指揮者を決めろ!

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「そうか……。なら今から自由曲の指揮を3人がやってみてうまい人が指揮者になるっていうはどうだ?」  亜紀が渋るので、少し考えて先生は、さもいい考えを思いついたかのように手をポンと打つ。どうしても牧本さんに指揮者をさせたくはないらしい。どうだ?と佐野達に問いかける。 「俺はいいですけど」 「牧本はどうだ?」    先生からそう言われたら、ダメだともいえない。牧さんは不満げに 「いいですよ……」 と答えた。 「じゃあ、高本も前に出てきてくれ。みんなでオーディションをしよう」  なんでこんなことになってしまったのか、そもそも中学生ごときの指揮者にうまい下手もあるのだろか、と疑問に思うが、始まってしまったものは仕方がない。佐野と牧本さんは黒板の横に移動した。亜紀は前に出てきて、牧本さんの隣に並んだ。並ぶときに睨まれたような気がしたが、気にしないことにした。 「じゃあ、今から自由曲を1番だけ歌うからな。1人ずつ指揮をしてもらうから。みんなも誰の指揮が歌いやすかったか考えながら歌ってみてくれ」 「えー、俺たちも決めるんですか?」 「当たり前だろう、実際に歌うのはおまえたちなんだからな。自分たちの指揮者は自分で決めるといい」  クラスはざわついているけれど、そういう決め方なら安心だ、と亜紀は思った。指揮のうまさだけでなく、友達だからという理由で投票できるやり方だ。  おそらく牧本さんのグループの女子は牧本さんに入れるだろう。それだけでクラスの女子の半数が稼げる。指揮自体にそんなに差はないはずだから、あとは同数が入ったとしても、亜紀に決まる可能性は低いと思った。  最初は佐野からだった。黒板の真ん中に立って、 「じゃあ、みんなよろしく」  佐野は始める前ににこっとほほ笑む。それだけでクラスのほぼ全員の心をつかんでしまうくらいの攻撃力だ。実際女子は全員心を持っていかれただろう。これは牧本さんの取り巻きもこっちに手を挙げてしまうかもしれないな。  佐野はすっと右手を上げる。さっきまでほほ笑んでいた顔も、口をきゅっと結んで、真剣な顔になった。それだけで今から歌うのだということが伝わってくる。クラスの空気が一瞬で引き締まって歌う準備が整った。  実際、佐野の指揮は上手だった。亜紀は指揮なんてしたことないから佐野のやり方をここで見て盗むしかない。みんなが歌っている間、指揮を一瞬たりとも見逃すまいと、目を見開いて佐野の動きを追っていく。佐野の指揮はなめらかで、4拍子のリズムに合わせて右手を動かし、左手でパートが入るタイミングを知らせたり、強弱を教えたりしている。すでに曲が頭の中に入っているようだった。亜紀も体の横で小さく右手を動かし、4拍子の取り方を練習した。  歌い終わったあと、1人目は決まりだなと思った。牧本さんなんか、かっこいい……とつぶやき、両指を絡ませて、うっとりと佐野を見つめている。  まるで恋する乙女だ。いや、恋する乙女なんだった。 「みんな、上手だったよ、ありがとう」  真剣だった表情から、ふっと優しい佐野の笑顔に戻る。それだけでクラスの空気も、ほっと柔らかくなった。  先生も、うんうんと頷き満足そうだ。 「じゃあ、次、牧本やってみな」 「おっしゃ!」  剣道部らしく低い声で吠えて、牧本さんはみんなの前に立つ。声と表情は正反対で、気合を入れた力強い声は、じんじんと教室を揺らしてみんなの背筋を伸ばした。しかし、上げた腕は鉄のようにガチガチで、体全体が床に刺さっているかのように固い。  結果は、さんざんだった。  こんなに歌いにくい指揮があるんだと思った。  緊張していたのかもしれない、いや、やっぱりそれ以前の問題だ。彼女にはまったくリズム感がない。まず、4拍子なのに牧本さんがやっている指揮は4拍子だったり5拍子だったりする。そもそも、5拍子の指揮ってどうやってやるんだ?そんな曲音楽で習わないだろ?といろいろツッコミを入れてしまいたくなった。そんな状況だからみんなもどのタイミングで歌いだせばいいのか分からなくなってしまって、パートごとにバラバラになってしまった。  動かしている手も予想通りに固く、なめらかではない。指先には力が入ってしまって、手はグーの形だった。みんなが曲を覚えていなければ途中で止まっていただろう。みんなも歌い終わった後、困惑したように顔を見合わせた。  これは困った。これでは、亜紀がどんなに下手に指揮をしたところで、牧さんよりは上手になってしまうだろう。そうしたら指揮者になってしまう。  いやいや、まだわからない。決めるのはみんなの投票なのだから、取り巻きの子たちが頑張ればなんとかなるのかもしれない。そうなるためには、自分もかなり下手に指揮をした方がいいんじゃないか……なんて考えていると、すっと隣に佐野が寄ってきた。 「高本」 「なに」 「手、抜くなよ」  亜紀にしか聞こえない小さな声で言われた。じっと佐野を見つめる。その目は真剣だった。 「俺、高本が指揮者になったらいいなって思って、推薦したんだ。手は抜くなよ、俺の推薦の意味もなくなるだろ」  確かに、ここで亜紀が手を抜くと佐野の評判まで下がってしまいかねない。それは嫌だと思った。けれど、牧本さんに逆らうのも嫌だ。今だって、指揮から降りた瞬間、悔しいのか恥ずかしいのか怒っているのか、ふるふると肩を震わせて顔全体を真っ赤にしている。 「でも、牧本さんが」 「あいつがこわいのか?」    思っていたよりも直球の問いかけに驚くが、素直に頷く。 「例え、お前になったとして、あいつが嫌なことしてきたとしても、俺が守ってやるから」    だから、手をぬくなよ。  そう言われて、亜紀はみんなの前に立った。
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