つゆ娘

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 貴文の部屋に入ると、中二の及川 悠翔と高三の信岡 樹郎がこちらを振り返った。 「また門限破りっすかー、そろそろ気を付けたらどうですー?」  と、悠翔が単語帳から顔を上げて言った。 「いやぁ、悠翔。お前が真面目すぎるだけやで。中二やろぉ、もっと弾けてもえぇと思うでぇ」  貴文は、さっきと変わって、明るく、調子を取り戻して、そう言った。 「変なこと吹き込むな、貴文」  樹郎が、イヤホンを片方外して、忠告する。  と、そこで、亮に気付いたようで、 「へぇ……珍しいな。亮と一緒か」 「そ。こいつ、珍しく、門限破ったんすよー、しかも三十分」  貴文の言葉に、悠翔が、じぇっ?、と声を漏らしたのが分かった。 「椿さん……誤った道に進まねぇでくださいね」  悠翔の一言に、樹郎が、吹き出して、 「二人でこの部屋に来たってことは、なんか話があんだな? いいよ、俺、集中室行くから」  と言って、勉強道具をまとめだした。  樹郎は、特進クラスで国公立大学志望の受験生である。普段は、自分たちの部屋で勉強するが、徹夜などをしたいときなど、集中室と呼ばれる部屋に優先的に入れて、静かに勉強できるのだ。 「わざわざすみません」  亮がぺこり、とお辞儀すると、 「いいよ、門限破るほどの何かがあったんだろ? じっくり話して行けよ。」  と言って、後ろに顔を向けず、手だけ振りながら、樹郎は部屋を出て行った。 「……かっこいいな、信岡さん。」 「俺らの室長やからな。」  貴文の言葉に、亮は、どんな根拠だ、とツッコみたくなったが、グッと堪える。 「……あのぉ、柿木さん、俺は居て良いんすかね?」  悠翔が恐る恐る聞くと、貴文が、亮の問題なのに、 「お前が聞きたくなきゃ、聞かなくていいし、聞きたかったら聞きゃえぇねん……あった。これや。先輩の日記」  と、勝手に答えた。  貴文の手にあったノートは、埃を被って、古めかしいが、灰色に、黒で、「Note book」とプリントされた、シンプルなノートだった。 「雨の日に、女に会うのは、ここからだ。」  と言って、貴文は、ノートの四分の一くらいのページを開いた。  亮と悠翔でそのページを覗き込む。 「6月18日 雨 橋の下で、雨宿りをしていたら、露川 雫、っていう同期の女子に出会った。色んな話をしたけど、話しやすくて、可愛くて、茶目っ気があって、良い子だった。ちょっと怖いけど、これからも、機会があったら会いたいと思った。会えるといいな」 「露川 雫?」  と、亮が呟くと、 「え? そこ、引っかかるところっすか?」  と、悠翔が聞いた。 「こいつがこないだ、雨の日に会ったやつも、苗字が露川、っていうんよ」  貴文がそう答えると、 「じぇ……それって、偶然にしては出来過ぎてる気がしますね」 「だろ?」 「……あれ、ひょっとして、椿さん門限破った理由って」 「その女」  亮が何も言えないのをいいことに、貴文がそう答えた。 「……おぉ、わお」  悠翔のリアクションに、うっ、と少し心を痛めた亮であった。  二人は、気を取り直して、日記の続きを読んだ。  その後も、雨の日には、先輩と、その雫という女子が会って話をしている様子が綴られていた。  そんな中、7月2日の日記。 「7月2日 晴れ 試験期間。最近彼女に会えていない。勉強してても、寝るときになっても、頭の中は、雫でいっぱいだ。これは、やっぱり、俺はあいつのことが好きってことなのか?」 「かわいいっすねー、この先輩。」 「いや、ちょっと女々しくね?」  悠翔と貴文の話を聞きながら、亮は、自分が、ノートの中の彼と同じような状況に陥っていることに気付き、何も言えず、赤面した。 「そして…とどめは、7月15日。」  貴文の言葉に、二人は、7月15日にぺージをめくった。 「7月15日 台風 台風で、学校が四時間目で終わって、俺と彼女は、人のいない、庭の紫陽花の前で待ち合わせをした。俺は、彼女に、付き合おう、と言った。彼女は、はっとした顔をした後、「ありがとう」と言って、嬉し泣きをしていた。俺も嬉しかった。だが、俺が彼女を抱きしめた後、風が吹いて、俺の傘が、飛ばされて、俺がそっちを向いた隙に―彼女は蒸発した。」 「……は?」 「蒸発ってなんすか?」  亮と悠翔は、キョトンと日記を眺めている。 「せやなぁ。予期無く、行方不明になった、ってときとかに使うけど」 「へぇー」 「でも、その次の文章見てみ」  貴文に言われ、次の文章に目を移す。 「物質的に。」 「……物質的に?」  声に出して読んでみたとたんにぞっとした。 「怖いやろ?」 「つまり……人が、水の蒸発みたいに、ってことか?」  亮がそう言うと、悠翔が、 「じぇ、怖っ……」  と呟いた。 「んなわけあるかいな。まあ、そこの真相は、この先輩に聞いてみんことには、わからへんけど」  貴文がそう言うと、その部屋、311部屋は、しん、と静まり返った。 「分かったか? つまり、雨の日に会った女は、危ない、ってことや。しかも、どういうわけか、昔、先輩が引っかかった女と同じ苗字。怪しすぎるやんか。亮みたいな良い子は、引っかからん方がえぇと思うで」  貴文の忠告は、心から亮を思う故であった。  が、亮は、黙って数秒考えると、 「いや、雨の日に会った女は、危ないって結論に関しては、なんの脈絡もねぇし、そんなの根拠無さすぎるだろ。それに……確かに、偶然にしては出来過ぎてる、って思うけど、それでも、たまたまじゃねぇかな……」  と、段々自信なさげになりながらも答えた。  悠翔は、んー、と唸ると、 「じゃあ、その、椿さんは、その露川さんと付き合うんすか?」  と問うた。  亮は、しばらく黙り込む。 「それはまだ……」  と返した。 「おぉ。そうや、この先輩が会うたのと同じような奴かもしれないし、登校日は、必ず雨の、生粋の雨女やで? 怪しすぎるやろ。とりあえず、明日、露川が何もんなのか、聞いてみることやな」 「明日かー?」  亮は、顔をしかめると、ため息まじりに、床に、仰向けに寝転がった。 「おいー、一応、ここ、俺らの部屋ー。寝るんやったら、自分とこ帰れや。」  と、言いながらも、貴文が、亮の隣にうつ伏せに寝転がる。 「ここだって去年は、俺の部屋だったし」  と言いながら亮は目を閉じた。 「……椿さんて、意外と我が強いんすね」  という悠翔の言葉が、その日の亮の最後の記憶だった。
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