折混ざる叫び声が、喧騒の中でも一際大きく響く。
「貴様達の行動には、何の意味があると言うのだ? 」
ヴァイスが声を張る。その声は喧騒に勝つことは無かった.......が、それでも一部には聞こえていたようで数人が木の棒を手に、ヴァイスの方へと振り向く。
「なんだお前は? 意味? そんなのどうでもいいから、早く巫女様を出せってんだよ」
暴徒の一人が叫び、ヴァイスの方へと駆け出す。袴の男が、身を構えるものの暴徒の持つ棍棒でなぎ倒されてしまう。ヴァイスは癖のように首を振り、手を伸ばすもののそこには何も起きず、何も生れることは無い。自身がただの人間であると、否が応でも実感させられるが、既に暴徒はすぐ目と鼻の先まで迫っていた。
ヴァイスが意を決して、正面から突っ込むが暴徒が振るった棍棒をまともに食らってしまう。カハッ.......と声を漏らし、殴られた腹部を抑えてその場に倒れこむ。息を吸い込もうと、体を大きく震わせるが腹部のダメージのせいで体が言うことを聞いてくれはしない。
そうしてヴァイスも転がる大勢の中の一人となってしまったことに気づき、絶望した。ふらつく体に鞭を打つ、片目を閉じて意識を集中する。しかし、彼に未来は見えなかった。
「人間.......何故、無駄に争うのだ.......」
ヴァイスはうずくまり、呻き声のような声をあげた。しかし、そんな声は誰にも届くことはなく、ただ無力感だけが、激しくヴァイスの心を蝕んでいく。
「いい加減にしろよ」
ヴァイスにとって、数少ない見知った声。その声は怒号となって、その場の人々が驚いたように振り返り声の主の少年を見据える。小柄な少年は、その体格に見合わないほどに長い木刀を、両手で振り回す。木刀は、その体を中心として半月状の軌道を描いて、正面に立つ暴徒の数人がその場に倒される。
振り回した当人は、その長い木刀の先を地面に突き刺して、周囲の反応を伺う。唐突な攻撃に、辺りを囲む暴徒達が言葉を失った様に、二回り以上も小さな少年を見据える。
だが、そんな暴徒達もようやくその状況に怒りを覚えたのか、幾らかの怒号が少年を襲う。
「そう。でも、これがもし真剣だったなら今の人達は皆この世にいないし、あんた達も同じだったんだけどな」
少年はわざとらしく笑ってみせた。ゾワッとさせられてしまうような、冷たい視線で彼は辺りの人間を見る。それは品定めをするような、玩具を選ぶ子供のような不思議な表情であった。
「くそ。調子に乗ってんじゃねぇぞ、石拾いの分際で.......」
一人の男が声を上げる。しかし、その姿は集まった人間達のせいで捉えられない。
「お前.......クロズミかよ.......。人の土地で、石拾って生きている分際で、俺らの邪魔なんかしてんじゃねぇよ.......」
転がった一人が、明らかな敵意を少年へと向けた。そして、幾人かの人間が棍棒を手に、ジリジリと距離を詰め始める。
「シュラス.......」
ヴァイスが思わず声を上げる。しかし、シュラスはそんな様子を意に介してはいないようで、ゆっくりと木刀を構え始める。
「なぁ。偉いとか偉くないとか.......そんなことが、この場でなんの意味を持つんだ.......。俺には分からないけど、分かりたくもない」
シュラスが、詰め寄ってきた男達に向けて木刀を突き出す。棍棒では明らかに敵わないように見える、リーチ外からの攻撃に、男の一人が呆気なく倒される。
その攻撃に驚いたのか、男達が一斉に迫る。ヴァイスが声を上げるが、その声は今度こそ大声に掻き消されて誰の耳にも届かずに、空気に溶ける。
「もっと頭を使えよ! 」
シュラスが斜に構えていた木刀をその肩口から、前方へと振るう。また半月状の軌道を描いて、赤銅色が男達を飲み込み、なぎ倒した。
六人。シュラスの射程内に居た六人が、小柄な少年の振るう木刀の前に、いとも容易く倒されたのだ。それは濁流に流されてしまったかのように.......。大の大人を、力技で倒した姿には残った人間達も戦意を喪失させてしまったようで、誰もシュラスへと近寄ろうとはしない。
「逃げないなら、あんた達もただで帰すつもりはないんだけど」
シュラスは、その場に呆然と立ち尽くした男達へとそう告げる。しかし、男達は意外なことにそこから逃げ出そうとはせずにシュラスの方へと、棍棒を放り出した。
ため息。ヴァイスは確かにシュラスのため息を聞いた。小さく小さく、年に似合わない程に重いため息であった。シュラスは、ゆっくりとした動作で、襲いくる棍棒を避けた。そして、男の一人へと木刀で、大きく薙ぎ払った。鈍い音を立てて、木刀は男の腹部へとめり込んだ。
するとシュラスは、めり込んだ男をまるで支点にするように、木刀と自身の体を大きく回す。そして、その先に居た男には、木刀を回した反動で大きく振り上げた足を繰り出し、着地と同時に今度は木刀で薙ぎ払う。
それは連鎖するようにして、周囲の男達を薙ぎ払っていった。.......意思を持った台風、そんな言葉が呆然と立ち尽くした男の口から発せられたあと、その場に暴徒は誰一人として立ってはいなかった。
「ずっと気に食わなかったんだ。こんな時にも正義ヅラして、平気で人を傷つけて自分の感情論を振りかざす。権力っていう玩具に弄ばれた奴らをぶん殴ることが出来たし、すごい良い気分だよ
ごめん、宮司さん。後の処理は任せるね」
シュラスはそう言うと、木刀を手渡してその場に座り込んだ。宮司と呼ばれた袴姿の男は、びっくりしたように少年の動作を目で追っていたが、我に返ったように体を震わせると、頭を深々と下げた。
「申し訳ない.......本当に助かった。なんとお礼を言うべきなのか、分かりませんがこのお礼は必ず致します。是非、ゆっくりと休んでいってください」
袴の男がそう言って、シュラスを再び内部へと案内する。そして、集まった袴の男達は、その場に倒れた暴徒達を縄で縛って抑えていく。
「ヴァイス様、大丈夫でしょうか? 」
紫袴の男に肩を借りたミルラが、よろよろと頼りない足取りで腰を下ろしたヴァイスへと近づく。ヴァイスは、未だに痛みの残る腹部を抑えながらも、ぎこちなく笑顔を作ってみせる。
「大丈夫.......とは言い難いな」
「すぐに治療致します.......」
ミルラが、袖口から何かを取り出そうとするが、ヴァイスはゆっくりとした動作でそれを制し、大丈夫とでも言いたげな表情を向ける
「ヴァイス、大丈夫か? 」
シュラスの声であると気づき、ヴァイスが振り返る。しかし、振り返った視界が急にブレたことに、ヴァイスが驚く。そしてそれが、シュラスにより抱えられた為だと気づいた時には既にシュラスの背の上に乗せられ、運ばれていた。
「すまない」
「いいさ。それよりもあんた、あんまり荒事が得意では無いんだろ。無理は体に良くない.......気をつけた方がいいと思う」
ヴァイスが元の姿であれば、きっと言葉一つ.......いや、それすら必要とせずに全てを終わらせていただろう。しかし、何も出来ずにただ転がされた。だが、そんな状態であるというのにヴァイスは不思議と笑みを浮かべていた。
「私に、貴様の戦闘技術を指南しては貰えないか? 」
好奇心。ヴァイスにとっての数少ない喜びの感情である好奇心が、シュラスによって強く動かされていたのだ。
「あんたが戦うって.......? 」
シュラスはヴァイスの言葉に、わかりやすく頭を抱えて悩み込む。
「教えるとしたら俺じゃダメだ、師匠.......あの人厳しいからなぁ.......あんたが耐えられるかどうか.......」
「私に足りないものなんだ、なんとかお願いしたい」
「うーん、どうなっても俺は知らないとだけ言わせてとらうけど、仕方ないから機会があったら、紹介してやるよ」
シュラスが、ヴァイスを建物の中へと運んだ。中では多くの怪我人が治療を受けていたが、外傷少ないヴァイスには、軽く布ををまく程度の処置が施された。
ヴァイスとシュラスは、紫袴の男により再び奥の広間へと連れていかれた。シュラスは当たり前のように、ヴァイスを背負い奥まで運んだ。そこには、眠りについているミルラと、それを見守るようにアルフが佇んでいた。
そしてシュラスは、ヴァイスをアルフの指示した、重ねられた布の上に下ろす。
「ところで、その師匠はどこに居るのだ? 」
「師匠は、首都かな。小さな道場をやってるんだ」
「首都.......そうか。ならば今すぐにでも」
ヴァイスがそこまで言って、シュラスはおいおいと言わんばかりに、表情を固める。そしてヴァイスの目の前で、拒否を示すように手を振る。
「あんた怪我しているし、そんな場合じゃないだろう?
うちの師匠はそういうとこ本当に厳しいから、怪我人に学べることなんてない、出直してきなって言われて終わってしまうよ」
ヴァイスが、残念そうにそうか.......と口を漏らす。そして、疲労が重なって限界を迎えそうな体を、ゆっくりと布の上に転がす。そして、すぐ目の前で力尽きたように眠りにつくミルラが視界に入ると、ヴァイスも誘われるようにして、眠りについた。
数日が経過する。しかし、深すぎる眠りについてしまったヴァイスは、そのことにすら気づかず、ようやくその心地よい眠りから起きる。
だがそんな目覚めも、耳を聾するばかりの喧騒により酷く気分を害されることとなる。響く怒号と、慌ただしく走り回る権禰宜や出仕の足音が、ヴァイスの脳裏に先日の出来事を過ぎらせる。
「騒々しいが、何が起きているというのだ.......? 」
ヴァイスの、容態を案ずるように傍でみまもっていた一人の男。紫の袴姿から、小宮司であると思われる彼にヴァイスが問いかける。
「お目覚めになられましたか。龍神様の御手を煩わせるほどの事態ではありませんが、採掘を生業としている者達.......クロズミが住む、一帯が暴徒による襲撃にあった様なのです。放火や、暴虐。基本的に石造りであります故に、火の回りは早くありませんがそれでも大勢の被害が出ているようなのです.......」
「そうか」
ヴァイスはそこで察する。
「復讐.......か。それで、この前この場にいた小柄な少年、シュラスが無事であるかは確認しているのか? 」
「い、いえ.......確認は.......」
どっちつかずの返答に、ヴァイスは怒りを覚える。何故この状況に陥っているのか、そんな余りにも分かりやすいことを、知ってか知らずかこの男が考えてすらいなかったのではないかと。思えば思うほどにヴァイスの心には、黒いものが押し上げてくる。
「考えることをしなかったのか? 」
「あ、あの、いえ」
「私は、この状況に対してどれだけの理解があるのかを問うている。答えられないのならばよい.......」
ヴァイスが怒りをぶつけようと、重い体を無理矢理に起こす。
「お待ちください、ヴァイス様。その方はヴァイス様に付きっきりでした故に、今回の状況の伝達が遅れてしまっているのであります。シュラス様は、現在は.......無事であられます。ですが、つい先程シュラス様のお宅にも暴徒の襲撃が始まってしまいまして、こちらからも救援を向かわせているところです。私たちからしましても、前回の恩を忘れるつもりは一切ございません.......ですが、暴徒の数があまりにも多いために、鎮火には時間を要しているのです.......」
荒い息を吐くミルラ。その肩は震えていた。単に疲れているから.......等と、それもあるという事が理解出来ても、そんな在り来りなものだけには、どうしても見えない。怒り悔しさ悲しさ無力感。そういったいくつもの負の感情が、彼女の小さな体に大きくのしかかっている.......そうヴァイスの目には映っていた。
「そうであったか。早とちりをしてしまったようで、申し訳がない。私が行ったところでら状況を打破できるとは到底思えはしない.......が仕方がない、向かうとしよう」
ヴァイスが、重い体を引きずるようにゆっくりと歩き出す。
「お待ちください! 」
振り絞るようにして出されたであろう大きな声が、歩き出したヴァイスの足を引き止める。
「どうしたというのだ? 」
驚くように振り向いたヴァイスは、片目を抑えて驚愕と不安に表情を歪めるミルラが映る。ヴァイスはそこで何かを察したように、目を少し伏せる。
「ヴァイス様は、自身の先を知って尚進むというのでしょうか.......」
ヴァイスは意識を集中させる。ズキッと頭に鋭い痛みが走り、ぼーっと、今にも消え入りそうな細い線がいくつも見える。その内容は、いつものように見ようとしても、見ることは叶わない。自身のことである故かと、ヴァイスは考えるがそんなことはなんの意味もないと気づいてしまう。
「そうか、進めば希望は無い。だが引いたとしても時間の問題なのだろうな.......」
ヴァイスがぽつりと呟く。ミルラは、そんな声を聞いてか表情を暗く曇らせた。彼女はきっと、ヴァイス以上にヴァイスの未来について見えてしまっているのだろう。しかしヴァイスは、ゆっくりと歩み始める。ミルラが声もなく、ヴァイスを止めようとするも彼は振り払うかのように、声を上げる。
「警告.......感謝しよう。進めば私が無事ではいられないということは明白.......だが、私に今なんの選択肢があるのだろうか。元よりこの身は、戦いに投じられるものである.......故に、私は全ての可能性を投げ打つような真似はしたくないのだ.......」
ヴァイスには見えていた。はっきりと、遠くへと繋がる細い細い未来が。後退した先には、そんな未来はどこにも無い。元の姿であれば、その未来を的確に判断した上で、その道を安全に渡り切っていたことだろう。だが、今は違うのだ。茨の道であるということは、重々に承知した上で、それでも可能性の海に、自身を投じるという選択をしたのだった。
「そうですか.......でしたら、今のヴァイス様にはまだ見えてはいないのでしょうか? 」
「私が死にゆく未来か? そんなものはーー」
ヴァイスのその言葉は、ミルラの強い声に掻き消されてしまう。
「いいえ、そんなものではありません。ヴァイス様が仰っていた、竜の欠片。それが今、すぐ側にあるという事が、私には分かる.......私には見えているのです。手に入れた先には、どんな未来があるのか.......分厚い光の壁に遮られて、私にはその先を見ることが出来ません。それでも、ヴァイス様の役に立てば.......と」
彼には分かってしまう。その真剣さも、その必死さも。それ故に、覚悟を決めたはずの足が錘をつけられたかのように動けなくなってしまう。そして続けるようにして、ミルラの話した可能性が強い打撃として、ヴァイスの脳を打ちつけた。
「竜の欠片.......」
「こっちです」
ミルラが、ヴァイスの手を引いた。フラフラとした頼りない足取りのミルラの手は、今にも離れてしまいそうな程に弱い。向かう先までは、短い距離であるというのに、互いに何度ももつれ、転びそうにそうになりながら、部屋の奥にある扉の前に着く。
「この扉の奥に神木が御座います、その真下を掘った場所に、竜の欠片があります.......。ヴァイス様がそれを手にする光景まで、私のこの瞳に写ったのです.......どうか.......未熟な我々をお救い下さい.......」
酷く衰弱してしまったようで、ミルラのその華奢な体が、前のめりに倒れた。
しかし、ミルラはその頭を地につけて懇願していた。その姿は、ヴァイスがよく知る人間の姿である.......というのに、何故か願いを断るという選択肢が浮かばなかった。だが叶えられるかどうか.......それが、今のヴァイスには自身ですらも想像が及ばない。
「今の私にどれだけのことが出来るか.......だが、貴様の行動を無駄にしないように、善処するとしよう」
扉を開き、奥に進む。すぐ先に見えたのはひたすら太いなにか.......。そう、きっと神木の幹なのだろう.......。恐ろしく太い幹は、天まで上る大樹全てに、栄養を届けるためなのだろう、根に近づくほどに太く生命力を感じさせる。
しかしヴァイスはそれ以上に、不思議な温もりを感じていた。ヴァイスがその感覚を頼りに、木の根の辺りを掘る。柔らかい土は、素手でも簡単に掘れてしまうが蜘蛛の巣のように、張り巡らされた根が邪魔をして深くまで届かない。
「あと少しなのだが.......」
ヴァイスが、そんな声を漏らして指先までを伸ばして根の先を探す。
突如、辺りを包むほどの眩い光が、渦のように湧きだした。ヴァイスがそれに気づいたとき、その体はその光に包まれる。光が球体状にヴァイスの体を包み込んだ後、その脳へと抗えぬ強力なイメージが描写される。
ヴァイスに見えたもの.......それは真っ白い竜。雲の上の上、不思議な空間が広がっている場所。どこまでも真っ白で、目を離してしまえば消え入りそうな程に高貴で、美しい。それはどこか、過去のヴァイスにも似てるように見えるが、決定的などこかが違うようにも見えてしまっている。孤独に佇む竜は悲しそうに、真下を眺めていた。そこに何が映っているのか.......それは.......。
夢のような不思議な感覚から醒めたとき、ヴァイスの左手には、青色の欠片が握られていた。ヴァイスにはそれがなんなのか、それをどう使えばいいのかが感覚で理解出来ていた。
ヴァイスはそれを袖口へとしまい込むと、ゆっくりと立ち上がる。不思議と身体中を包んでいた疲労感と倦怠感は、完全に消え去っていた。
「行くとしよう。.......貴様は休んでいると良い」
ヴァイスは駆け出した。
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