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「で、おれらどこから突っ込んだらいいのかな」  早紀はカツカレーのカツにフォークを突き刺した。  あんなことが起こってしまったから、晴海は言いたくなかった男姿のくだりまで話させざるを得なかった。 「そっか、それじゃレス待ってても来ないわけだよね」  みるくは長袖ブラウスの腕をさすりながら寂しそうに言う。晴海が昨日、病院に入る前に携帯の電源をオフにしたまま今朝までオンにできなかったせい。みるくへのレスを丸1日しなかったのだ。 「ごめんね、みるちゃん」 「ううん、いいよ」  無理な笑顔で両手をひらひら振るみるく。みるくを悲しませた晴海に対し、早紀は怒りの炎をたぎらせてしまう。 「まずはお袋さんだ。晴海をなんだと思ってるんだ、腹立たしい」  お母さんのことを悪く言われたくないから男装のことは内緒にしたかったけれど、成り行き上話さなくてはならなくなったわけで。そうすると早紀がこのようなことになることもわかりきっていたから、早紀を責めることができない。 「なんで血液の型を調べるだけのことで仮装させるんだ。人権侵害だ」  早紀が腕をさするのはもし自分の立場だったら、と考えると鳥肌がたってしまうからだ。 「娘のことで頭いっぱいってのはまだしも、それと晴海のことわかってやるのは別のことじゃないのかよ」  早紀は自分のことのように涙ぐんでいた。  晴海とみるくは同時に早紀の名を呼んだ。早紀は泣いていることに気付いていなかったみたいで、そっと頬に手をあて「ヤバッ」と言って甲でぬぐい取る。 「そんな格好させられてまで、お袋さんに気を使う晴海が痛いんだよ」  カレーをかっ込んで洟をすする。 「ごめんね、心配させて」 「ほんとだよ」  ここまで自分のことを思ってくれる友だちに、心の中で両手を合わせる。だから晴海は頑張れる。 「で、どろぼう少年が親父さんのカノジョの息子だったと」  事実確認をされて、晴海は電子レンジみたいに、チ~ンという音を合図に湯気をたててしまう中華まん。 「はるたん、兄弟ができるんだ」  こくりと首を縦にふる。 「そんなにいい男なのかよ。ハナシ聞いてる限りあんま性格いいとは思えねえんだけど」  偵察目的で勝手に人様の家に侵入し、かわいい飼い犬を悶絶させ。女の子である晴海を目の当たりにして逃げ去って、再会することを少年は知っていて、それで男装させられた晴海に平然と「はじめまして」とは。  父を巻き込んで倒れてしまった晴海。レストランのスタッフに立たされ、冬木さんにも心配される中でインフルエンザでもそんなに震えないだろうというくらいの震えぶりを披露してしまった。 「すまない圭子さん、とても緊張してしまって。こういう場は慣れていないから、風邪が、今年のは、ダメだね」  父も声が甲高くなっている。ポケットからハンカチを出そうとして、そのポケットにハンカチが入っていなくて、内側をべろりんとだしてしまって、さらに顔じゅう汗が噴き出している。 「正一さん、これ使ってください」  想定内とばかりに冬木さんはブルーのハンカチを差し出した。父が「ありがとう」と言って受け取るあたり、ハンカチを忘れる一連の作業は初めてのことではない感じがした。  家では晴海がアイロンをかけたハンカチを差し出しても難しい顔しか見せたことがなかった父。  父と冬木さんとのやりとりに、晴海はいま父のために自分がどうすればいいのかを瞬時に考え、瞬時に答えをだした。 「お父さん、もう大丈夫だから」  いつもより低い声をだした晴海に父も驚きの顔をみせた。 「晴海です。はじめまして」  自然に頭を下げた。  冬木さんもほっとしたみたいで、そのあとは風邪ということでほとんど喋らなかったけれど、お父さんにようやくやってきた春を歓迎したいと思えた。 「その冬木さんはいい印象で、親父さんとの再婚にも賛成なわけだろ」  早紀が話を戻していた。 「息子の涼一はどうなんだよ。なんか話したのか」  とたんに晴海はうつむいてしまった。 「まともに顔も見れなかったわ。せっかくの高いコース料理もショートケーキの味しか覚えていないの」  いちごのスライスとクリームが美しい層をなしていた。 「そんなにかっこいい子なんだ」  みるくが寂しそうに言った。 「そうなんだけど、ただちょっと」  月明かりに浮かぶイメージが強くって。 「かっこいいんでしょ」 「ううん、いいえ、あの」  否定しようとすればするほど深みにはまっていく自分を感じてしまう。 「はるたんウソつけないタイプだよね」  白旗です。 「なんだよ、そこまで好きなのかよ」  好きなのかとダイレクトに言われてはもうどうしようもない。首を勢いよく振っても涼一君のおだやかな物腰は消えやしない。 「ごめんなさい、あたし、一目惚れしちゃってたの」  キャーッ、言っちゃった言っちゃった! 晴海の頭のなかではパニックという文字がドタバタそこいらじゅうを走り回っていたのだが、みるくと早紀はあきれ顔になっている。 「はるたん、みればわかるよ」 「出会った話をしたときから舞い上がってたじゃん」  出会いはポチの操を奪った(?)どろうぼうだったのに。 「あたし、そんなやましい女じゃないって思ってたのに」  有名進学高校に通っているという良一君は父が問いかける学校生活の質問にも穏やかに受け答えをしていた。  涼一君の右手がナイフを握り、左手で持ったフォークでおさえたステーキを静かにひいて、じんわり肉汁がお皿ににじみ出ていたのを目にしただけで、晴海は太ももをこすり合わせてしまった。  あの綺麗な指でいじられたい。ぽちゃっとしたおっぱいを撫でまわして蕾のような乳首をつまんで欲しい。  ポチだけが気持ちいい思いをしたのが許せない。 「あたし、どうしようもなく涼一君が好きになってるの」  もはや赤いのは顔だけではなくなっていた。爪の先から、アソコの先まで、指を触れたらヤケドさせてしまいそう。  晴海を正面にしているみるくと早紀までもがなにやらあわてふためいている。 「はるたん、はるたんてば」 「やばいぞ」 「ほんと、あたしヤバイわ」  人に伝染させるほど。 「そうじゃねえよ」 「はるたん、その、あの」  早紀とみるくのうろたえが激しくなっている。  アブナイ人になっているのはわかっている。このままお巡りさんがやってきて職務質問を受けても仕方がないくらい。けど、この想いは止められない。 「あたし、どうしたらいいのかしら」 「どうするもこうするも」 「はるたん、うしろに」  顔色を失った早紀とみるくが人差し指を突き出している。 「え?」  晴海にむかって指さしているようではなかった。ふたりの視線は晴海を通り過ぎていたから。  恐る恐る振り返る。 「そんなに想われて光栄ですね」  そこには、学生服の少年が立っていた。  長身で涼しい瞳、冷静な口調。そこいらの学生より大人びて見える彼は周囲の視線を独占していた。 「やっぱり、こっちの格好が本当だったんだ」  王子様は薄く笑っている。薄い唇をちょっと舐める舌。  晴海は振り返った姿勢のまま凍結してしまった。  なぜ幻の王子様がここにいるのか。その目的は晴海に会いに来たこと? いいように思い込んでしまっていいの? 「すみません押しかけてしまって。どうしても確認したかったものですから」  くったくのない笑みを浮かべて冬木涼一は石膏像のように硬まった晴海の隣に着席した。 「あなたたちは晴海さんの友だちですか」  モデルと言われてもおかしくない容貌の持ち主。みるくも早紀も自分たちが声をかけられているのに反応が出来なくなっていた。 「みなさん硬くならないでください」  大人びた話し方をする涼一に早紀は眉間にしわを寄せた。有名私立高校に通っているとも晴海から聞いていたが、インテリの物腰なのだろうか。 「あ、はい。花園みるくです」 「三池早紀」  みるくは努めて明るく。早紀はぶっきらぼうに自己紹介をした。 「学校さぼって来た甲斐がありました。大丈夫ですよ晴海さん。僕はそういうの驚かない人間ですから」  薄いくちびるの笑みが自分にだけ向けられている。晴海は鼻と目と耳と口から蒸気がでそうだった。 「なにしに来たんだ」  緊張で声が出せない晴海のかわりに早紀が尋ねてくれるのはいいけれど、どこか挑戦的ではらはらしてしまう。 「本当のことを知りたかっただけです。母の再婚がかかっていますし、これから家族になるのに隠し事があるのは嫌じゃないですか」  涼一は貴族を思わせるまなざしを、みるくと早紀にむけた。 「母はいつになったら晴海さんに会えるのかとぼやいていました。早く自分と笹山さんのことを認めてもらって籍を入れたかったみたいです。なのに笹山さんはなかなか晴海さんを会わせようとしない。忙しいからと言っていたそうですが、謎がとけました」  父が女の格好や言葉遣いをやめろと切望していたのは、すべて冬木さんとの再婚のためだったと涼一君に推理されたみたいだ。 (お父さん、そんな気持ちであたしに小言を言っていたなんて全然気付かなかったわ)  最初から言ってくれれば……。いや、言われたところで晴海が女の子であることは変わらないのだけれど。 「家に行ったのは、晴海に会うためか」  槍をむけるような質問をする早紀。 「そうです。晴海さんのことが気になって。家に行けばお会いできるんじゃないかと思いました」  甘く耳元で囁くような声。とろけてしまう。それを見かねた早紀が。 「君のお母さんは晴海のことを知ったらどうなるんだ」 「早紀ってば直球だよ」  みるくが青くなった。晴海は涼一君の顔を眺めるのに必死で頭もボウッとしていた。 「さあ」  涼一は感情なく言う。 「それは母が決めることですから」 「君は気にしないか?」  いつのまにか見えない火花が涼一と早紀の間に飛んでいる。  涼一は晴海からのなめまわすような視線を感じながら。 「趣味は個人の自由ですが……ただ僕に恋愛感情をもたれるのは困りますね」  柔らかく言うけれど、言葉はきつい。晴海の恋心は大砲のごとく飛ばされてしまったのだ。 「はるたん……」  号泣一歩手前の制止状態になっている晴海に不安がひろがるみるく。 「僕はゲイではありませんから」  涼一というのは白黒はっきりさせないと気が済まない性格なのだろうか、それともただ真面目なだけなのか。  どちらにしても、 「晴海はゲイじゃねえよ」  涼一は間違った性で生まれたことがゲイと違うことをわかってはいなさそうだ。 「ゲイでなかったらオカマですか。同じだと思いますけどね」  早紀の怒りをさらっと受け流す。 「晴海は女だ。間違った身体で生まれただけだよ」  頭のいい学校に通っているならそれくらい理解しろよといいたげな早紀に。 「でも100人集めて男か女か聞いたら100パーセントオカマと答えると思います。女とは言わないでしょうね」  淡々と自分の意見を述べる涼一。 「おまえ、ずいぶんな言いぐさだな」 「すみません、回りくどいことが言えないもので」  早紀と涼一の間には明らかに敵対の炎が舞い上がっている。 「いいか、晴海は女なんだよ。家族になるならちゃんと理解してやれ」  涼一は大きな溜息をついた。 「僕は驚かないって言ってるじゃないですか。晴海さんが自分は女と言い張って好きでそういう格好をしているなら僕にそれを止める権利はありません。ただ母に嘘をついたり、ノーマルな僕に恋愛を迫ってくるような迷惑行為はしないで欲しいだけです」  涼一は決して感情を出さない。どこで学んだのか波風たたぬ言い方を崩さない。それが早紀にはバカにされているようにしか思えない。 「優等生だな、おまえ」 「はい。常に学年ベスト3です」  早紀のこめかみが痙攣しはじめた。 「それより、僕はあなたが気になります。綺麗な人なのに、なんで乱暴な言葉ばかりを選んで使うんですか」  早紀は一瞬言葉を失った。その一瞬のうちに、今までの人生が飛んで、まわって、はねて、回転して、着地したときには涼一の胸ぐらをつかんでいた。 「なんだと、この野郎!」 「カッとなって暴力ですか? まるで最低の男のすることですね」  きっとその気になれば涼一のほうが拳は強い。でも頬は殴られるのを待っているように見えた。 「早紀やめて!」  晴海が叫んだのと、早紀の頭に冷水がかけられたのは同時だった。  目の中に水が入って早紀は手を離した。 「暴力はいや……」  横を見たら瞳にいっぱいの涙を浮かべたみるく。手には空のコップ。  早紀は腰を浮かせていた椅子に崩れ落ちた。 「ありがとうございます。助かりました」  涼一はみるくに礼をのべて席を離れた。 「晴海さん、母にはご自分から本当のことを言ってください。そうしてくれない限り僕は再婚には反対です」  王子様は穏やかな微笑みを残して去っていった。 「おれはあいつと晴海が兄弟になることに反対だ」  早紀が吐き捨てるように言った。  その夜。ぜんぜん食欲がないのにフライドチキンがならんでいる。 (もたれそう) 「どうした。食え食え」  こんな日に限って父が上機嫌。 「圭子さんがもたせてくれたんだぞ」  その名を聞いたら余計胃がしくしくする。 「お父さん、あのね」 「圭子さんはお前に会えたことがほんとうに嬉しかったみたいだ。私にそっくりでシャイなのねと言ってたぞ」  フライドチキンが絶好のビールの友になっている。広くなった額まで赤くなっているのをみつめ、ハゲたくないと思う。 (早く女性ホルモンを注射したい)  シェーバーもいらなくなる。おっぱいだって丸みをおびてくる。  だけど……。 『僕に恋愛を迫ってくるような迷惑はしないで欲しい』  学校を休んでまで涼一が伝えたかったことを思い出して胸が痛んだ。 (本物の身体を手にいれれば、嘘を全部はぎとったら、なにもかも変わってくる)  涼一は母親である冬木圭子に正直に話して欲しいと言った。涼一に痛いことを言われてしまったけれど、性別については気にしていない空気を臭わせてくれた。 (それならきっと冬木さんもわかってくれる。だって涼一君のお母さんだもの) 「お父さん、冬木さんにほんとうのあたしを見てもらう」  父はチキンにかぶりついたまま動作が止まった。 「あたしたち家族になるんでしょ。嘘はいけないと思うの」  父はチキンをくわえたまま小刻みに首を横にふっている。  晴海はそれを遮るように、 「涼一君が大学に来たの。それで、涼一君は気にしないって言ってくれたわ。だから、きっと大丈夫よ」 「涼一君が、なんで」  チキンをビールで流して父は我が子を見つめた。 「涼一君はとてもしっかりした子だわ。彼を育ててきたお母さんだもの。きっとわかってくれる」 「どこからそんな自信が来るんだ」  父は晴海の姿を嫌がる目つきになってしまった。自分と同じ不快な目を冬木さんもするに決まっていると言わんばかり。 「お父さん、自分が選んだ女性を信じられないの? 冬木さんって、とてもあたたかくて優しい人だった。あたしひと目で大好きになっちゃったわ。再婚大賛成なのよ」 「賛成してくれるなら、元に戻ってくれ。私がこれまで何度もそう言ってきた意味はわかっただろ」  ああ、またいつもの会話の繰り返しになっていく。 「だめなのよ。涼一君に言われたの。正直にあたしからお母さんに話して欲しいって。そうしてくれない限り再婚には反対だって」  父のくちびるのはしからビールの泡がしたたった。 「涼一君がそう言ったのか」 「そうよ。家族になるんだから隠し事はしないで欲しいって」  王子様としてはふられちゃったけれど、素敵な弟にしたい涼一君のお願い。聞いてあげなくてどうするの。  父が「なら今からおかしな趣味をやめる努力をすればいいんだ」と言っているけれど、晴海の気持ちは変わらない。 「最初は驚くかもしれないけど、ちゃんと話せば大丈夫よ」 「頼むからやめてくれないか」  すがる父。 「あたし女性ホルモンの投与はじめたいの。ゆくゆくは手術をして女の子になるわ」  何度も自分は女の子なのと言っているのに。 「母さんのせいか、あいつがお前に優しくないからなんだろ。それならどうにか頼んでやる。しかしわかってやれ、あれはあれで娘のことで頭がいっぱいなんだ」 「いまはお母さんの話なんてしてない」  ぜんぜん関係ない話で誤魔化すのはやめて欲しい。晴海のことをまっすぐ見て欲しい。 「あたしは新しい家族の話をしているの。あたし信じてる。冬木さんはお父さんの選んだ人だもの」 「だからなおさらだとはおもわんのか。私は圭子さんを失いたくないんだ」  父は泣きそうになっている。小さな身体がさらに縮こまってみえた。 「どうしてもというなら。晴海、この家を出て行ってくれないか。学費と生活費はだしてやるから」  父の背中から空気のもれるような台詞がでてきた。高校を卒業してからいっぱい言い争ってきた。激しい喧嘩になっても父はその言葉だけは決して言わなかったのに。  稲妻が脳天に落ちて股間を貫いていった。 「あたしを追い出して、冬木さんと涼一君と暮らすの」 「当たり前だろう」  父が洟をすすっている。 「やめるか出て行くかだ」  晴海を見ようとしてくれない。 「お父さん……」  涙は流さない。だからこそ、強行を心に決めた。 (お父さんの心配はとりこしだって証明するわ)  そのことをみるくと早紀にメールしたら励ましのレスが来た。 『大丈夫、はるたんの気持ちをわからない人じゃないよ。涼一君だって、言葉使いは悪いけど、認めてくれてたじゃない』  晴海は携帯を胸に抱きしめてみるくの温かさに感謝した。  だけど、早紀からのレスはその日のうちには来なかった。  父に内緒で冬木さんに連絡を取った。電話番号は涼一に聞いたと言ったら「すっかり仲よくなったのね」と言う言葉で耳をくすぐられた。 「お父さんには内緒で、ふたりきりで会いたいんです」  というお願いにも「いいですよ」と弾んだ声で了承してくれた。花びらがひらくような喜び。  ほんとうのことを話すために冬木さんに会う。冬木さんは仕事帰り、晴海は授業帰り。待ち合わせは新宿のファミレスにした。  お母さんのときのようなことには絶対にならない。おかしな自信というか確信があった。それは涼一の言葉が大きかったと思うし、みるくの励ましもしっかり受け止めていたから。 (でも早紀は元気なくなっちゃった)  ファミレスに向かう足が少し重くなる。  早紀は涼一に絡まれてから口数が減ってしまった。そもそもお喋りなわけじゃないけれど、いつもの気合いが抜けてしまったみたいにみえる。晴海とみるくの会話にも耳を傾けなくなってしまい、声をかけると「え」とか「ああ」としか言わない。 (ライオンがネコになっちゃったみたい。早紀らしくない)  まだお喋りを楽しみたいのに、なにも言わずに早紀は席を立ってしまう。 「早紀はいやなのかな、あたしが涼一君のお母さんに本当のこと告白すること」  お母さんと再会したときとおんなじ目にあうと思っているのかも。 「早紀は、自分の言動考え直したほうがいいと思う」  びっくりしたのはみるくのくちびるからこぼれでた言葉。 「みるくも思ってた。涼一君とおなじこと」 「おなじことって」 「早紀は乱暴」  みるくはちいさく頷いて。 「私、早紀はこわいって思う。ほんとうに男だよ。こわい男」  みるくが自分のことをみるくではなく私と言うから、晴海は次の言葉がだせなくなった。 (みるちゃん震えてる)  早紀のことがこわいだなんて。たしかに乱暴な言葉遣いをするけど、それは男の子だから。 「はるたんだってわかってるはずだよ。早紀は男の子の乱暴なところばかりに憧れてる」 「みるちゃん、それは言い過ぎよ」  だけどみるくは激しく首を振った。 「早紀は、暴力で女の子を支配したいだけなのよ」 「なにを言っているの」  ボタッという音が耳に飛び込む。テーブルクロスに水玉模様が染みついている。みるくが大粒の涙をこぼしていた。このままでは晴海が泣かせているみたいになってしまう。 「どうしたの、みるちゃん」 「……なんでも、ない」  みるくは細い指で涙をぬぐう。 「なんでもなくないわ、なんで」 「なんでもないったら!」  うろたえる晴海をおいて、みるくも席を立って去ってしまった。トレイに載ったサラダとピラフが半分以上も残ったまま。 「わけわからないよ」  だけど5分もしない間に携帯が鳴った。みるくからメールで「ごめんね、おこらないで、みるくをきらいにならないで」とあったから「ばかね、怒るわけないじゃない。みるちゃんのこと嫌いになるわけないじゃない」とレスした。  でもみるくはカフェテラスには戻って来なかった。 (みるちゃんどうしちゃったの。早紀はほんとうの自分に誇りをもっているから強気な態度にでてしまうだけよ。なのにこわいだなんて)  早紀は午後の授業に出席していたけれど、うつむいたままノートもとっていない。話しかけずらい空気が漂っていて、晴海も教授の言うことが頭に入らなかった。 (みるちゃん、なにがあったのかわからないけど。明日はみるちゃんを笑顔にする報告をするから。いまあたしにできることは、それしかないから)  冬木さんと話し合って、もういちど涼一にも早紀のことちゃんと話してあげよう。ふたりが理解し合えれば、きっとみるくにも笑顔が戻る。    決戦の日がやってきた。冬木さんに、ほんとうの晴海を見てもらって。ほんとうの家族になる日。 「大丈夫、あたし、信じてる」  朝からいい天気で、スズメも3羽電線に止まっていた。だから大丈夫だ。  ファミレスの扉をあけて晴海は冬木さんを捜した。約束の10分前に着いたけれど、冬木さんはすでにいるかもしれない。  真面目そうな人だったから、とあたりを見回すと禁煙席にコーヒーを置いて座っている冬木さんをみつけた。  晴海はウンとうなずいて歩を進めた。 「冬木さん」  胸のドキドキをおさえながら晴海は声をかけた。最初冬木さんはお母さんのときと同じように「この人だれ?」というふうに首をかしげ、しばらく目の前のぽっちゃりした女の子を眺める。 「どうしたの、その格好」  最初は驚かれても仕方がない。冬木さんもご多分に漏れず棒読みになっている。 「ごめんなさい、お待たせして」  お母さんのときのように怯えたり逃げだそうとする気配がなかったから晴海は正面に座った。 「あなた晴海さんよね?」  目を丸くしている冬木さんに晴海はしっかりと頷いた。 「私を驚かそうとしたの? 充分驚いたけれど」  冬木さんはクスッと笑った。冗談だと思われている感じ。 「それとも、大学のイベントかなにか? とても似合っているわよ。メイクも上手ね」  クスクスがゲラゲラに変わりそうな笑い顔になってきた。完璧に勘違いされている。そういうことは初めてじゃない。久しぶりに会った友だちにはだいたいそう言われる。 「冬木さん、あたし本当は女の子なんです」  晴海はなだめるように言った。語尾に「!」をつけるような言い方をしたら確実に相手はひいていくという確信があるから。  目の前の冬木さんから笑いが消えた。 「なに、新手の冗談なの?」  冬木さんはお冷やに手を伸ばそうとしてやめた。 「いいえ、冗談でも驚かせるのとも違います」  晴海はまっすぐ冬木さんを見つめた。最初は仕方がないことだけど、冬木さんの目は驚きのあまりひらかれたまま。 「先日お会いしたときの姿は嘘なんです。あれは、お父さんのために我慢しました。だって、初対面だったから」  ほんとうは嫌々あのような姿にさせられたうえに心の準備もないままに冬木さんと涼一に紹介された。だけどあのときは父をたてることにした。  ここでウエイトレスが注文を聞きに来た。晴海は冬木さんと同じコーヒーを頼む。 「そうだったの。だから正一さんはあなたに会わせようとしなかったのね」  ウエイトレスが遠ざかったのを確認してから冬木さんは溜息のような声をだした。 「お父さんを嫌いにならないでください。あたし、お父さんのこと大好きだし、幸せになって欲しいと思っています」  冬木さんがゆっくりコーヒーをすする。 「正一さんは正一さん。あなたはあなたでしょ」  晴海は顔をあげる。おだやかにくちびるをあげて微笑んでいる冬木さんがいた。 「このことは、涼一君にはもう話しているんです。涼一君は冬木さんに正直に話して欲しいって言ってくれました」  ほんとうは正直に話さない限り再婚に反対だと言われたけれど、一時は心を奪われた人。彼の印象を悪くするようなこと言えない。 「涼一君はとても素敵な息子さんですね」  それは本心。冬木さんはおどろいた様子で、 「涼一が、そんなことを」  晴海は力強く頷いた。そこへ無表情のウエイトレスがコーヒーを置いていった。 「あたし、今は中途半端ですけど、ちゃんと自分で働いてお金貯めてホルモン治療はじめて、いずれ手術もして本当の女の子になります。きっと今より綺麗な身体になって、どこにいっても恥ずかしくない……」 「聞いてもいいかしら」  冬木さんは冷静に尋ねてくる。そういうところ、涼一君に似ていると思う。きっと頭の回転をフルにして晴海を理解しようと努めているんだろう。 「はい、なんでも聞いてください」  晴海は息を飲んで身構えた。 「いつから自分は女だって思ったの」 「きっと、生まれたときからだと思います」  いちごゼリーが大好きだった。いつかあたしはいちごプリンセスになるって思っていた。だれよりも美味しいいちごゼリー。ぷるるんとしてやわらかで甘い香りのする、お母さんみたいなお姫様に。 「周囲からどう見られているか、気になったことはないの」  それは父にも聞かれたことがある。 「周囲の目より、嘘の、男の子の格好をしているほうが恥ずかしいんです」  晴海は頬が紅潮していくのを感じていた。 「女性とお付き合いしたことは」 「そんな、あたしレズビアンじゃありませんから。でもとっても仲のいいお友だちはいます」 「じゃあ、男性とのお付き合いは」 「なかなか、恋は実らなくて」  失恋したばかりとは、さすがに言えない。  冬木さんはふふふと小さく笑った。 「おもしろいわね」 「悩むことばかりです」  冬木さんは馬鹿にしてない。晴海の心は空気が入って弾みはじめたのだが。 「正一さ……お父さんは認めているの?」  痛いところを突かれてトーンダウンしてしまう。 「応援してくれてます、って言えたらいいんですけど。ぜんぜんわかってくれなくて、喧嘩ばかりしてます」 「普通の会話はあるの?」 「あります。いがみあったりとか無視したりとかはありません。ただ、どうしても会話しているとあたしのことになってしまって。あたしは理解して欲しい、お父さんはやめてくれって。堂々巡りです」  ノドがかわいてコーヒーを口にする。ピンクの口紅がカップについた。 「あなたのお母さんはそのことを知っているの?」  また痛い質問。でも、いづれは聞かれることと腹をくくる。 「知っています」 「認めているのかしら?」 「お父さんから聞いていませんか」 「なにも」  晴海は父親違いの妹、やよいのことでお母さんの頭はいっぱいであることを告げた。 「だからお母さんはあたしのこと考える余裕がないんです」  でもいつか。やよいの病気がよくなったら、だんだんでいいから晴海のことを見てもらえるようにしたい。 「ありがとう。正直に話してくれて」  目の前の冬木さんのくちびるが微笑んでいた。とたんに目頭が熱くなるのを感じた。 「涼一がお腹をすかせて待っているから。これで失礼させていただくわ。あなたはゆっくりしていって」  冬木さんは伝票をもってしっかりした足取りでレジに向かっていった。本当はいっぱいお礼を言って駅までご一緒したかった。けど、緊張のあまり身体がいうことをきいてくれなかった。ウエイトレスが無言でついでくれたコーヒーのおかわりを砂糖もミルクも入れずに飲んでしまったけれど苦みは感じなかった。 「みるちゃん、あたしやったよ。冬木さん逃げずに話聞いてくれたよ」  翌日、いつものように正門の前でみるくをみつけ、速攻走り寄ってハグしたら、泣きべそみるくのうつろな目に光が宿った。 「はるたん……。ほんとうに?」 「ほんとよ。冬木さんね、正直に話してくれてありがとうって言ってくれたの」  晴海はみるくを抱きしめたままジャンプした。 「はるたん、やだ、痛いよ」  みるくが笑ってくれたのが嬉しくて、さらにジャンプしてしまう。晴海はみるくの手を取ってはしゃいだ。周囲の学生がまたあいつらだよ。という冷ややかな目で見ているのもまったく気にならない。  喜びはカフェテリアまで続いた。 「どういう話をしたのか最初から聞かせてくれないか」  喜んでいるところ悪いけどさ。というタイミングで早紀が静かに声をかけた。晴海とみるくははしゃぐのをやめて早紀をみつめた。 「なんだよ、人を珍しい生き物見るみたいな目で」  晴海とみるくは顔を見合わせて。 「だって早紀。昨日すごく落ち込んでたから」 「涼一君と絡んでから、すごくこわかった」  早紀は晴海とみるくを見て、気を使わせてたんだ、とようやく気付いたようで溜息をついた。 「ごめん。あのときはマジでカッとなった。カッとなるってことは、あいつの言うこと当たっているところもあるってことだよな。そのことを少し考えてた」  湿った押入れの隅っこで、ひざを抱えているような気を発散しておいて少しなんだ。と晴海は思ったが声にはださないでおく。  3人はいつものようにひとつの四角いテーブルに腰を落としている。 「涼一だけどさ」  早紀は丸1日誰も寄せ付けないほど考え込んだ末導き出された答えを語ろうとしていた。 「あいつは、おれや晴海のこと嫌悪している。わざと挑発した」  挑発という言葉に晴海もみるくも被害妄想ではないかと思ったが、早紀があまりに真剣な顔をしているから口にはだせない。 「あいつの言うことは冷静すぎて気味が悪かった」 「そいういう性格なのよ」  みるくが口をはさんだ。 「頭のいい子はクールが似合うの」  晴海は自分でもひいきめな意見だなと思った。ふられても頬が熱くなってしまう。 「晴海さ、あいつに違和感感じなかったか。ほんとうに晴海の性を理解していると思ったか」 「そんな、涼一君は気にしてないって言ってくれたわ」 「気にしていない。なんて言ったか?」  晴海は頬を膨らませた。あの会話ならそう受け取っていいじゃないか。気にしていないという意味以外になにがあるというのか。  早紀は溜息をついて続けた。 「その言葉に付随する表情だよ。晴海、おまえちゃんと涼一の顔みてたか」  表情って、ただ素敵だったとしか覚えていない。薄いくちびるがやさしげに微笑んで……。 「目が笑ってなかった」  早紀の断言にみるくがはっと息を飲むのを感じ、晴海の膨れた頬はしぼんだ。 「おれはあいつに言われたことでキレた。あいつの襟首つかんで、おれは男だという目であいつを至近距離でにらみつけた」  早紀は男性の暴力的な部分を押し出すように涼一につかみかかっていた。 「水かけてごめんなさい。でも、あのときは早紀がこわかったから、暴力はやめて欲しかったから」  みるくがしゅんとなる。そんなみるくを晴海はみたくない。 「早紀、みるくをおこらないでね」  早紀は「そんなこと、気になんかしてない」と即答した。 「止めてくれて助かったよ。かえってお礼を言うべきだ。ありがとう、みるく」  早紀は目を細めてみるくに微笑みかけた。晴海は早紀の表情に胸がキュンと鳴るのを感じた。みるくもそうだったみたいで「そんな」と言って鼻の頭を赤くした。 「早紀、女殺しよ、そんな表情」  晴海は言わずにはいられなかった。そんな隠し球持ってたなんてずるい。 「それ最高の誉め言葉。サンキュー晴海」  誰もよせつけず1日考えて、早紀はなにかしらの答えを得たのだ。 「早紀ってば、ひとりで勝手に先にいかないでよ!」  なんだかくやしい。 「なに言ってんだよ」 「だって、かっこいいんだもの」  それを聞いて早紀は吹き出した。みるくも早紀に対するこわいという感情が溶け出したよう。  緊張感がなくなって表情にゆるさが増してきた。3人の心が同時に温かくなっていくようで気持ちがいい。  これが心通うときなんだ。みんなの目がきらきら輝いている。 (目つき……)  言葉とは正反対の涼一の目。  夢のなかで晴海を辱めた月明かりの王子様と重なる。 (それでも、あたしは信じたい)  この人にならどんなことをされても、この身をゆだねようと……。  晴海は両手を胸にあてて沈黙。 「話がそれたじゃないか。涼一の目だよ。氷みたいでさ、ゾッとしたんだ」  早紀は話題を戻す。 「笑っていたのはくちびるだけ。目は文字通り上からだった」  早紀は不愉快さを全面に押し出す。 「そうなのかしら。突き放したのは大勢の人の前だったからなんじゃないかしら」  涼一君を信じたい。家族になる彼を。信じなくてはなにも進展しない。 (もし、奇跡というものがあって。見えない糸が導いてくれるのなら、涼一君は誰もいない夜の浜辺でなら素直になってくれるのかも。王子様のように)  晴海なりに考える涼一に血圧が急上昇してしまう。 (あたし、やっぱり涼一君をあきらめられない。ただの弟としてなんか見れそうにない)  問題の壁がどんどん高くなっていく。晴海の体でロッククライミングできるのだろうか。 「なあ、涼一のお袋さんはどんな目で晴海を見てたんだ」  早紀の言葉は夢の世界からひきずり降ろそうとするかのよう。晴海は不機嫌になってしまう。 「冬木さん?」  涼一と重なるように、冬木さんの目。 「逃げずにあたしの話聞いてくれてたわ。涼一君によく似た落ち着いた物腰で。あたしもあんな女性になりたい」  クールで冷静な物腰。父には勿体ない奥さん。 「涼一は言葉だけで心が感じられない。気にしないっていうより、どうでもいいというような」 「そんなこと、ないわ。あたし信じてるの」 「はるたんには頑張って欲しい。けど、涼一君って冷たい感じ、した」  みるくも早紀の言うことに反論しなかった。それどころか冬木母子に攻撃的な目つき。 「みるちゃん、落ち着いてね」  早紀はともかく、みるくまでそんな反応を示すとは思わなくて晴海はショックを受けた。 「だって、涼一君の言い方ってばかにしているみたいで、ひどいって思った」 「あんなふうにしか自分の気持ちを伝えられない人もいるわ」  晴海は涼一がわざわざ高校を休んでまで会いに来てくれたことを思う。冬木さんが晴海の姿をみて、驚きはしたものの終始穏やかで、話してくれてありがとうとまで言ってくれた。晴海は首をブンブン振っていやな考えを振り払った。 (ちがう、不吉なことなんか絶対にない)  信じる心をなくしたら闇の思うがままになってしまう。 「あたし、涼一君も冬木さんも信じてる」  晴海は言い聞かせるように言った。 「おれはおれの思うことを言ったまでだから、晴海がどう思うかは自由だ。ただ、あまり期待しすぎると痛い目にあう」 「そんなことない。絶対にない。だって家族になるんだもの。理解してくれてる」  それって当たり前じゃないか。涙をさそうドラマは決まってハッピーエンド。晴海も何度信じることの素晴らしさに救われたことか。 「理解か」  早紀は溜息まじりだ。 「そうよ、冬木さんも涼一君も感情を表にだせないタイプなの」 「晴海さ、求めすぎだよ。信じるって、口にすればするほど体力消耗するぜ」  一生懸命の先には絶対に光差し込む扉への道が示される。 「早紀だってお母さんを説得するのに長い時間かけたんでしょ。信じて頑張ったんでしょ」 「はるたん、落ち着いて」  身を乗り出す晴海。せっかく場がなごんだのに、また険悪になりそうでみるくはうろたえてしまう。 「母さんは理解なんてしてないよ。折れただけだ」  早紀が笑うので晴海は浮かしたおしりを椅子に戻した。 「おれのこと諦めたんだよ。それでも治療のオッケー出してくれただけで充分嬉しいって言ったら、母さん泣き出してさ、抱き合って一緒に泣いたよ。お互い涙の意味は違ったろうけど」 「でも、それじゃ寂しいわよ。あたしはわかってもらいたい。あたしが女の子ってこと。女の子としてほんとうの姿になること」 「かなり難しいぜ」  晴海は首を振った。 「涼一君と冬木さんはあたしのこと「気にしてない」って。そんな言葉を聞くのはじめてだった。あたし家族がみんな同じ気持ちの涙を流したい」  晴海が洟をすする事態になってしまったからか、早紀があわてて「ごめん」と前置きして、 「晴海は大きな期待をしすぎるから心配なんだよ。なんっていうか、反動がさ」  あんな目をした涼一に期待なんかしていいのか? 早紀はそこから不安になっている。 「あたし信じてるのよ、新しい家族を」  マスカラに涙がしがみついている。 「でもさ、お袋さんの例があるから」  早紀の言葉にしょんぼりしてしまうみるく。 「はるたん、辛すぎるよ」 「落ち込まないでみるちゃん」  お母さんと笑い合ってお喋りしたり、ショッピングしたり、映画をみたり、公園でソフトクリームなめたり。晴海の思い描いていたお母さんとのふれあいはバラバラと音をたてて崩れた。だけど。 「あたし、それもあきらめてないから」 「えっ」  と驚きの声をあげるみるく。 「はるたん、男装までさせられたのに」 「いまは仕方ないと思うの。あたしはやよいが好きじゃないわ。でも重い病気で苦しんでいる。あたしは、男の子の格好させられて消えたくなるほど恥ずかしかったけど、ほんとうに消えてしまうわけじゃない。でもやよいは」  骨髄適合者が見つからなかったら……。 「やよいの病気がよくなったら、お母さんを振り向かせる。あたしの夢叶えてみせるわ」 「はるたん偉いわ」  晴海の決意にみるくは頬をゆるめた。 「いい人すぎるんだよ晴海は」  早紀は眉間にしわをよせる。 「お母さんはあたしを産んでくれた人。冬木さんはお父さんを選んだ人よ。信じなくてどうするの」  晴海は大切な友だちを心配させたくないから、あえて自分に言い聞かせるように声を張り上げた。  しかしその夜。ビールをたらふく飲んで顔を真っ赤にした父が言い放った。 「おまえを絶縁しなければ結婚は白紙にすると言われた」
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