第一幕 居候猫と新たなる居候

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第一幕 居候猫と新たなる居候

 その日、マオはいつものように夕方の散歩を楽しんでいた。  人並みに紛れるようにしてふよふよと浮きながら、道行く人を眺める。楽しそうな人、悲しそうな人、急ぎ足の人、のんびりと歩いている人。皆それぞれ違っていて、見ていて飽きない。直接はかかわれないものの、そうやって周りの人々を眺めることが、マオは好きだった。  でも、そろそろ戻らなければ。好きな番組が始まってしまう。公園の時計を見てそう思うと、隆二の家に戻ろうとし、 「ちょっと、そこの幽霊のお嬢ちゃん」  丁度その時、右手からそんな声が飛んで来た。  穏当ではない声のかけられ方に勢いよく振り返ると、一人の青年がそこにいて、 「そうそう、お嬢ちゃん」  マオを指差しながら、にっこりと微笑むと続けた。 「神山隆二っていう名前の不死者、知らない?」 『いっ』  マオはその言葉を理解すると、咄嗟に叫んでいた。 『いやぁぁぁぁっ!! 不審者ぁぁぁぁ!』  神山隆二は、いつものようにコーヒーを飲みながら本を読んでいた。  元々彼にとって本を読むのは、暇つぶし程度の意味合いしか持たなかった。しかし、ここ最近、居候猫が居着いてからはどたばたしていて潰す暇が存在しない。そうなると、時間を作って意地でも本を読みたくなるから不思議である。居候猫の散歩の時間に、一人静かに本を読むのが、今の彼の密かな楽しみであった。 『りゅぅぅぅじぃぃぃぃ』  遠くから、居候猫の鳴き声が聞こえる。  時計に視線を動かすと、午後五時半になろうとしていた。居候猫は午後五時半から始まる、特撮ヒロイン物、疑心暗鬼ミチコの再放送をとても楽しみにしている。  毎回毎回、よく丁度の時間に戻ってくるよなぁ。そんなことを思いながら、片手を伸ばしリモコンを手に取る。スイッチをいれる。再び本に視線を落とす。もうちょっとで読み終わりそうだから、邪魔しないで欲しいなぁ。 『りゅーじぃー!! たぁいへんー!』  窓からぴょこっと居候猫の顔が生える。 「テレビならつけたぞ」  本に視線をやったままそう告げると、 『そんなこと! どうでもいいよぉ!』  マオが隆二の目の前で両手をばたばたさせながら叫んだ。 「は?」  思わず本から顔をあげる。  どうでもいい? マオが疑心暗鬼ミチコのことをどうでもいいだと? 彼女の中でひょっとしたら隆二よりも格上の、疑心暗鬼ミチコのことをどうでもいいだと? 「……どうした?」  知らず、低い声になる。一体何があったというのだ。 『大変なの! あのね、あのね! さっきね、そこでね! 知らない人に声をかけられたのっ!!』  それで? と流しそうになって、 「は?」  慌ててマオを見る。彼女の向こう側に、テレビが透けて見える。今日も今日とて、安定して、どっからどう見ても、完璧な幽霊だ。 「声をかけてきた?」  完璧な幽霊に声をかけてくるなんて、普通の人間じゃない。幽霊が見える人がいても、スルーするのが通常だし。 『うん! でね、その人に言われたの! 神山隆二っていう、不死者を知らないかって!』 「神山隆二っていう、不死者を知らないか?」 『うん!』  マオが頷く。 「神山隆二っていう不死者、か」  そこまで知っているっていうことは……、何だ? 『どうしよう! 一応ね、まいてきたけどね!』  マオはあせったように両手を無意味に動かす。  ぴんぽーん、チャイムの音が部屋に響く。 『うひゃっ』  驚いたようにマオが声を上げ、隆二の背中に隠れるようにする。壁にめり込んでいるが。 「隆二、いるんだろー」  ドアをがんがん叩きながら、来訪者は声を張り上げる。 「お嬢ちゃんのあと、つけさせてもらったから、ここだろー」 「まけてないじゃないか」  思わず背後のマオにつっこむ。 「俺だよー、俺俺」 『やだっ、オレオレ詐欺だわっ』  いつのまにオレオレ詐欺は対面方式になったのか。 「エミリちゃんにさー、住所訊いたのに教えてくんねーの、個人情報とか言ってー」  外の声は返事がないことを気にした様子もなく、続ける。 『……エミリ』  隆二の背後でマオが小さく呟いた。ぎゅっと隆二の腕を握る。それに気づくと、隆二は振り返って、一度マオの頭を撫でた。  先日の一件後、改めてエミリが謝罪に来たものの、マオはエミリのことは苦手のようだった。まあ、仕方ないよな、殺されかけたわけだし。幽霊だけど。  などと思っている間にも、 「りゅーじーあーけーろー」  ドアをガンガンたたきながら、声がする。 「……すっげー、無視してぇ」 「開けないとないことないことご近所に吹聴すんぞー」  聞いていたようなタイミングで外の声が言う。というか、 「聞こえてるんだろうなぁ」  小さくため息をつくと立ち上がる。 『隆二ぃ、大丈夫なの……?』  怯えたような顔をするマオに笑いかける。 「知り合いだから」  言って仕方なしにドアをあけた。  黒髪の男が、楽しそうな顔をして立っていた。 「お前さ、もうちょっと普通に来いよ。チャイム鳴らしたなら出るまで待てよ」 「待ったってどうせ隆二出る気なかっただろう」 「当たり前だろうが」 「じゃあ、こうするしかないじゃないか」  男は悪びれずに笑う。 「うちの居候猫が怖がるじゃないか」  そうして一度言葉を切り、 「京介」  相手の名前を呼んだ。  男は神野京介と名乗った。 「まあ、あれだ、俺の同族だ」 『りゅーじの』  マオは京介を上から下まで眺めて、 『そっか、隆二の』  安心したように呟いた。 「うん、隆二の仲間ー。さっきは怖がらせたみたいでごめんねー、マオちゃん」  京介が笑いながらいうから、マオは首を横にふった。 「っていうかさ」  隆二は京介を見て、 「くつろぎ過ぎじゃね?」 「まあまあ、気にしないで」 「するって」  ダイニングテーブルに座る隆二の視界にうつるのは、赤いソファーにだらりと腰掛けた京介だった。お前の家かよ。  隆二の向かいに座ったマオは、ちらちらとテレビに視線を送っている。事態が落ち着いたらテレビが気になるようだ。 「……マオ、気になるならあっちでゆっくり座って見ろ」  テレビの方を指差すと、 『でも』  困ったように隆二とテレビと京介に視線を動かす。 「いいから。京介、お前こっち座れ」 「はーい。マオちゃん、どうぞ」  京介は素直に立ち上がると、隆二の向かい側に座る。それを確認すると、マオはソファーに移動した。 「で?」  頬杖をついて隆二は問う。 「何に来たわけ、お前」  仲間同士で今までまったく連絡をとらなかったわけじゃない。だが、なんとなく連絡を取り合わないようにしよう、という不文律が出来ていたはずだ。それがこうやって会いにくるなんて。 「色々あってさ! しばらく置いてよ」 「帰れよ」  即答した。 「なんで俺がお前を家に置かなきゃいけないんだ」 「色々あったんだって」 「じゃあせめてその色々を話せ。いや、やっぱり話さなくていい。かかわりたくない」 「懸命だね」  京介が笑う。 「住む場所がないなら嬢ちゃんに声かければどうにかしてくれるだろ」 「エミリちゃんに借りを作りたくないのは、隆二だって一緒だろ?」 「まあ、それはそうだけどな」  代わりにどんな面倒なことを頼まれるか。 「家賃なら払うよ。なんなら全額。光熱費も払ってもいい。ついでに、俺持ちで食事を作ってもいい」  楽しそうに、そして少し嫌味っぽく京介は笑うと、 「寂しいんでしょ、懐」  言葉につまった。  確かに、マオに正体を隠すために食べる必要もない食事をとっていたことが予想外の出費となって、貯金額が目減りしている。京介の提案は、とても魅力的だった。 「俺、普通にバイトしてたから金あるよ?」  駄目押しの一言。 「……わかった」  しぶしぶ頷くと、 「金の力に惑わされましたねっ!」  テレビに言われた。空気読み過ぎだろ。 「あ、富子」  テレビに視線を移した京介が呟く。  とみこ? 「……ミチコじゃないのか?」  尋ねると、 『違うよー、ミチコはこの前終わったよー!』  テレビの前で拳を握ったままテレビを見ていたマオが、振り向かずに答える。 「美少女四字熟語シリーズっていうシリーズ物なんだよ」 「四字熟語……」 「一作目が疑心暗鬼ミチコ。これは二作目の七転八倒富子」 「七転八倒……」  ヒーローとしてはどうかと思うネーミングだ。  見れば、確かに画面上で戦う少女は肘宛てやヘルメットなどをしている。あ、転んだ。 『富子はねー、強いんだけどよく転んじゃうのー』 「毎回十五回は転ぶんだよ」 「転び過ぎだろ」  毎回七転八倒か。 『でも、強いんだよー』  それが一番重要だ、とでも言うようにマオが念押しする。強ければ転ぶのも許されるのか、ヒーローも。 「ちなみにこれ、富子役の子が撮影中に骨折しちゃって、途中で主役が交替するんだ。当時の雑誌には、七転八倒富子、本当に転倒! って出ててさ」 「なんでお前、詳しいんだよ」 「ちょっと調べたことがあって」 「なんでそんなもん調べるんだよ」 「ミチコのお面をお祭りで見かけたんだよ。これ、なんのキャラなのかなーって思って」 「お祭り、ねぇ」  そんなものにどうして京介が行ったのかの方が気になる。 『あなた! 詳しいのねっ!』  マオが目を輝かせながらテーブルに飛びついて来た。  テレビはエンディング曲を流していた。なるほど、終わったからこっちに来たのか。 「そのうち富子の代わりに、七転びヤオ君子がやるはずだよ」  京介は笑いながらマオに告げる。 「七転び八起き……」  ようやく起き上がるようになったか。 「あとあれは特撮物だけど、アニメ版もあるんだ」 『へー』 「そっちには四苦八苦久美子っていうのもあるよ」 「四苦八苦……」  ようやく起き上がったのに。 『すごいね! 隆二!! 京介さん、詳しいのねっ!』  はしゃいだようにマオが両手を叩く。 「あー、まあなー」  詳しいには同意するが、それがすごいのかどうかはわからない。  京介はにこにこと笑っている。 『本当、すごいっ』  マオが楽しそうで、なんとなくそれが癇に障る。さっきまであんなに怯えていたくせに。そんなことを思ってしまう。怯えているよりは、楽しそうにしていてくれる方がいいのだが。 「マオ、おまえ、ちょっとは落ち着け」  言いながら自分の隣を指差す。 『はーい』  マオは素直に隣に座った。それに少し安堵する。 「事後承諾で悪いが、しばらくこいつも一緒に住むことになった」 「よろしくねマオちゃん」  言われてマオは少し困ったような顔をしたが、 『うん、わかった』  小さい声で頷いた。 『家主が言うなら仕方ないもんね』 「……いつの間に家主とか覚えたんだ?」  元々妙なことは知っていたが、なんだか感慨深いものがある。小さい子どもの成長を見守る親のような気分になった。小さい子どもを持つ親になったことなんてないけど。 『テレビでやってたよ。夕方のニュースのね、特集。激闘! 家賃の取立合戦? とかで。あれね、面白いの。万引きGメンと夜回りおばちゃんのシリーズが好き! あ、あと警察に密着するやつ!』 「……そうか」  ただ、知識の仕入れどころが偏っているので、今ひとつ安心できないが。  二人のやりとりを楽しそうに見ていた京介は、話が終わったことを見届けると、 「ごめんね、よろしくね」  微笑みながら右手を差し出す。  マオはしばらく躊躇った後、その手を握った。  握れた。 『……触れるんだ』  握手した手を離してから、マオが小さく呟く。 「あー、同族だからな」 「同族だしね」 『……同族。不死者ってことだよね?』 「ああ」 『……研究所の?』  こちらの顔色を伺うようにして問うマオに、小さく頷いてみせる。 『京介さんは、隆二とは仲いいの?』 「よくはないな」 「いいよ」  二人で顔を見合わせる。 「いつ、俺とお前の仲がよくなったんだよ」 「酷いな隆二。俺はお前のこと、他の二人よりは仲いいと思ってるぞ」 「……まあ確かに、小言の五月蝿いコーヒー狂いと味覚音痴の甘党と比べりゃあ京介とは仲がいい部類だけどな」 「年も同じだしな。颯太となんかは五歳も違うし」 「こんだけ生きてりゃ誤差の範囲だろ」  ぽんぽんと隆二と京介二人が会話するのを、 『むー、ちょっとっ』  膨れっ面したマオが遮った。 『わかんないっ、何の話してるのかぜーんぜんわかんないっ』  こちらを睨んでくる。 「そうだぞ隆二。ちゃんとマオちゃんにもわかるように話をしないと。仲間はずれにしたら可哀想じゃないか」 『そうよそうよ!』 「俺一人のせいかよ……」  一つ溜息。 「だって俺、お前がどこまでマオちゃんに話したか知らないし」 「あー。ま、そうだろうな」  少し躊躇った後、 「ほら、成功した実験体が俺をいれて四人だっていうのは、話したよな?」  隆二の言葉にマオは頷く。 『聞いた』 「それの一人がこれなわけ」 『京介さんね?』 「で、残った二人のうち一人が、俺等の中で最年長で、小言が五月蝿くて、コーヒーにこだわりがあり過ぎてひくレベルのやつ。神崎颯太」 『かんざきそーた』 「颯太はね、インスタントコーヒー飲んでるやつを見つけると、片っ端から説教かますから、気をつけた方がいいよ」  京介が付け足す。 「あれ、なんなんだろうな。こだわりが強過ぎて本当ひくんだが」  インスタントしか飲まない隆二としては、二度と会いたくない人物の一人だ。殺されかねない。 『隆二はこだわり無さ過ぎだと思うけどな』  マオが呟く。 「……そうか?」 『うん。無趣味っていうか』 「誰かさんのせいで退屈してないから趣味とかいらないんだ」 『ああ、あたしのおかげで毎日楽しいってことね』  頬に手を当ててマオが嬉しそうに笑う。よくまあ、瞬時に前向きに解釈出来るよなあ、この無駄ポジティブめ。そうは思うものの、マオが言っていることもあながち間違いじゃないので否定もできない。 「俺の趣味の話はどうでもよくて。最後の一人。俺等の中で最年少。味覚音痴の甘党、神坂英輔」 『かんざかえーすけ?』 「そう」 『甘党って?』 「甘いものがそれはそれは好きなんだ。あいつ」  隆二は少し眉間に皺を寄せる。 「俺はあいつが一番怖い。甘いもののためならあいつは何でもするんだろうな、って思うから。俺か甘いものか選べって言われたら、あいつは間違いなく甘いものをとる」 「全世界を敵にまわしても、甘いものを食べ続けるんだろうな」  京介も嫌そうに呟いた。  マオはふーんっと少し悩んでから、 『変な人ばっかりねー』  しみじみと呟いた。 「そういう意味では、京介は割とまともだよな」 「え、何その上から目線。隆二、自分のことまともだと思ってるわけ?」 「あの二人に比べたらまともだろ」 「まあねー」 『……よっぽど変人なんだねー』  くすり、とマオが笑った。 『ちょっと会ってみたいなー』 「それは勘弁してくれ」  マオがその二人と会うならば、必然的に隆二も会うことになるのだろう。それはちょっと嫌だった。 「最後にあったのいつか、ってレベルだしな」 『あんまり会わないの?』 「用もないし」  それに、会うとどうしても過去のことを思い出して憂鬱になる。何年経っても何十年経っても変わらない自分達は時間軸から取り残されていることを、改めて認識することになる。だからなんとなく、お互いに積極的にあうのは避けるようになっていた。たまに、研究所絡みの依頼で会うことはあっても。 「俺、会って来たよ、二人に。ここに来る前」 「は?」  さらりと告げられた京介の言葉が、理解出来ない。 「は? 何、お前、わざわざ颯太と英輔にも会って来たわけ?」 「うん」 「なんでだよ」  そして何故最後をここにして、居着こうとしているのか。 「ちょっとみんなの顔が見たい気分だったんだ」  微笑む。そんな京介に、隆二は得体の知れないものを見つめる目を向ける。 「……大丈夫か、つかれてるのか?」 「どっちの」 「憑依の」 「憑かれてねーよ」  だって、お互いに会わないという暗黙の了解を破って、わざわざ会いに行くなんて、正気の沙汰とは思えない。 「色々と自分を振り返りたいことって、あるだろ?」 「いい年して自分探しってことか」 「うん、そんな感じ」  そんな感じなのか。 「……まあ、なんでもいいんだけどな」  お互い過度にかかわりたくないし。 「相変わらずだったか、あの二人」 「相変わらず、コーヒーと甘いものを愛してたよ」 「なら、いいんだ」  お互いがお互いの場所で、それなりにやっていてくれるのならば。たった四人の仲間だから、それなりに彼らの平穏を祈っている。 「っと、マオ悪い」  また話から爪弾きにしてしまった。少しむくれたマオに謝る。 『いいよー』  むくれたものの、隆二の方から謝ったからか、すぐに笑った。 「じゃあ、マオちゃん問題」 「お前はお前で急に何を言い出す」 「神山隆二、神野京介、神坂英輔、神崎颯太。この四人に共通することって何だと思う?」 『同族なんでしょ?』 「あー、ごめん名前で」 『……名前?』  マオが眉根を寄せながら、四人の名前を呟く。  ああ、その話ね。隆二は理解すると、 「音じゃ、わかんないだろ」  マオ、バカだし。 「あー、そっか。紙とペン」  京介は納得したように頷くと、右手を無造作に出してくる。なんで借りる側が偉そうなんだよ。  仕方なしに立ち上がると、部屋の片隅で放置されていたバイト情報誌とボールペンを手渡す。京介はその余白に四人の名前を書き込んだ。 『あ! わかった、神様!』  マオが嬉しそうに声をあげる。 「正解」  京介が微笑むと、 『わーい、あたったー』  嬉しそうに両手を叩いてから、隆二に抱きついた。 「この問題、間違える方が凄いだろ」  思わず小さく呟いたが、幸いマオの耳には届かなかったようだった。 『んー、でもなんでみんな神様なの?』  隆二の右腕に張り付いたまま、マオが尋ねる。 「希望が欲しかったんだよ」  それに端的に答えた。  あの時、研究所から逃げ出した時、四人で過去に決別することを決心した。だから、人間だった時の名前を、改めて捨てた。識別番号なんて、勿論捨てた。 「神って名字につけとけば、なんとなく報われる気がしたんだよな、あの時」  京介が言いながら苦笑する。 「若かったよなぁ、あの時」 「ああ」  神がつく名字をそれぞれ考えて、 「下の名前は、それぞれ交換したんだよな。音だけ採用して、漢字は変えて」  京介が続けた。 「……ああ」  隆二は一つ頷くと、ひっついたままのマオを伺うように見る。 『へー』  マオはぽかんと口を開けて、そう相槌を打った。ほんの少し、予想外の反応だった。 『なに?』  そんな隆二の視線に気づいたのか、マオが首を傾げる。 「……いや」  訊かれるかと思ったのだ。隆二の本当の名前は、きょうすけ、えいすけ、そうた、のどれなのか、と。  けれどもマオは、そんなことには興味がないようだった。 『でも、結局今は神山隆二なんでしょ? そうやって、呼べばいいのよね?』  ただそれだけを念押しするように確認してくる。 「ああ」 『うん、わかった』  そしてぱっと花が咲くように笑う。 『りゅーじ』  楽しそうに隆二の名前を呼ぶ。それから、隆二の右腕から離れる。 『あのね、あたし、お腹すいちゃったの』 「あー、そっか」  この前の食事から日があいている。 「手伝う?」  意識のない人間から精気を奪うことを食事とする幽霊に問いかけると、 『ううん、色々お話あるだろうし、、あとは二人でごゆっくり』  微笑みながら断られた。 『それじゃあ、行ってきます』  マオは笑って、壁の向こうへ消えて行く。  もしかしたら、マオはマオなりに、気を使ったのかもしれない。 「良い子だねー、マオちゃん」  その姿を見送ると、京介が呟いた。 「……それで、本当はお前、何しに来たんだよ?」  マオがいなくなったことで、幾分語気を強めて尋ねる。 「言ったじゃん、色々あったんだって。それで皆に会おうと思って」  京介は笑ったまま答える。 「あ、でも」  そして笑ったまま続けた。 「隆二のところを一番最後にしたのも、泊めてくれっていったのも、隆二が心配だったからだよ」 「なんで」  なんでお前に心配されなきゃいけないんだ。 「エミリちゃんに聞いてさ。また女の子と住んでるって。また、傷つくんじゃないかって隆二が」  気づいたら、にこにこ笑ったままの京介の胸ぐらを掴んでいた。 「乱暴だなー」  あっけらかんと京介が呟く。 「余計なお世話だ。京介には関係ないだろ」  それだけ告げると、手を離す。少しよろけたものの、京介は小さく微笑んでいた。 「関係あるんだなぁ、これが」 「何がだ」 「茜ちゃんのこと、隆二がどう思って」 「いい加減にしろっ!」  声が大きくなる。  ここにマオがいなくてよかった。激昂した頭のどこかで、冷静にそんなことを思った。 「次に茜のこと口にしたら追い出す」 「はいはい」  おどけたように京介は両手を軽く上にあげた。 「悪かったって。とりあえずさ、なんか飯食おうよ」 「別に俺は食べる習慣ない」  まだむしゃくしゃしたまま、斬り捨てる。 「でも、食べること嫌いじゃないだろ? しばらく料理人のまねごとしてたから、なかなか上手いよ、俺」  そうして京介は冷蔵庫を開ける。 「うん、思ったとおりなんにもないね」 「……悪かったな」 「なんか適当に作るよ。あ、ちゃんと俺が出すからさ、材料費。食えないものとか、ないよな」  いつもの調子で問われた言葉に、小さく頷く。 「うん、じゃあ、そういうことで」  言うと、さっさと京介は部屋から出て行った。当たり前のように。  ドアが閉まる音を聞きながら、椅子に腰を下ろす。 「……なんだっていうんだよ」  呟いた言葉は、誰もいない部屋に溶けていった。 『わぁ……』  テーブルの上に並べられた料理を見て、マオが感嘆の声をあげた。 『すごぉーい、テレビみたいっ』  テレビっ子のマオにとって、それは最大級の褒め言葉だ。 「あはは、ありがとう」  料理人である京介がそれを受けて笑った。 「海鮮とほうれん草のジェノベーゼパスタに、ただのサラダだよ」 『でもすごぉい、あたし、コンビニのおにぎり以外見たの初めて!』 「……子どもにちゃんとした食事与えてない家庭みたいになるからやめろ」  なんだか恥ずかしいじゃないか。事実だけど。 「まあ、この家、皿すらろくにねーんだもん、びびるよな」 「使わないし」  っていうか、皿も買って来たのか。道理で見たことない皿だと思った。 「隆二、知ってるか。最近の百均って」 「ひゃっきん?」 「おおぅ、そこからから」  露骨にバカにしたような言い方で、 「百円均一。店内の商品が全部百円なんだよ。あ、別途消費税かかるし、たまに百円じゃないものもあるんだけどな。あれ、罠だよなー」 『知ってる! テレビでみた! 色々な便利グッズが売っててね、それを何に使うか当てるので見た!』  だからどれだけテレビっ子なんだ。 「このお皿も百均だ」 「……へー」  見た感じ、普通に家にある他の皿に見える。 「最近は、すごいんだなぁー」  呟くと、 『……隆二、そういうの、年寄りっぽいからやめた方がいいよ』  マオに真顔で諭された。ほっといてくれ、実際年寄りなんだから。  この場の平均年齢をぐぐっと下げている出来たてほやほやの幽霊少女は、うっとりした目でテーブルを眺めてから、 『ああっ、あたし、今までで一番幽霊なことを悔しいと思ったっ』  両手で顔を覆って、盛大に嘆いた。もっと他に悔しがる場面なかったのだろうか、平和でいいけど。  これで不味かったら大笑いだ。  席に着くと、なんとなくぎこちない動作でフォークを手に取る。だって、久しぶりだし、コンビニおにぎり以外って。 『あ、いただきます言わなきゃ駄目よっ?』  隣の椅子に腰掛けるようにして浮きながら、こっちをじっと見つめるマオにつっこまれた。 「……はい、いただきます」  素直に両手を合わせて呟く。  向かいで京介が楽しそうに笑ったのが、これまたむかつく。また尻に敷かれている、とか思っているんじゃないよな?  ちょっとパスタを巻くのに苦労した後、口へ。咀嚼。  わくわくしたようなマオの視線と、勝ち誇ったような京介の視線を感じる。ああ、癪に触る。 「……うまいよ」  しぶしぶ答えた。  今までの隆二の食生活には、あまりなじみのない味だが、嫌いじゃなかった。美味しいと思った。麺の固さも丁度いいし。なんだか悔しいけど。  京介がにやりと笑った。 「だから言ったろ? 料理人してたって」 「あー、はいはい」  なんか本当むかつく。別に料理作る能力なんて自分に必要だとは思わないけれども、それでも。  隣でマオが尊敬の二文字を瞳に浮かべて京介を見ている。 『いいなぁー』  食事を続ける二人を見て、頬を膨らませる。 『あたし、仲間外れー、お腹空いたー』 「それは嘘だな」  さっき食べてきたばっかりだろう。 『むー』  ますます不満そうな顔になった。 「マオちゃんって人の精気食べるんだっけー?」 「それも嬢ちゃんから聞いたのか?」 「うん」  なんでもぺらぺら喋るな、あいつ。それでよくうちの住所を喋らなかったもんだ。 『そうだよー』  言ってからマオは、ほんの少し身を引き、隆二の方に寄る。 「どうした?」 『……怒る?』  うかがうように京介を見ながら尋ねる。  ああ、それ、まだ気にしていたのか。でも多分、京介なら、 「なんでー?」  あっけらかんと京介は答えた。予想どおりの言葉に、隆二は少し笑う。  フォークを置き、マオの頭を撫でた。 「俺たちの誰も、マオのこと責めたりしないから」 「うんうん、英輔とか颯太とかに会うことがあっても、それ聞かなくていいよ。怒るわけないから」 『……本当?』  上目遣いでおそるおそる聞いてくる彼女に笑う。 「同じ穴の狢、なんだろ?」  いつだったかマオが言っていたことを言ってみると、小さく顎を引いた。 『んっ』  だってみんな、化物なんだから。  それは言わずに飲み込む。わざわざ改めてこんな場所で、ここにいる者の心を抉る必要はない。? 「んー、じゃあさ、マオちゃん」  京介は軽薄そうな笑みを浮かべて、 「次、お腹空いたら俺の精気あげようか?」 「何を言っているんだお前は」  即、つっこんだ。 「なんだよー、やきもち?」 「バカか。不死者に精気なんつーもんが、あると思うのか」  半分死んでいて半分生きていて、そしてそのどちらでもないのに。 「なにかあったらどうする」 「なんだ、マオちゃんが心配なんだ」  そしてまた、にっこりと笑う。 「だからっ」  それに思わず声をあらげて、 『え、違うの?』  マオのちょっと不満そうな声に、勢いを失う。 「……いや、心配してないわけじゃなくて」  なんで京介がそんないちいち勝ち誇った顔をするのかが気になるのだ。笑った顔の裏に、また心配しているんだ? という文字が見えるのは、穿ち過ぎだろうか。 『心配?』  未だに隆二に近づいたままのマオが、顔を覗き込むようにして尋ねてくる。 「……ああ」  仕方なしに頷く。心配しているかしてないかと言えばしているし。  マオはそれを聞いて、心底嬉しそうに笑った。 『うん、だから、せっかくだけど駄目だねー、京介さん』  やたらと嬉しそうに告げる。 「そっかー、残念だー」  対して残念でもなさそうに京介が答えた。 『それに、隆二が止めなくても、京介さんが人間でも、いらなぁい』 「なんで?」 『だって、男の人ってまずいもの』  当たり前のように告げる。そしてそのままの口調で、 『男の人は、隆二以外いらなぁい』  爆弾を放った。 「マオっ」  咄嗟に大きな声が出る。びくっとマオが体を強張らせて失態に気づく。 『え……、ごめんなさ……』 「あ、違う、怒ったわけじゃなくてだな」  その発言自体はもう聞いたことがあるし、マオにとって自分が特別な存在であることは理解している。鳥の雛における、刷り込みに似たような感覚。社会でふれあった初めての存在で、親のようなものだということは。 『でも……』 「怒ってない。嫌なわけじゃない。だからそういう、泣きそうな顔するな」  瞳を潤ませたマオの頭を撫でながら、左頬に突き刺さる視線にうんざりする。  マオの発言それ自体は、なんの問題もない。如何せん、言った場所が悪かった。  見なくてもわかる。にやにや笑った京介の顔が。 「へぇー」  案の定、からかうような京介の声がする。 「仲いいんだねぇー」  それを素直に受け取れない。 『……あたし、隆二のこと好きだもん、隆二は特別だもん』  さすがのマオも、京介の言い方になにか思うところがあったのか、挑むようにして告げる。  うん、気持ちは嬉しいが、あんまり今そういうこと言うな。そいつに言うな。 「隆二も満更でもなさそうだもんねー」 「まあ」  曖昧に頷く。何言っても泥沼になりそうな気がする。 『隆二の、まあ、は割と好きなんだからっ』  マオが威嚇するように吠えた。 「……まて、それはどういう」 『え、違うの』  威嚇の表情を改めて、きょとんとした顔をする。 『だって、前、梅のおにぎり好き? テレビより本の方が好き? って聞いた時、まあ嫌いじゃないって言ったじゃん』 「……そうだっけ?」  よく覚えているなぁ。こっちは、そんな会話をしたことすら覚えてないのに。 『でも、隆二、梅のおにぎりも、本も、好きでしょう?』  頷く。 『だから隆二の、まあ、は割と好きの意味だよ』  そうしてマオは屈託なく笑った。 「……そっか」  なんとなくその笑みに気圧されて頷いた。そんなこと、考えたこともなかった。 「好きじゃなきゃ一緒に暮らさないもんな」  黙って見ていた京介が口を挟む。 『そうでしょう?』  今度はマオが勝ち誇ったような顔をする。 『羨ましいでしょ』  何がだ。  京介は一度目を細め、小さくなにかを呟いた。それから、 「さて、それはともかく、食事を再開しよう」 『本当、はやく食べないともったいないもんね!』  京介の言葉にマオも従う。そっと隆二から距離をとり、隣の席に座った。  京介が食事の続きを始めて、 「おまえも喰えよ」  黙って見ていた隆二を促す。隆二も再びフォークを手に取った。  マオと京介が二言三言楽しそうに会話する。  さっき、京介が呟いた言葉。 「繰り返すなよ」  そう、聞こえた。それは気のせいだったのかもしれない。被害妄想かもしれない。  それでも、 「余計なお世話だ」
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