やっぱりこうなった

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「今日の朝の会は生活アンケートをとるぞ」  先生は、パラパラとプリントを広げながら一番前の席の子たちにプリントを配っていく。先生がプリントを配るのを見るのが好きだった。重ねられたプリントがお札のようにうねって広がって扇状になる。そこからさっと、枚数を選んで配っていく姿は見ていて楽しい。  中学校では毎月10日に生活アンケートというものがあった。目的は「みなさんが学校生活を楽しく送れるようにするためのアンケートです」と書かれているが、実際はいじめを早期発見するためのアンケートだ。昨今、学校のいじめは問題になっていて、ニュースでもよく見るし、亜紀のクラスはこの前までいじめが横行していたので、特にしつこいくらいにアンケートを取られていた。 「学校は楽しいですか?」 「嫌なことを言われたりされたりしたことはありませんか?それは誰にされましたか?」 「友達が嫌なことをされているのをみたことはありませんか?」 全て記述式、しかも、自分の名前も書くので誰が何を書いたのかわかってしまう。先生はそれを見て、気になることがあれば個人的に聞き取りをする。そうなると、あいつは何か書いたんだなとばれてしまう。そうなると、何を書いたんだと責められて、なおのこといじめられてしまう未来が簡単に見える。それが嫌だからみんな自分のことは書かない。それでも周りの友達が気を利かせて書くこともあるし、本当にどうしようもない時は、友達に書いてほしいとお願いして書いてもらう。それが暗黙の了解だった。  こんなアンケートにどれほどの効果があるのかはわからない。プリントが配られて、「高本亜紀」と名前を書き込む。毎月のことなので、もう質問事項は読まなくてもわかっていた。 「学校は楽しいですか?」  これは「Yes」だ。部活が楽しい。クラスで何かあっても、自分の居場所があるというのは大事だと思う。亜紀にとってはそれは放送部であり、放送部の仲間だった。鉛筆を軽快に走らせて、さあ、次の質問。 「嫌なことを言われたりされたりしたことはありませんか?それは誰にされましたか?」  小学生のころなら「Yes」と書いたかもしれない。あの頃は、自分に少しでも被害があるとすぐに先生に言う人が大半だった。亜紀だって、叩かれたり、バカと言われたりしたことは何度もある。最初のころは「先生、あの子がバカって言った!」なんて報告していたけれど、高学年になれば次第に言わなくなっていく。言っても先生が何もしてくれない時もあるし、先生が注意をしてくれたって、人に意地悪をするようなやつはすぐには変わらない。むしろひどくなることもある。高学年になればなるほど、そのやり方は狡猾で、先生が見ていないところで、先生にばれないようにやってのける。その後先生に注意されても「僕はやってない!」とかたくなに認めようとしない。そうすれば先生も困って、事件の解決はできなくなる。ああいうやつは、そこまで考えて行動しているのだ。  だから、ほとんどのことは我慢するようになった。このくらいのこと大したことじゃないと言い聞かせるようになった。実際、無視して反応しなければ被害が大きくなることもなかったし、自分が我慢できる範囲であればそうするのが大人なのだと学習した。  なので、この問いは「No」である。  次。 「友達が嫌なことをされているのをみたことはありませんか?」  これにも「No」と答える。結局いつもと同じ回答になってしまった。亜紀はさっと書き上げて、前の教卓に提出した。  席に帰ってきたときに、まだ間宮さんがプリントに書いているのをちらっと見る。この時間まで書いているということは記述を長々と書いているに違いない。少し嫌な予感がしたが、見ていないことにしておいた。
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