指揮者を決めろ!

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 兄は天才だった。ピアノにサックスにフルート……と、与えられた楽器は全てひけた。  その時点で俺とは違う生きものだと幼心に思っていた。  音楽に精通していた兄は小学生の時からコンクールで賞を総なめした。  だから、中学校の合唱コンなんて彼にとってはお遊びのようだ。ピアノはもう十分できるからと、わざわざ指揮者を選んだ辺りにそれがうかがえる。当たり前のように指揮者になって当たり前のように毎年賞を取っていた。  そんな兄は俺のあこがれだった。  俺はピアノもサックスもフルートもできない。音楽の才能はないとわかっていた。それでも兄は俺に優しかったし、俺も兄のことを慕っていた。 『中学校入学おめでとう!紘一もいよいよ中学生か。勉強頑張れよ!』  音楽留学でオーストリアにいる兄から久しぶりにメッセージが来たのは入学式の前日だった。俺は嬉しくて嬉しくて、すぐに返事をする。 『ありがとう!俺も兄貴みたいに合唱コンで指揮者してみたいな!もちろん勉強も!』 『そっか、そっか!頑張って指揮者賞とれな!』  兄は素直に応援してくれた。その言葉通りに俺は1年生の時に課題曲の指揮者になった。やってみると楽しかった。兄に指揮者の心得を聞くこともできたし、先生たちからもあの「佐野忠」の弟だと言われるのが嬉しかった。クラスもうまくまとまっていったし、きっと金賞が取れるだろうと思っていた。兄とは毎日連絡を取っていた。時差があるので1日1通くらいしか会話ができなかったが、それでも満足だった。いよいよ前日となった日のこと、俺はいつものようにメッセージを送った。 『兄貴、いよいよ明日だ。合唱コンがんばる!』 『おう!頑張れよ!ずっと言ってるけど指揮者が一番楽しまないとだからな!楽しんでいけ!』 『ありがとう!』  ここまでは順調だったのだ。  俺も、兄も、兄との関係も。  結果、クラスは金賞を取ることができた。みんは泣きながら喜んでくれて、俺に「ありがとう」と何度も言ってくれた。けれど、俺は嬉しくなかった。  指揮者賞が取れなかったからだ。指揮者賞を取ったのは銀賞のクラスの自由曲の指揮者の女の子だった。明確な点数があるわけではない。圧倒的にうまいわけでもない。どんな審査基準で選ばれたのかもわからない。俺に何が足りなかったのかもわからない。  納得いかなかった。目に見える評価があるならともかく、見えないものに負けるのは嫌だった。  合唱コンが終わって、思わず音楽の先生に 「なんで俺じゃないんですか?!」 と聞きに行ってしまったくらいだ。  音楽の先生は俺がそんなことをする生徒には見えていなかったのだろう。少し戸惑った表情のあと、 「別に佐野くんが下手だとかじゃないよ?みんな同じくらい上手だったし、他の先生と話し合って決めたの。また、来年もあるから来年も頑張って?」  優しい声でそう言われた。  先生は、今年大学を卒業したばかりの若い女の人だった。初めて生徒につっかかられたのかもしれない。綺麗な茶色に染め上げられた髪の毛を後ろで1つに結び、風になびかせて、ロングスカートをはいた先生は、まるで「清楚」を体現したかのようにいつも美しかったけれど、俺のことを見つめる目は、何か恐ろしい化け物を見るようにおびえていた。  先生が去ったあとも、俺の頭の中では同じ言葉がぐるぐると回っていた。 『みんな同じくらい上手』  そうだ、俺の評価はそうなのだ。  この先生は俺の兄を知らない。知らないからそんな無責任な言葉が言えるんだ。みんなと同じは、俺にとっては屈辱だ。  みんなより圧倒的に上手くなければ。そうして指揮者賞を取らなければ。「佐野忠」の弟として、恥ずかしくないように。  そんな思いは兄を見て当の昔に捨てたはずだったのに。 『合唱コンおつかれ!どうだった?』  兄からの無邪気なメッセージには返事をしなかった。  兄はそれで何かを察したのだろう。数日後、リビングでテレビを見ていると母に電話がかかってきた。  母は「忠、電話くれるなんて珍しいわねー!」と言いながらキッチンに向かう。そこで立ちながら楽しそうに話をしていた。しばらくすると、母の声が少し低くなる。俺の方をちらちらとみて、「ああ、それがね……」と何かを話し込む。  俺はいたたまれなくなってテレビを消して、自分の部屋に戻った。翌日、ポンとメッセージが来た。 『まあ、落ち込むな。来年頑張ればいいさ』  何を――かは言わない。その優しさは罪だと思った。いっそ罵倒された方が楽だ。  なんで取れないんだ、俺の顔に泥を塗る気か。くらい言われた方が諦めがつく。兄の優しさは、兄とは住む世界が違うということを遠回しに教えられている気持ちになる。  その後、部室に合唱コンのパンフレットがあることに気が付いた。こっそりと調べて、今までの指揮者賞は兄以外は自由曲だと知った。今年の指揮者賞も自由曲だった。俺は兄とは違う。違うから兄と同じように課題曲で指揮者賞なんて取れない。  心のどこかでは理解していた。兄にはなれない、けれど兄のようになりたい、近づきたい。そう思うことすらダメなのか。  悔しかった。それと同じくらい悲しかった。  この感情はなんだろう。負けず嫌いと表現すればいいのか。それとも、反抗心と表現すればいいのか。とにかく、来年こそは、いや、来年も再来年も、兄を見返すために俺は指揮者をしようと思った。
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