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 自分が、これほどまで馬鹿だと思い知らされたのは、生まれてはじめてだった。  雨の中、傘を差して、私は走った。  飛びはねた無数の水滴が、スニーカーを濡らしていく。  どこに行くべきか、私は今、ものすごくはっきりと理解している。  「――――カイヅカさん」  彼は、あの土手の道の上で、一人たたずんでいた。  八時三十分。 「だから、私、カイヅカさんじゃないって」  私は息をきらしながら、そう言った。  今までとは逆だった。  昨日も、一昨日も、彼が私を探しに来てくれた。  溢れる人ごみのなか。  この狭くてとてつもなく広大な世界のなか。  だけど今日は、私が彼を見つけた。  それはとても簡単なことだった。  だって、雨の夜の土手には、傘を差して待つ彼以外に、誰の姿も無かったから。  ただ、ここに来るかどうか。  それを決断するか、どうか。 「何しに来たんですか?」  彼は傘の隙間から、私のほうを見て、静かにそう尋ねた。  一瞬、言葉に詰まった。  だけど、答えは決まっていた。  私は、無言で手に持ったレジ袋を、彼の方へと突き付けた。 「これ!――――花火大会に、来たんでしょ!花火しないで、どうするの!」  それは、コンビニで買ったファミリーパックの花火セットだった。  ライターと、小さなバケツも入っている。  途端、彼は驚いたような顔をして、そして、次の瞬間、ぶっと遠慮なく吹き出した。 「――――はははは!何っ、何言うかと思ったら!」  めちゃくちゃ笑われている。  あんまりな反応に、私はぶわっと赤くなってしまった。 「何よ!あなたが昨日、花火を見に来てるって言ったんでしょ!」 「しっ、しかも、ちゃんとバケツとか、片付け用のやつまで買ってる!ぷはははは!やる気まんまん····っ!」 「うるさいわね!あっ、後片付けは、花火の基本でしょうが!」  私は無性に恥ずかしくなって、語気も荒く反論した。  こんなもの、買ったのは初めてだった。  ゴミになるし、無駄に高い。  花火なんて、私はもともと興味なんか無かったのだ。  彼は腹を抱えてひとしきり笑ったあと、近くの橋のたもとを指差した。   「ひー、超おもしろいわ。····じゃあ、あそこに水汲み場があるんで、行きましょう。川は増水してるから、絶対に近付いちゃダメですよ。橋の下なら、雨をしのげるから、そこで花火しましょう」 「う、うん」  こんなにも年下の男の子に指揮権を取られるなんて。  早くも自分の決断を、物凄く後悔しだしていたけれど。  ややあって、二つの傘が、橋の陰へ降りて行った。  こんな夜に、人通りも少ない川べりで、よく知らない学生と、こんなことをしたりしていいんだろうか。  普段ならそう思うはずなのに、私はその時全く警戒心というものをどこかへ置き忘れていた。 「うわあ、良かったあ!火ぃつきましたね!」  少年が、小さめの線香花火の着火に成功し、無邪気にはしゃぎ出した。 「うわぁ·····綺麗だなぁ」 「そうね。まだまだあるから、遠慮なくやって」 「いいんですか? あー、でも、残念。すぐに消えちゃう····」  線香花火の持つ時間は数十秒。  私たちは、小さな空間の中で、何度も何度も、その小さな命の灯火を、夜の闇の中に浮かび上がらせた。  光が花開くたび、二人して一心にそれを見つめる。   それは必ず、あっというまに消えてしまって。  私達は、その度に、何度も嘆きの声を漏らした。  やがて、花火の残りが少なくなったころ。 「待って。早いね。あと二本じゃん」 「えっ、本当ですか?―――あっ、オレの消えた」 「え? 早。って、ああ――。私のも」  ジュッと音をたてて、花火が燃え終わった。  命を終えた花火は、バケツに張られた水の中にゆっくりと沈んでいった。  私は向き直ると、最後の二本を袋から取り出して、そのうち一本を彼に渡す。  彼がおもむろに口を開いた。 「――――これで、最後?」  私はあたりにちらばったゴミを丁寧に片付けながら、頷いた。 「····うん。足りた?」  私は、視線を上げて、その面差しを見つめながらそっと尋ねた。  彼は、ほんの少し、眉間に皺を寄せた。  私の質問には答えず、言う。 「火を、取ってください」 「········うん」  しばらくして、彼の花火が着火した。 「私にも火、分けて」 「え、あ。うん」  私たちは、まるでキスするみたいにして、その花火から溢れおちる火種を、お互いに優しく分け合った。  チリチリチリチリ······  線香花火が燃えていく音だけが、聞こえた。  雨の音は、もう遠い。 「·····聞かないんですか?オレが何でこんなことしてるかって」  やがて、花火のささやかな輝きに照らし出された彼の声は、震えていた。  伏せた目で、その眼差しは、花火の明かりを一瞬たりとも見逃すまいと追っている。  ゆっくりまばたきする顔を、私はじっと見つめてしまう。 「·····聞いていいの?」     だから、私の声も震えた。    チリチリチリチリ······    彼は、また居なくなるんだろうか。  昨日や、一昨日のように。  私がこの目を離して、最後の線香花火の美しさに、目をやってしまったら。    私は彼から目が離せなかった。    彼は、祈るような表情で、だんだんと輝きを失っていく線香花火を見つめていた。  あと、少しだけ。  彼が、口を開く。 「オレは――――――」  その瞬間、突然、私達の線香花火は、同時に終わりを迎えた。
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