やっぱりこうなった

1/7
前へ
/50ページ
次へ

やっぱりこうなった

 合唱コンの練習期間中もずっと、体育の授業はハンドボールだった。  あれから亜紀はキーパーをさせられることはなかったが、パスを回されることも、声をかけられることもなかった。  時々ボールが自分の方向にやって来たときに取れなかったりすると、相変わらず取り巻きたちからは 「ふざけんなよ!」 「下手くそ!」 と言われていたが、まあ、事実なのだから仕方がない。  ボールの取り方が悪いのだろう。ボールを胸の前で取る。その時、手は下からボールを包むようにして取るといい。それはわかっている。あと、怖くてボールをとるときに目をつぶってしまうのも原因。わかってはいるけれど、運動神経が悪い人は体が頭についていかない。理解はしているけれど、体が動いてはくれない。これは、運動ができる人からは理解してもらえないことなのだろうけれど。  でも、とりあえず、あまり迷惑にならないようにと気を遣ってはいた。  そのおかげか、牧本さんから直接何かをされたり言われたりしたことはなかった。もとから会話をしない仲だ。彼女が亜紀のことをどう思っているかはわからないが、態度に出してこないだけ大人だろう。  だから、亜紀もあまり気にしてはいなかった。  しかし、フラストレーションというのはたまってたまって、何かの形で発散しないと爆発してしまうものだ。その方法が人によって違うだけ。  運動だったり、カラオケだったり、人に迷惑をかけない方法はいくらでもある。人に迷惑をかけるフラストレーションの発散の仕方もいくらでもある。発散の仕方は人それぞれで、個人によって違う。亜紀は友達に話したり、寝てしまうと忘れてしまうタイプだったが、牧本さんはきっとそうではないのだろう。そして、そのやり方の一例が、いじめだったりするだけだ。 「こんなんやってられるかよ!」  そんな声が聞こえたのは金曜日の放課後練習の時だった。  金曜日というのは、みんな疲れている。1週間の疲れがピークに達する曜日だ。人によっては土曜日も部活があったり塾があったりと、休みではない人もいる。ああ、だるいな、早く練習終わらないかな。みんなの空気ははじめからやる気がなかった。  それを感じ取っていたから、佐野も 「今日は1回通すだけにしようか」 とあらかじめ言っていた。  10分もかからない練習だ。  みんなはそれはそれは喜んだ。  合唱コンの本番は課題曲のあとに自由曲を歌う。いつもの練習もその順番でやっていた。  佐野の指揮は上手くて、みんなも順調に歌っていく。  ああ、あと1曲だけだ。  もうすぐ終わる。  みんなの空気がそう告げていた。 「じゃあ、最後に自由曲いくよ」  佐野の声かけにより、亜紀たちは前に出てくる。渡辺さんがピアノの椅子に座ったのを確認して、みんなを見る。  亜紀が右手をあげると、みんなはざっと足を開く。  全員の視線が集まる。  その中に1つだけ、明後日の方向を向いている視線を見つけた。  前にいるとよく見える。  牧本さんだった。  いつもは気にならないが、視線は足元を向いたまま、目をつぶっている。  まあ、いいか、歌う気がないなら。  亜紀はそう思って、渡辺さんの方を向く。  1、2、3、4  次のタイミングでピアノが始まる。  前奏に合わせて指揮をふり、歌いだしの時に左手を入れた。  みんなの呼吸音が聞こえる。  息を吸う音がして、曲が始まった。  一番はうまく歌えた。正直男声があまりでていないなと思うが仕方がない。これでもだいぶ声がでるようになった。男子はいつもやる気がないことが多いし、それに火をつけるのは男子である佐野の役目だ。  間奏に入る。左手を下ろして右手だけでリズムをとる。  視線はみんなを見たり、伴奏者を見たりしていた。別に決まりがあるわけではない。ただ、この時間にみんなの顔を見るのが好きだった。  ゆっくり1人ずつ見ていくと、牧本さんと目があった。眉間に深いしわを作って、亜紀のことをにらむ。めんどくさそうに口を開いて 「        」  え?  何かを言っていた。聞き取れなかったけれど、確かに口は動いていた。  その瞬間、リズムが乱れて左手が入るタイミングを間違えた。  みんなの歌声もじゃっかんばらつきがでて、それは2番が終わるまで直ることはなかった。  金曜日最後の練習は、散々だった。  最後に気持ちよく歌えればよかったものの、なんとなく後味の悪い終わり方になってしまった。  両手を下ろし、みんなの前にただ立ち尽くす。なんと言っていいものかわからなかった。 「ふざけんなよ!」  牧本さんの声が響いた。 「指揮者がちゃんとしないと練習にならないじゃん!」  腕を組んで、イライラを隠すことなく叫ぶ。  ごもっともである。  その声に続いて、他のみんなもちらほらと、 「そうだよな」 「今のは指揮が悪いよな」 と声をあげる。  亜紀はどうしたらいいのかわからずに、制服のスカートをぎゅっと握りしめた。 「……とりあえず、今日の練習はここまで。また、来週頑張ろう!」  佐野の声かけにより、みんなは文句をもらしながらも、散り散りと解散していった。自分でもショックだった。何を言っていたのかもよくわからない一言で自分の集中が切れてしまうなんて思ってもいなかった。牧本さんのことなんか、どうでもいいはずだ。今までの体育だってそうだった。彼女が自分に対していい感情を持っていないことはよくわかってはいたけれど、直接何かされたことはなかった。それなのに、どうして?どうしてこのタイミングで?頭の中がもやもやと黒い煙に覆われていく。  そもそも、何と言ったのかは分からない。けれど、きっと、いや、100%悪口だ。そう思い込んでしまう自分がいる。そこでようやく、自分は牧本さんのことが怖かったのだと理解した。なにもされないからこそ、怖い。いつも彼女の視線が怖くて、目を合わせないようにしてきたし、見ないようにしてきた。そのツケが今日、回ってきたのだと思った。 「大丈夫?」  教室の残りが数人になったとき佐野が話しかけてきた。 「うん、ごめん、ぼーっとしてたわ」  気がつけば指揮をしていた場所から動いてもいなかった。握りしめた手を離せばスカートにはくっきりとしわができていた。  パンパンとはらってなんとか伸ばそうとしてみる。 「そっか、まあ、そういうときもあるよね。もう一度やっても良かったんだけど、そんな雰囲気じゃなかったから」 「うん、解散で良かったと思うよ」  ちらちらと亜紀を見ながらも教室を出ていくクラスメイトを横目に、亜紀は渡辺さんの方を向いた。 「渡辺さんもごめんね、タイミングずれちゃって」 「大丈夫、あれはみんなが曲を覚えてれば入れるはずだったから。入れなかったってことはまだタイミングわかってない人が多いんでしょ」  あ、そっか、その練習も必要だな、と佐野は独りごちる。  渡辺さんは教室から何人かのクラスメイトが出ていったことを確認すると、亜紀に向き直った。小さな声で囁く。 「高本さん」 「はい」 「私が言うことじゃないかもしれないけど、気を付けたほうがいいよ」 「うん、ごめん……」  渡辺さんに、こんなことを言われたのは初めてだった。  しゅんとなった亜紀を見て、渡辺さんは違う違う、と手を振る。 「指揮のことじゃなくて」 「え?」 「牧本さんのこと」  視線は教室のドアだった。もうそこには誰もいないのに、みんなが帰りに亜紀のことを見ていた、その視線を思い出す。 「ああいうやつはめんどくさいから」  渡辺さんのおもっていたよりも乱暴な言葉遣いが印象的だった。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加