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指揮者を決めろ!
次の日の放課後、佐野が言っていた通り指揮者のオーデションが開かれた。
と言っても、亜紀はこれに参加するつもりはなかった。牧本さんがやりたいならやればいいし、そこで牧本さんの意向に沿わないことをすると何をされるか分かったものじゃない。
「みんなだいたい2曲とも歌えるようになってきたな。よし、今日はいよいよ指揮者・伴奏者を決めるぞ!」
木村先生はいつも以上に張り切っていた。合唱コンの練習をするために、みんなは机を前に動かして教室後方の開いたスペースに男女別で立っている。
「伴奏者は前からこの2人に頼もうと思っていたんだが、みんないいか?」
「はーい」
先生は大牟田さんと渡辺さんの2人を呼び出した。2人は黒板の前にいる木村先生の隣に出てくる。この2人は去年の合唱コンでも伴奏者をしている。みんなそれを知っているから、特に何も文句はなかった。ピアノなんて弾ける人がするしかないので、毎年担当する人は固定されていくものだ。
「じゃあ、伴奏は2人に任せるとして、指揮者だな。……いいか?指揮者ってのはとても大事な役割なんだ。曲のリーダーと言ってもいい。全体の音量を見極めて正しく指示を出す。それができないといくら声が出ていてもいい曲にはならない。だから、指揮者にはみんなをリーダーとして引っ張っていってくれる人になってほしいと思っている。これからの練習は指揮者を実行委員としてやっていってほしい。だれかやりたい人はいるか?」
まさかの指揮者と実行委員の両立を求められた。こんなに重い仕事を任されるとは誰も思っていなかったのだろう。クラスメイト達はお互いに顔を見合わせて苦笑いをする。こんな面倒な仕事を引き受けるのはよっぽどリーダーがやりたい人くらいだろう。自分たちには関係ないよね、といった表情だった。
そんな中、はい!と勢いよく手を挙げたのは牧本さんだった。先生は牧本さんをちらりと見ると、
「おお、牧本がやりたいのか。珍しいな」
と笑った。牧本さんは集団から前に出て、伴奏者の隣に並ぶ。みんなの方を見回して、自信満々にほほ笑む。みんなはびっくりした顔をした。どちらかというと行事ごとに積極的ではない牧本さんが、そんなことを言うなんて。
「内申ねらい?」
亜紀の背後で男子がこっそりと呟いた。
確かにそう思う人もいるかもしれない。しかし、彼女の本心をすでに知っている亜紀は、ただただ黙っていた。
「ほかにはいるか?」
「やりたいです」
次にすっと手を挙げたのは佐野だった。
「佐野かあ、去年もしていたもんな。お前はリーダーシップがあるから頼りになるよ」
今度は牧本さんが手を挙げたときよりも、大げさに嬉しそうだ。
これにはみんなも、ほっとした表情をした。佐野なら安心だ、誰もがそう思った。と、同時に牧本さんが立候補した理由を察した生徒もいた。
「なーんだ、やっぱり牧本は牧本だよな」
先ほど、内心ねらいかと言った男子が再びつぶやく。彼女には内申とか先生からの評価とかそんなのどうでもよくて、ただ自分の欲求に素直なだけなのだ。みんな、彼女が佐野のこと好きだって知っているんだな、と思った。
「指揮者は本当に大事なんだ。リズム感はもちろん、リーダー性が必要なんだ。真面目に取り組んでくれているやつにお願いしたいと思うんだが、他にはいないか?」
先生のこの言い方で、なんとなくみんなはわかった。先生は牧本さんには任せたくないと思っている。田中先生の一件もあるし、今までの練習でも特に一生懸命頑張る姿を見せてこなかった彼女は先生からの信頼が薄いのだ。
しかし、この言い方で先生の意図を組んだのはクラスの何割くらいだろうか。半分もわかっていないのかもしれない。その証拠に
「いや、もう2人でたんだからそれでいいんじゃない?」
「ねえ、別に誰でもいいじゃんね?」
なんて声が聞こえるし、牧本さんは自分が選ばれると信じて疑わない表情だった。佐野も黒板の前まで出てきて、牧本さんの隣に並ぶ。
亜紀は手を上げるつもりはなかった。けれどそれは佐野の期待を裏切ることになってしまう。それは心が痛むなと思いつつ、こっそり佐野の顔を見た。
『こいよ、やろうよ』
佐野は口の形でそう言っていた。
『やだよ』
『なんでだよ』
口パクでそこまで会話をしたが、別にやりたくない理由があるわけではない。木村先生は、指揮者に実行委員を任せるといった。ということは、指揮者になれば佐野と一緒にクラスを引っ張るリーダーになれるということだ。そうすれば、佐野と話す機会も増えるし、一緒にいる時間も増える。それは魅力的なことだった。しかし、そう考えているのは亜紀だけではない。牧本さんも同じだ。
そんな牧本さんの存在が怖いから――
というのは、佐野の誘いを断る理由になるのだろうか。
きっと、佐野なら「そんなこと気にするなよ」っていうんだろうな。
そう思ってはいながらも、何も言えずに黙っていると
「先生」
「なんだ、佐野」
「俺、高本さんを推薦します」
佐野に先手を打たれた。
「高本さんはピアノも弾けるしリズム感あると思うので、指揮者にふさわしいと思うんです」
「なるほど、それはいいな」
先生は亜紀と言う選択肢が出てきたことを喜んでいた。
「どうだ、高本。やってみるか?」
期待に満ちた目でそう言われても困る。ほら、牧本さんの表情、見るからに不機嫌だ。
なんでお前が出てくるんだよ、ひっこんでろ
そんな言葉が聞こえてくるような睨みだった。
「先生としては、ぜひ挑戦してほしいんだが」
まるで、佐野以外にやりたい人はいなかったかのような言い方だ。
「でも、牧本さんがやりたいって言っているので……」
亜紀はそう言って断ろうとした。牧本さんの表情は怒りに震えていて、鼻の頭が真っ赤だ。これ以上彼女の意に反することはしてはいけない。本能がそう告げていた。
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