エピローグ

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エピローグ

 絶好のお引越し日和。空は青くて、小鳥さんは楽しそうにさえずり、町中の人が笑いあっている。  見上げれば2LDKの白亜の城。新しい家族と新しい町で新しい世界を作っていく。  深呼吸して、はちきれんばかりの嬉しい顔でドアをあけた。 「ただいまぁー」 「はァ~るゥ~みィ~」  しかし、待っていたのは御門を守る仁王像、ならぬ憤怒の炎をたぎらせたお早紀様であった。 「え、なに。どうしたの」  早紀の後ろでみるくが目をいろんなところに泳がせている。その視線を追うと、先に運ばれてきた晴海の荷物が所狭しと積み上げられて。 「この部屋の間取りわかってたよな?」  実家の部屋は6畳和室。新しい部屋も6畳がふたつ。だから大丈夫だと思っていたのだけれど。 「たいへん、これじゃあ眠るところがないわ」 「だれのせいだつうの」 「でも、大丈夫よ、段ボールは数が多いだけで、中はお洋服ばかりだから軽いでしょ」  晴海は近くにある段ボールのガムテープを引きちぎった。 「ほら」  でてきたのは白いハーフコートが1枚。Aラインが体型を隠してくれるうえにお揃いの帽子と手袋もついている。みるくは「かわいー」とはしゃいだが、早紀はつかさず。 「段ボールひとつにこれしか入れてないのか」  と聞いたから、晴海はそうよと頷いた。 「だって、いっぱい詰め込んだらシワができるし型くずれしちゃう」  早紀が積み上げられた段ボールによりかかるように崩れ落ちた。 「大丈夫、貧血?」  本気で心配する晴海をよそに、みるくにめくばせをする早紀。 「中身を全部だす。段ボールさえなくなれば眠れるようになる」 「うん」  ふたりは作業にとりかかり、シルクハットから鳩をだすように、華やかなお洋服を投げ出していく。晴海も近くにあったひとつに手を伸ばした。  壁に立てかけてあるそれは、ほかのダンボールと明らかに違っている。丈が長くて幅もそこそこある。人がひとり入れるような。 「こんな箱になにか詰めたっけ?」  引っ越し屋さんから受け取った段ボールにこんなサイズはなかった。だれかの荷物と間違えられたのか。なにか梱包したような、しなかったような。  腕を組んで目を閉じ、20年間暮らした家に別れを告げる日の記憶を引っ張り出した。  からっぽになった自分の部屋からでて、居間に行くとテレビをながめている父の背中。正座で頭をさげた。嘘の体で思いを伝えるのは最後になるだろう。今度会うときがいつになるのかはわからないけど、晴海は完全な女の子になる。  お父さんの望むような子供になれなくてごめんなさい。新しいお母さんと弟と一緒に暮らせなくてごめんなさい。  みんなのこと、大好きだけど自分に嘘をつくことはできない。お父さん、すてきな家庭を築いてね。あたしも負けないくらい笑顔のたえない家族をつくるから。心配事があるとしたらポチのこと。お父さんがあたしのために飼ってくれた犬だから自分が連れて行きたかったけど、アパートはペット禁止だから面倒をみてあげることができないの。 「ポチのこと、よろしくお願いします」  少し間をおいて。 「写メするよ。ポチの」  それが父の見送りの言葉だった。  物音がして晴海は目をひらいた。段ボールを内側から叩いているみたいな音。 「なにかいる!」  悲鳴をあげたが、早紀もみるくも自分たちの作業に没頭していて気付いてくれない。  段ボールのなかでだれかが、もがいて外にでようとしている。ドンドンガサガサという音がしている。晴海は両手の拳をくちびるのあたりにもっていって激しく首を振った。音は激しくなる一方で、ガムテープがはじけ飛ぶのは時間の問題に思えた。  押さえつけたほうがいいのかしら。と思うがそんなことをしてなかの人(?)が窒息したらもっと大変なことになる。だけど猛獣とか化け物が飛び出してきたら被害は早紀とみるくにも及んでしまう。 (あたしのせいでふたりになにかあったら)  それだけは阻止しなくてはならない。晴海は全体重をかけて箱の中身をおとなしくさせようとした。身体をぴったりくっつけてこの中にはなにもいない、いずれ静かになると自分に言い聞かせた。 「……じゃ……い」  ぴったりと密着しすぎたせいだ。擬音だけでなく生々しい女の声が耳に入り込んできた。晴海のまったく知らない声。しかも怨念らしき感情がこもっている。 「じょう……な……」  なにか訴えたがっている。箱の中身は外の世界に対してなにかをぶちまけたがっている。そんな気配が箱の隙間から漏れている。  離れちゃいけない。箱の中のものをだしてはいけない。 「じょうだんじゃない……」  聞き取れた。針で耳の奥を突かれた。 「じょうだんじゃないわよ」  窮地に追い込まれたマンガのヒーローが新たな力に目覚めたように、箱の中身は晴海ごと段ボールを吹っ飛ばした。あたしって軽かったんだ。と誤解しそうになる晴海は隣の部屋の段ボールがクッションとなってケガは免れた。  段ボールに目をやるとドライアイスのような煙が吹き出しており、なかからチェックのミニスカートにブレザーをまとった女子高生らしき人物のシルエットが浮かび上がった。煙が多すぎて顔ははっきりしないけれど晴海には彼女が誰だかわかっていた。 「冗談じゃないわよ!」  少女のほうが肩で大きく息をしている。睨まれているようだけど顔の前の煙だけは晴れそうにない。 「あんたに助けられるなんて」  腰に手をあてて不満を放出する姿はこわいというより勇ましさを感じる。 「っていうか」  彼女を取り囲む煙に光がついてきた。ドライアイスの背後からレーザービームを扇形に発射しているのだ。 (いつからオンステージになったの)  段ボールに埋もれたままあっけにとられる。 「言いたいことあるならオモテにでてきなさいよ」  彼女の背負い込むレーザービームはとてもまぶしくて目をあけられない。直射日光の女王様だ。 「あんた、このままでいいと思ってるんじゃないでしょうね」  煙で顔は見えないのに目だけが光ったのがはっきりとわかった。 「なんでもしますっ!」  飛び起きたら覗きこんでいた早紀とみるくがワッと言ってよけた。 「うなされてたぞ」 「汗びっしょり」  そう言われてあたりを見回すと、段ボールの山はあるわけがなく(だってそれは1年9ヶ月前のことだ)、ドライアイスもレーザービームも女子高生もいない、さわやかな日ざしとスズメのさえずりが心地よい朝があるだけだった。 「あー、びっくりした」  晴海は胸に手を置いて大きく息をもらした。 「どういう夢みてたんだよ」  みるくも心配そうに頷いている。 「夢じゃないわ」  布団からでて隣の部屋のテーブルに置かれた一冊の本を手に取った。昨年末に発売され話題を呼んでいるノンフィクション。文字通り「闘う」闘病手記で帯には「あたしは負けない。いじめにも、病気にも、世間にも」というコピーがリアルさに花を添えて、全国の女子高生の支持を得てベストセラーにのしあがっている。 「やよいが、あたしを呼んだわ」  赤ん坊を扱うようにそっと撫でた。240ページのなかに妹の孤独な叫びが詰まっていた。 「自分ひとり傷ついた気になって。巻き込んだみんなのこと、特にやよいのことなんて、いちばん考えてなかったから」  知らなかったことがたくさん書いてあった。晴海の元を去ったあとのお母さんが親戚から受けた仕打ち。歯をくいしばってお母さんを守ってきたやよい。『あたしはお母さんのためにも死ねない。こんなところで人生に負けるわけにはいなかい』気迫はまさに直射日光の女王。これが最後なんてない、だからあきらめない。すべてはよくなるに決まっている。信じている限り、奇跡という名の光は絶対につかめる。  何度も読んで、そのたび目を腫らした。晴海はこの文章に一字たりとも他人の手は加えられていないことを確信した。 「頑固なところが晴海そっくり」 「はるたんの妹さんだものね」  やよいのこと、初対面のイメージで誤解し続けていた。お母さんを独占したいなんて思い続けててごめんね。知らないところでやよいも世間の目と家族を守る闘いに必死になっていたんだね。  新宿のおおきな本屋でサイン会をすることを知ったのは一ヶ月前。芸能人でも著名人でもないただの女子高生のサイン会。晴海はすぐその本屋に行って整理券をもらった。限定150人中124番だったから本当に多くの人に読まれているんだと嬉しくなった。 「名乗り出るのか」  晴海は首を横に振った。 「本のファンとして行く。お母さんにも連絡しておいたわ」  かたくなに内緒にして欲しいと言ったお母さんの気持ちを踏みにじりたくなかった。電話口でお母さんはとまどっていたけれど、晴海には感謝しているし、元気になったやよいの姿を見て欲しいと許可してくれた。 「早く会いたいわ」  本を抱きしめて決意の目をふたりにむけた。本のなかで書かれている晴海のことは『お母さんは息子と旦那様だった人を捨ててお父さんへの愛を貫いた』だけ。骨髄移植に関してはお母さんがドナーは遠縁の人ということにしたからと言っていたから、やよいはなにも知らないのだと思う。お母さんに移植をしたとき一回だけ手紙のやりとりができるはずだけど。と聞いたら誰かに頼んで誤魔化すと言われた。 「みるくも会ってみたいな、やよいちゃんに」  みるくも闘ってきた。あたたかな笑顔の裏側で、いまだ両親の裁判は続いている。 「おれも、気の強い女好き」 「だめよ、やよいには彼氏がいるんだから」 「例のヘラヘラ男か」 「見かけはね、でもハートは熱いわよ」  やよいの本には飯田君のことは性別もなくただ味方になってくれた友人としか書かれていない。だけど友人という単語がでてくるたびにやよいが飯田君に感謝以上の思いを抱いていることを読みとることができた。 「はるたん、本屋さんまでついていってもいい?」 「みるくは許可なくてもあとつける気だったろ」 「早紀だって」 「まあ、そうなんだけどさ」  ふたりは決定事項のように頷き合う。 「名乗れないさだめのきょうだいの再会。ドキドキしちゃう」 「そういうの弱いんだよな。ハンカチ用意しないと」  連続ドラマのクライマックスみたいだ。晴海は左胸を押さえた。 「あたし心臓バクバクしてる。ひとりじゃ本屋さんで倒れそうよ」 「そしたら早紀がささえるから」 「え、おれなの」 「だってみるくが支えられるの心だけだもん」  ふたりの視線が晴海の胴回りに絡みつく。ホルモン治療をはじめたおかげか、ぷっくらふっくら湯気がぽわんと食べ頃になっている。 「やせるもん、絶対やせるんだから」  ふたりの視線を払いのけながらも脂肪吸引という方法も考えなくもないのである。 「ぽっちゃりしててこそはるたんだよ」 「心配すんな。身体も支えられるから」  自分の存在を必死になって両親に訴えていたときには生まれてこなかったあたたかなものが溢れている。 「ありがとう。ふたりとも」 「よっしゃー、気合いいれて行くぞ!」 「負けないぞー!」 「ちょっと、ケンカしに行くんじゃないんだから」  やよいに顔を合わせるのは最初で最後になる。  やよいがいままで辛かったぶん幸せになれれば、晴海も元気になれる。勇気をもらえる。だけどその前に、解決しなければならない大きな問題があった。 「なに着ていこう」  ぽつんと口にしたことが、いかに一大事なのかはそのあとの沈黙の長さが語っている。  晴海は衣装たんすを1段目から5段目まで引き出して打ち上げ花火のように色とりどりのキャミやブラウスやタイツやブラジャーを放り投げた。イベントの大切度が増すほどタンスのなかは空になり畳に積み上げられていく。それからあらゆる組み合わせを想定して着ていく洋服を決めるのだ。  もちろんバッグやパンプス、アクセサリーもからんでくるから、一緒になってベストなお洒落を決める作業を手伝う早紀とみるくの笑顔がじょじょに凍り付く長い時間の開始なのだ。 「今日は、ほんとに特別なイベントだものね」 「遅刻させないようにするのが課題だな」  水色は顔色が悪くみえるから病み上がりのやよいに失礼かしら。でも梅雨もあけて暑いし涼しげよね。でも待って、お日様が照っているからこそ黄色いお花をモチーフにしたコーディネートがかわいいんじゃないかしら。でもでもイチゴゼリーの赤も捨てがたいわ。晴海は深い吟味の世界に入っていった。  早紀とみるくは晴海を挟み込むように畳に座って一緒に悩んでくれる。 『やよい、回復してよかったね』  花束といっしょに祝福を伝えたい。それ以上のことは望みはしない。晴海の骨髄によってひとりの少女がサイン会をひらけるほど元気になれたことを確認できれば。  それでやよいの件に関してはおしまいと決めた。きょうだいはそれぞれの人生を歩んでいく。ひとつの区切りの儀式みたいなもの。晴海からは自然と鼻歌がもれていた。  レースと花柄、赤白黄色ピンクが舞い上がるアパートで、いまが楽しくてしかたがない。もうこれ以上は望まない。神様、今という時間をほんとうにありがとう。 (あたし、幸せだから。ほんとうに、幸せだから)  しかし、晴海は気付いていない。  晴海という女の子がドナーであることを知っている人物のことを。遠い親戚としか言わなかったけれど、フルネームで自己紹介をしてしまった人物がいることを。  やよいの、今はおそらく彼氏に昇格したであろう飯田君のヘタレさとやよいの気の強さ。危険な組み合わせが産む結論に。  数時間後に訪れる再会は、晴海とやよいに、このままで終わることはできない、新しいストーリーが始まる序曲になる。  それはきっと、お母さんも、お父さんも、新しいお母さんも、新しい弟も巻き込んでの一大事になるのだ。  おしゃれに没頭している晴海は赤いフレアスカートに白いキャミソールとカーディガンを手にして胸に押しつけた。 「いちご色で決めるわ!」 〈END〉
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