指揮者を決めろ!

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「ふうん、そういうことで指揮者は佐野と亜紀になったってわけね」  梨花は部室の窓が見える場所に座り、いつものように頬杖をついて話を聞いている。 「そういうこと……」  亜紀は佐野の方を見て言う。佐野は視線を合わせず明後日の方を向いていた。亜紀が今日のオーディションの話を詳しくしている間も、ずっとそっぽを向いていて、あいづちすら打とうとしなかった。パイプ椅子の向きを壁の方向に変えていたので、「ちょっと、私たち壁にはいないんですけどー?」と梨花がからかっても返事すらしない。そんな態度に梨花も愛想をつかして、なんだあいつと指を差す。 「で、なんであいつはあんなに機嫌が悪いわけ?念願の指揮者になったんでしょ?」 「うーん。それがね……」  指揮者が亜紀と佐野に決まってみんなが帰ったあと、木村先生は2人を呼び止めた。 「佐野、高本、指揮者やってくれてありがとな。これからお前たちがクラスのリーダーだ。よろしく頼むぞ」 「はい、がんばります!」  そういえば指揮者になるということは、クラスを引っ張っていかなくてはいけないということだったと思い出す。すっかり忘れていた。まあ、リーダーは佐野の方が向いているので、基本は彼に任せることにしよう。 「いやあ、2人になって、本当に良かったよ。どっちも指揮が上手かったなぁ」  思わず本音をこぼしてしまう先生。亜紀たちは苦笑いで返事をした。 「で、自由曲か課題曲か希望はあるか?」 「特には、ないです」  指揮者に挑戦するということすらさっき決めたばかりの亜紀にとっては、どちらでもよかった。しかし、佐野は 「自由曲がいいです!」 と発言する。先生は、また、少し困ったような顔をした。 「自由曲な……でもあれ、難しいぞ?」 「俺、この曲好きなんで、やりたいです」 「うーん、そっかぁ……高本はどうだ?どっちの曲が好きだ?」  どっちが好きかと言われれば自由曲だ。おそらくみんなそうだ。課題曲は古くさい音程と難しい歌詞だし、自由曲の方がどちらかというと今風だ。どの中学生にきいても自由曲だと答えるだろう。 「自由曲の方が好きですね」 「そっか、なら、自由曲は高本にしてもらおう!」 「……え?」 「いやいや、俺は佐野に課題曲をやってほしいとずっと思ってたからな。そう落ち込むなって。じゃあ、2人とも明日からの練習頼むぞ!練習メニューとかも考えておけよな!」  そうやって、勝手に先生が決めた。佐野としてはやりたいと言ったのにその願いが叶わなくて不満だろう。それに、難しいと先生が自ら言った自由曲を初めて指揮する亜紀に頼むということは、亜紀の方が適任だと先生が考えたということである。佐野にとっては、不満以外の何者でもないだろう。 「なるほどねぇ、それは機嫌も悪くなるわ」  梨花は納得いった顔をして、佐野を見る。  佐野はこちらの視線に気がついて、ちらちらと様子をうかがってはいるものの、心の整理がつかないのかなかなかこっちにはやってこない。 「佐野さぁ、そんなにいじけてないでこっちにおいでよ。いいじゃん、課題曲だって、指揮者にはかわりないんだし」 「……いやだ」 「全く、子どもなんだから」  ふぅ、とため息を1つ。あきれるわ……と困った顔をする梨花の横顔はかわいい。自分もそんな顔ができればいいのに、と素直に思う。それにしても、そこまでして自由曲にこだわる理由というのは一体何なのだろう。前から指揮者をやりたいと意気込んでいた佐野があまりにもかわいそうに思えてきた。 「佐野……そんなに自由曲がいいなら、変わろうか?別に私はこだわりないしさ」 「だから、そうじゃないんだって!!」  佐野は立ち上がり、急に大きな声を出した。びくっと肩が震える。梨花もそんな亜紀の様子を見て「ちょっと!亜紀は気を遣って言ってんのよ!?」と怒り出す。  佐野自身も思ってもいない自分の声に驚いたのか、 「ごめん。これ、八つ当たりだな」 と呟いた。視線は壁から床に注がれている。 「大丈夫、私の方こそごめん。無神経だった」 「いや、俺が悪いから」  深呼吸を何回か繰り返し、視線をあげて続けて言った。 「確かに高本の指揮は歌いやすかった。木村先生が自由曲にって言ったのもわかる」  思ってもいない誉め言葉だった。 「でも俺、今年は指揮者賞をとりたいんだ」 「指揮者賞?」 「そう」 「それと自由曲と、どう関係があるわけ?」 「指揮者賞はだいたい自由曲の指揮者から選ばれるんだよ」 「そうなの?」 「ああ」  そう言って佐野は、アナウンス室の棚に向かう。そこからいくつかのパンフレットを取り出してきた。全て今までの合唱コンのパンフレットだ。黄色や緑、水色やピンクの画用紙に印刷された簡素なパンフレットだったが、開くと各学年が歌う曲名、伴奏者と指揮者の名前の一覧が載っていた。 「これは保護者用のパンフレットだけど、毎年、去年の伴奏者賞、指揮者賞の名前が書いてある。で、前の年のプログラムと照らし合わせると、賞を取った人がどの曲の指揮者だったかがわかるんだ」 「……確かにこうやってみると、自由曲の指揮者がだいたい賞を取ってるわね」  梨花が身を乗り出して確認していく。  伴奏者賞は自由曲、課題曲どちらもいたが、指揮者賞はここ4年間ほど、全ての学年で自由曲の指揮者だった。  亜紀もパンフレットに目を通していく。2年間のパンフレットを見比べて名前を探していかないといけないので、なかなかに骨のおれる作業だったが、ようやく、唯一、違うところを見つけた。 「あ、でも、ここだけ、課題曲の人が指揮者賞取ってるみたいだよ」  指差したのは水色のパンフレット。4年前のものだった。  3年生の指揮者賞に「佐野忠」と書いてある。  続けて黄色のパンフレットを指差す。部室に残っている一番古い5年前のものだ。  その年の3年生の課題曲の指揮者が同じく「佐野忠」という人だ。この人は、3年の時に課題曲で指揮者賞を取ったのだ。 「なぁんだ、いるじゃん、課題曲で指揮者賞を取った人!」  亜紀は努めて明るく言った。珍しいのかもしれないが、あり得ない話ではないということだ。しかし、 「ちょっと待って、この佐野って…」  梨花が顔色を変えて「佐野忠」の名前を指差す。 「佐野?」  梨花と亜紀は同時に佐野の顔を見た。彼は今までに見たことのない、苦しい顔をしていた。まるで思い出したくない過去をほじくりかえされたときのような。しばらく沈黙が流れる。部室の時計の針が、かちかちと規則正しく流れる音だけが響いた。  あまりに長い沈黙に亜紀はごくりと唾をのむ。それでもじっと佐野を見つめる。そんな様子に観念したのか 「佐野忠は…」  佐野は重たい口をゆっくりと開いた。 「……俺の……兄だよ」  伏せられた瞳は長いまつげを携えて、静かに静かに、揺れている。
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