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3,
翌日、仕事を終えた私は、なぜかまた昨日と同じく、花火大会の会場へ向かっていた。
なぜこんなことを、と自分で自分に呆れながら、一方で、昨日の出来事が、非常に引っ掛かってもいた。
完全に人違いだったのに、彼の態度は何か変だった。
私はカイヅカさんじゃないって、はっきり言ったのに、彼は、私に付箋紙を張り付けて消えた。
まるで意味が分からない。
何か、学生の間で流行っている遊びにでも、巻き込まれたんだろうか。
だとしたら、こうしてノコノコと、再びこの場所に現れている私は、とても滑稽だと思いながら。
昨日と同じく、かなりの人出だった。
私は額に浮かんだ汗を拭いながら、いつのまにか、彼を探している。
何をやっているのか。
本当に馬鹿馬鹿しい。
しばらく歩いて、私は諦めた。
というか、暑くて暑くて、死にそうだった。
適当に空いている土手のスペースに腰をおろした。
まだ花火の咲いていない夜空を眺める。
案外、星がとても綺麗だった。
勿体無いなぁ。
こんなにたくさんの人がいて、見上げれば美しい光景が広がっているのに、今は誰も夜空を見ていない。
花火が打ち上げられれば見るんだろうけど、たぶんこの小さなきらきらした輝きは、あの激しさの前では、誰の目にも止まらない。
来る途中、コンビニで購入したビールを開けた。
そして、一気に煽る。
美味しすぎた。
乾いた身体中に、瑞々しい旨味が染み込んでいくようで、ほぅ、と息をついてしまう。
そんな私の背後で、土手沿いの道を、たくさんの人々が、楽しそうに流れていく。
私は2日目にして突然図太くなったのか、今日もひとりぼっちなのに、昨日ほどの孤独感は無かった。酒のせいかもしれないけど。
あ、やっぱり、おつまみも買ってこれば良かったなあ。
「――――たこやき、食べませんか」
不意に、その声がした。
私はびくっとして、危うくビール缶を取り落としそうになる。
それから、おそるおそる右後ろを見上げた。
「こんばんは。カイヅカさん。たこやき、2パック買っちゃいました」
照れたように笑って、彼が立っていた。
―――――なんなの?
「―――昨日から、何がしたいんですか?」
「·····え。すみません。迷惑でしたか?」
走ってきたのか、少し、息がみだれている。
率直に聞くと、たちまち申し訳なさそうな顔になって、なんだか逆に私のほうが罪悪感を感じるはめになった。
私は短くため息をついた。
「迷惑じゃないですけど。わたし、カイヅカさんじゃないです」
「え?あ、·········えーと、じゃあ、何さん?」
「私は、モリグチ――――」
危ういところで個人情報を口にしかけた私は、すんでのところで思いとどまった。
乗せられてしまった恥ずかしさに、思わず視線を背ける。
「見ず知らずの人に、名前なんか教えません。早く、お友だちのところへ帰りなさい」
すると、少年は、困ったように笑った。
「いないんです。今日は、一人で来たんです」
え。
私はびっくりした。
まじまじとその顔を見てしまう。
童顔だけど、目鼻立ちは綺麗なその面差し。
「ひとりなの?なんで。―――ほんとに?」
「そういうあなただって、一人でしょ」
「――――いや。まあ。そうだけど」
「一緒に、花火、見てもいいですか」
本当に妙なことを言い出す。
だけど、彼の態度には、どこか覚悟めいたようなものが垣間見えて、私は無下に断ることが出来なかった。
「別に、あなたがやりたいことを止める権利なんて、私にはないけど。ここはみんなの土手だし」
「良かった。じゃあ、となりに座りますね」
少年は私のとなりに腰をおろした。
「オレ、どうしても、花火が見たくて。この三日間だけは、絶対に来ようと思ってたんです」
やがて、時刻は、八時半を迎えようとしていた。
私たちが腰を下ろしている土手の周囲にも、たくさんの人たちが集まってくる。
熱気と、歓声。
大人と、子供。
夜と、屋台の食べ物の匂い。
色んなものが入り交じって、あたり一帯の空気中に浮遊している幸せな期待感のようなものが、1秒ごとにどんどんと膨らんでいく。
そして。
きゅぅうううう··········――――――
ドォオン!
また轟音が、鳴って、大地が震えた。
夜空いっぱいに、花が咲く。
その輝きは、すべての美しい星の煌めきをを一瞬で無にしてしまう。
圧倒的で、強引で、残酷だった。
それなのに、どうしようもなく、美しい。
ああ、と私は思った。
また、見惚れてしまった。
こうなるかもしれないと分かっていたのに。
振り返ると、やっぱり彼は居なくなっていた。
ただ、一枚の付箋紙が、またしても私の袖に貼り付いていた。
『また明日』
またやってしまった。
私は、その付箋紙を剥がして、それからまた頭上に輝く花火を見上げた。
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