指揮者を決めろ!

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 みんなの前に立つと、30人の視線が一気に亜紀に集まる。  一体こいつはどんな指揮をするんだ、と期待の目が60個。  思わず手に汗を握る。顔も緊張してしまって、こわばってしまう。  亜紀は目を瞑った。佐野の言葉を思い出す。    ――手を抜くな。  ずるいよなあ、と思う。いい意味で人たらしなのだ。  そう言われてしまったら、やるしかないじゃないか。    亜紀は覚悟を決めて、両肩の幅に足を開く。  顔を上げた表情は笑っていた。指揮のやり方は佐野のを見ただけだが、4拍子を取るだけなら簡単だろう。あとはパートが入るタイミングを左手で合図できればいい。右手をさっと上げる。その合図でみんなは、足を肩幅に開いた。全員が動くザっという音が聞こえてきて、思わず背筋が伸びる。なんとも言えない緊張感の中、振り始めると自分の手は思っていたよりもしなやかだと気が付いた。ひじから手首にかけてはまっすぐだが、手首をやわらかく保ち指揮をしていく。スナップを効かせてリズムを取っていく。指先は指揮棒を持つように親指と人差し指を合わせておく。大きく歌うところは大きく振り、小さく歌うところは小さく振った。  みんなはそんな亜紀の指揮を見て、歌いやすいと思ったのか、のびのびと歌ってくれた。それが前からみるとよく伝わってきて嬉しい。  終わった後、素直に楽しいと思った。みんなが自分の指揮に合わせて歌ってくれる、これは楽しいと思った。  楽しすぎて、途中から自分も歌っていたくらいだ。亜紀はぺこりと小さく礼をして真ん中から黒板の横に戻っていく。佐野は亜紀が隣に来ると、小さく拍手をしてくれた。たいしたことじゃないよ、と肩をすくめて返事をする。牧本さんは相変わらず亜紀を睨んでいた。その様子を見ていた男子の誰かが「こわっ」と小さな声であざ笑う。牧本さんはその声の方向をさっとむき、無言でじっと睨む。男子はその様子におびえて、ほとんどが目を伏せた。 「よし、3人とも終わったな。じゃあ3人の中からよかったと思う人を2人選んでくれ、票が多かった人が指揮者だ」    先生が言うと、みんなは目を見合わせる。え、どうする?なんて声が聞こえてきそうだった。先生はあわてて、 「いやいや、相談はなしだ。さあ、その場で目をつむって」  仕方なく、みんなは目をつむった。亜紀はみんなが目を閉じたことを確認したが、先生がこちらを向いて言う。 「ほら、3人も」 「え、俺たちも?」 「誰があげたかわかったらだめだろ?」 「手はあげるんですか?」 「そうだな、あげなくていいから黒板の方向いて目をつむっておこうか」  佐野の的確な質問によって、亜紀たちはみんなとは背を向ける状態で目をつむった。  佐野は選ばれるだろう。30人全員の票が入っていてもおかしくはない。というか、入っているだろう。あとはみんなの2回目の投票の行方だ。女子はこのクラスに15人。そのうち取り巻きは7人。男子はどちらにいれるか予想がつかない。牧本さんと仲がいい男子もいるし、そうではない男子もいる。彼女に逆らうことが怖くておびえている男子もいるだろう。みんながこの空気を読んで牧本さんに票を入れてくれたらいいのにと思った。  亜紀は目をつむった。視界が遮られると耳にはみんなが動く小さな音が聞こえる。息遣いや、咳払い。制服のこすれる布の音。上靴で床を踏む、きゅっという音。いろんな音が耳に直接届いてきて、目で見るよりもよく見えるような気分になった。 「みんな目をつむったな。じゃあ、佐野が指揮者がいいと思う人手を挙げて」  すっと布の擦れる音。一部ではなく、教室全体から物が動く音がした。大多数の人間が手を挙げたことが音で分かった。挙げなくてもいいと先生から言われたのに、牧本さんも手を挙げたのが分かった。ものすごい勢いで手を挙げたので、亜紀の髪の毛が風で揺れた。この人は先生の話を聞いていないのか。  しばらくして、黒板にカツカツとチョークを走らせる音。人数をメモしているのだろう。 「よし、じゃあ次。牧本がいいと思う人、手を挙げて」  今度は佐野の時よりも圧倒的に布の音が少ない。女子がいる方向からしか音が聞こえてこなかった。何人かしか挙げていないのだろう。牧本さんはここでも手を挙げていた。いやいや、挙げなくていいんだよと心の中でツッコミを入れる。チョークを走らせるまでの間も、佐野と比べて短かった。 「最後、高本がいいと思う人」  かさかさといろんな方向から音がする。牧本さんの時よりは多い。これは決まりだなと思った。さっきよりも時間をかけて数えて黒板に書く音がした。 「よし、目をあけていいぞ」  そっと目をあけて、黒板を見る。    佐野 30  牧本  2  高本 28 「2年6組の指揮者は佐野と高本できまりだ」
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