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「聞きにくいんだけどさ」
間宮さんからそう聞かれたのは土曜日の塾だった。授業が1つ終わったあとの休憩時間。おにぎりを2人で頬張りながら間宮さんはたずねた。
「亜紀ちゃん、牧本さんとなにかあった?」
「牧本さんと?」
とっさに思い出したのは昨日のことだ。牧本さんの大きな声は今でも耳の奥に貼りつくように残っている。
それと体育のこと。何かあったと言われればそれくらいなのだが、それは特筆すべきことなのか。
「いや、特にはないよ」
考えた結果、そう答えた。
間宮さんは、そうなんだと答えたあとしばらくだまりこむ。
言うか言わないか悩むように視線をさ迷わせ、最後に亜紀に視線を合わせた。
「言いにくいんだけどさ」
「うん」
「……言った方がいい?」
「え、どうなんだろう……」
逆に質問されてしまい困る。
「だよね……。でも、亜紀ちゃんの耳には入れておいた方がいいことだと思うんだよね」
「じゃあ、言ってよ」
「……そうだね」
そこまで言って、深呼吸を1つ。間宮さんはそれでも口を開こうとしない。その姿で、何を言いたいのかはなんとなく察した。しばらく間があいて、意を決したように言った。
「牧本さん、亜紀ちゃんの悪口言いふらしてるよ」
当たりだった。大当たり。けれど、そうやって教えられると意外に何も言葉が出てこない。
だんまりを決め込む亜紀に間宮さんは、何かを察したのか、
「ごめん、変なこと言った」
とだけ呟いた。
そう言われるとなおのこと最近の学校生活を思い出し気になってしまう。
給食当番の時、同じおかずを運ぶこともあった。スープを運ぶときに食缶を一緒に持つ。そこで何かをされることはなかった。わざと手を離されて食缶を落とすこともなかったし、直接何か言われることもなかった。会話は全くなかったから、相手がどう思っていたのかはわからないけれど。
昼休み、一緒に過ごすことなんてない。中学生の昼休みに外に遊びに行く人なんていないから、教室の中で過ごすことが多い。亜紀は昼の放送があるので、放送部室で過ごすことが多い。牧本さんがどうやって過ごしているのかなんて気にしたこともなかった。どうせ、とりまきと一緒になにか話をしているのだろう。その時に悪口を言っていたとしてもなんら不思議ではないし、亜紀がそれを聞くこともない。
体育の着替えの時、こればかりは同じ教室で着替えるしかない。けれど、着替えがなくなるなどと言った古典的ないじわるはされないし、体操服や制服がずたずたになってゴミ箱に捨てられているなんていうこともない。いたって普通だ。
みんなの視線、言われてみればそうかもしれない。金曜日に感じた視線。ちらちらと見てはいけないものを見るかのようなみんなの視線。気づいてはいけないものに気が付いてしまったかのようなみんなの視線。
それが全てを物語っているような気がした。
その後の塾の授業は、ほとんど耳に入って来なかった。間宮さんは自分が言ってすっきりしたのか、すらすらと黒板をノートに書き写しているのに、亜紀と言えば1行書いてはとまり、1行書いては消し……の繰り返しだ。
先生にばれないようにノートの端に、鉛筆で無意味に円を書く。こうしていれば遠くからみる分にはノートを書いているように見えるはずだ。亜紀はぐるぐると円を書きながら考える。
牧本さんはいったい、どこで悪口を言っていたのだろう。何と言っていたのだろう。どうしてそれが間宮さんの耳に入ったのか。2人は仲は良くないはずだ。話しているところなんて聞いたことがない。ということは、間宮さんにも聞こえるところで亜紀の話をしていたのか、間宮さんも誰かからその話を聞いて、亜紀に教えたのか。間宮さんに聞いてみようとノートをめくり、新しい見開きのページの右側に文字を書く。
『さっきの話、どこで聞いたの?』
すっと、間宮さんの方向にずらす。と、間宮さんもそれに気が付いて、ノートの文字をじっと見つめた。返事は自分のノートの端にカリカリと書き込んでいく。
『私も友達から聞いただけだから』
『なんて言ってたって?』
『あまりいいことじゃないから知らない方がいいよ』
『まあ、そうだけど』
『この話終わりにしよ、ごめん余計なこと言っちゃって』
その後、間宮さんは亜紀と目を合わせてくれなかった。その間にも黒板の文字は増えていて、やばっとつぶやいて必死に写している。彼女にとっては、黒板の方が大事なのだ。それ以上聞くこともできず、家に帰ってからも、もんもんと考える。思い出したのは田中先生の顔だった。あの頃は、クラス全員が牧本さんの行動を許容していて、彼女のやりたい放題だった。みんな見て見ぬふりをしていた。亜紀自身もだ。
今度はその標的が自分になってしまったのだと理解した。みんなはこのことを知っているのだろうか。知っているのだとしたら、今まで一体どんな気持ちで自分のことを見てきたのだろう。がんばって指揮をして、こっけいだとか思っていたのかもしれない。牧本さんの敵になってかわいそうにと哀れまれていたのかもしれない。そう考えると恐ろしいと思った。亜紀以外のみんなが知っていて、亜紀だけが知らないのは怖かった。
佐野にメッセージを送ってみようかと思ったけれど、スマホを開いて、なんて送ればいいのかわからず、1文字も打てなかった。
気になってしまうと何もかもそうなんじゃないかと人間は思ってしまう。
月曜日からの練習もなんだか身が入らなかった。指揮者としては立てる。タイミングも間違えずに振ることができる。みんなの声を聞いて、音量調整の指示だってできる。
ちょっとした隙間の時間。みんなが歌い終わって力を抜いたその瞬間。隣の人と話したりするその言葉が気になってしまう。
自分の悪口を言っているんじゃないか。牧本さんが何を話しているのか、聞こえないからこそ気になってしまう。
他のみんなのちらちらと亜紀のことを見る目。それが本当に亜紀を見ているのか、ただその方向を見ているのか。後者かもしれないが、その視線が気になる。
それでも、実害があるわけではない。直接言われた訳ではない。言われたかどうかもわからない。気にしたら負けだとわかってはいる。だから、亜紀は何にも気が付かないふりをした。それで自分が守れるならそうするべきだと思ったからだ。
端からみたらどうみえたのだろう。それこそこっけいに見えたのだろうか。
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