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 そう思っていたはずなのに、私は金曜日、仕事が終わるとなぜか花火大会の会場へと足を運んでいた。  天気予報は、夜まで快晴。    無事花火大会の決行も確定し、会場近くの河原には、たくさんの出店が色とりどりの電飾を輝かせながら並んでいた。  近隣地域では最も大きなこの花火大会。  例年三日間に渡って開催され、すべての日の夜八時半から打ち上げ花火が予定されている。  想定される人手は、六万人。  案の定、打ち上げ会場が近づくにつれて、川沿いの土手べりの道は、人でいっぱいになっていった。  家族連れ。  カップル。  友達同士。  どこを見渡しても、笑顔、笑顔、笑顔。  ·····やっぱり、一人で来てるひとなんて、いるわけないじゃん。  私は心のなかで思わずそう呟いていた。  魔が差した。  今夜の私の行動は、まさにその一言につきるものだった。  鼻をくすぐるのは、屋台のいか焼きが焦げる香ばしい香り。  活気に溢れるお兄さんの掛け声。  風にのって、さまざまな形をした夏の感触が人々の間をすり抜けていく。  私はぼんやりと、その風景のなかを、漂うように歩いて行く。  案外、誰も他人のことなんか、見ていない。  私は、まるで誰か待ち合わせた人でも探しているかのような顔をして、ゆらりゆらりと人ごみの間をすり抜けて行った。  「··········」  ひょっとしたら、世界中の人が、今夜、この花火を見るために、集まってきているんじゃないだろうか。  そう思えるほどの喧騒。  だけど、どれだけたくさんの人がいたって、その中で私は一人だった。 「いらっしゃーい!冷やしパイン!冷やしパイン!じゃんけんで勝てばおまけで一本!···そこのお嬢さんも、よっといで!」    歩きながら、そこかしこにある幸せの欠片を探す。  たぶん、気付いてしまったからだ。  この誰もが笑顔に溢れる今夜。  一人で花火大会に来たのは、あぁ、本当に、私だけだったのかもしれない、って。    いつしか、がむしゃらに、早足で歩き続けた。  来るんじゃなかった。  ここに私の居場所は、最初から無かった。  どっちの方向から歩いてきたのか、突然まるで分からなくなって、泣きそうになる。  溢れかえる、人、人、人。    こんなにも大勢の人がひしめく世界の中で、本当に私が、ただ私だけが唯一。  ひとりぼっちだーーーー。 「―――あのっ!!カイヅカさんッ!」  突然、近くで誰かの信じられないくらい大きな声がした。  反射的に、私はびくんと身を震わせた。  我に返って、声のした方を振り向くと、  「あっ、····あの、突然すみません!待って!待ってください!」  人ごみを掻き分けるようにして、一人の少年がこちらへ近寄ってきた。  私はぎょっとした。  視線が合う。私のことを、呼んでいる?    どこか幼さの残るその顔。  たぶん、まだ高校生か、大学生。  白い無地のTシャツに、ジーパン。  寄ってきた少年は、はっきりと私の顔を見下ろすと、息をきらしながら、またその名を呼んだ。 「カイヅカさんッ」 「·····すみません。人違いですよ」  とりあえず、そう返してみた。  全く見覚えのない顔だった。  絶対に知らない。 「あっ、いえ、人違いではないんです!」  慌てたように少年が言う。  新手のナンパだろうか。  こっちはもう27歳のいい年したオバサンなのに。  私は思わずぷっと笑ってしまう。 「違うんですか?あれ。私、カイヅカさんじゃないですよ」 「あっ、いえっ、あの······そうじゃなくて」  煮え切らない態度で、少年はしどろもどろと言い訳をしている。  私は笑いながら首を傾げてみせた。  暗闇のせいでよく顔が見えていないのだろうか。 「なに?新手のナンパ?」  少年はばっと顔を上げた。  ぶんぶんと顔を物凄い勢いで横に振る。 「い、いや!そんなのは、全然違うんです、あの―――――」  しばらくまた口ごもって、少年が視線を逸らした、その時だった。  ウワァッと周囲で一斉に歓声があがる。  きゅぅうううう·····――――  ドォオン!  轟音が轟き、大気が揺れる。  咄嗟に私は音がした方向を振り向いていた。  ドォオン!  また轟音がとどろく。  花火の打ち上げが始まっていた。  真っ黒な夜のキャンバスに、これでもか、これでもか、と。    激しく、その命をきらめかせる大輪の花。  「················―――」  しばらく見惚れていた私は、はっと我に返った。  慌てて振り向く。  「――――っ、?」  だが、彼の姿はどこにもない。    きょろきょろと見回す。    ただ、上を見上げて歓声をあげながら、顔を輝かせているたくさんの人たちが、いただけ。    ――――なんだ。  私は、息をはいた。  やっぱり、新手のナンパだったんだ。  久しぶりだな。ナンパされたのなんて。  馬鹿そうに見えたのかな。  Tシャツの袖の部分に、何か黄色い付箋紙のようなものがついていることに気付いたのは、その時だった。  ············?  めくってみると、こう書いてあった。  『明日も来て』      それは、びっくりするくらい、ぐちゃぐちゃな字だった。
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